聖書通読クラブ Day 100

聖書通読クラブ Day 100【列王記 第一 10章~12章】

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シャローム!

今日の通読でなんと100日目になりました。一日も欠かさずここまで導いてくださった主に感謝します。あと265日、主と共に旅を続けて参りましょう。
今日はソロモンの絶頂期から後退していく様子を見ていきます。少しさみしく、あまり見たくないかもしれませんが、ここがとても重要です。人は成長するときよりも後ろに下げられているように感じるとき、どのような反応をするか、またその原因は何かを知っておくことで、自分の人生に同じような事が起こらないように予防できますし、起こってしまったときに直ぐに主に立ち返ることができるようになります。

今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第一 10章~12章

■アウトライン

霊的堕落

●シェバの女王:10章
  ・シェバの女王の謁見:1-5節
  ・シェバの女王の証言:6-10節
  ・ヒラムの船団:11-12節
  ・気前のいいソロモン:13節
  ・金:14-22節
  ・ソロモンの知恵:23-25節
  ・ソロモンの馬:26-29節

●ソロモンの最期:11章
  ・多くの妻と多くのそばめ:1-8節
  ・主の怒り:9-13節
  ・ソロモンに敵対する者ーハダデ:14-22節
  ・ソロモンに敵対する者ーレゾン:23-25節
  ・王に反逆するヤロブアム:26-40節
  ・ソロモンの死:41-43節

●霊的な転落:12章
  ・ヤロブアムの願い:1-5節
  ・長老への相談と若者への相談:6-11節
  ・民の願いを聞かない:12-15節
  ・ダビデの家にそむくイスラエル:16-20節
  ・主のことばに従う:21-24節節
  ・霊的な堕落:25-33節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】シェバの女王

・シェバの女王の謁見:1-5節
シェバという国は今のイエメン辺りにあった国だと言われています。シェバには金や銀、香料や貴重な木材などを産出する国でした。ヒラムは船団を率いてシェバにやってきて、そこでシェバの女王はソロモンの噂を聞きつけました。
注目すべきは、シェバの女王は単にソロモンやソロモンの財産にだけ興味があったというわけでは無いと言うことです。1節では「主の名に関連して」とあります。主がどれほどの好意を注いでくださったかをソロモンは証ししていました。それを見にやってきたのです。
シェバの女王がソロモンを訪れたのはビジネスと外交が目的でした。しかしそれだけではなく、彼女は霊的にも飢え乾いていました。その疑問をソロモンにぶつけます。
3節を見ると、ソロモンはその答えにどうしていますか?なぜそれができたのだと思いますか?
シェバの女王は実際にソロモンに会って「息も止まるばかり」とありますが、その実、何が一番彼女の心をつかんだのでしょうか。
4節を見ると一番はソロモンの知恵です。その後建物や食事が続きます。また、従者の教育いけにえを見ました。

・シェバの女王の証言:6-10節
シェバの女王はヒラムや船団員からソロモンの偉大さの断片的な部分を聞いていました。人はそれぞれ関心事が違っており、見る観点が違うからです。しかし、シェバの女王は実際にソロモンに会い、質問し、自分の目で見、体験しました。その内容はどのようなものであったか、この箇所を読んでみましょう。
なんとシェバの女王は主をほめ称えています。そして、ソロモンを妬んだりうらやんだりせず、賞賛しています。シェバの女王も王にふさわしい人格者でした。
その事に感動したのでしょうか。シェバの女王は二度と無いほどの量のバルサム油を送りました。

・ヒラムの船団:11-12節
ヒラムの船団もびゃくだんという高級木材、宝石を運んできます。この木材は何に使われたと書かれていますか?

・気前のいいソロモン:13節
ソロモンはそのお礼に、沢山のものを与えましたが、シェバの女王が求めたものを何でも与えたとあります。ソロモンの豊かさを見ることができます。

・金:14-22節
ソロモンは非常に裕福でした。主が祝福してくださり、その知恵によって富を得ました。ところが、みことばには「神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)と書かれています。
神と富が同列に書かれていると言うことは、富はそれほど力があると言うことです。今までの歴史上、どれほどの人が富の惑わしによって歴史から名を消していったでしょうか。また、富が原因でどれだけの人の血が流されたでしょうか。
ソロモンははじめは神を恐れていましたが、だんだんとビジネスの面白さに心が傾き、神から心が離れていってしまいます。
14節では666タラント、約22.5トンほどの金が入ってきたとあります。2021年7月8日現在で、金の価格は1グラム約7,000円ですので、1575億円ほどになります。
ここで666が気になるかもしれませんが、本来6は人間を指す数字です。それが三つそろうので、神様抜きの完全な人本主義を表します。神の数字である7にひとつ足りない数です。
666に関しては沢山の陰謀論や誤った情報が沢山出回っています。それらを鵜呑みにするのではなく、かならず聖書が何を言っているかを聞きましょう。今はみことばを聞くことの飢饉の状態です。主のみことばだけを聞きわける事のできる耳を求めましょう。

・ソロモンの知恵:23-25節
ソロモン王は確かに知恵者中の知恵者でした。その知恵で多くの富を集めました。これは主がしてくださったことです。では、どこが問題なのでしょうか。それは、必要以上に富を集めたと言うことではないかと思います。
申命記17:17には「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない」とあります。富は神の統治の中、正しく使われるなら、私たちの最高のしもべとなります。お金があれば困った人を助けることができます。自分の代わりに他の人に働いてもらうこともできます。必要な者を必要な人に届けることができます。
しかし、矢印がひとたび自分の方に向いてしまうなら、それは私達の人生だけでなく、神様との関係も破壊しかねない恐ろしいものです。
勘違いしてはいけません。お金は単なる被造物です。現代では単なる数字の羅列です。クリスチャンの中には「清貧」といって、清く貧しい生活が美とされる風習があるのでは亡いかと思います。もちろんそれも素晴らしい生き方です。しかし、全員がそうではありません。何が貧しくなければならないかと言えば、私たちの心です。いつも「神様がおられなければ生きていけない」という心が貧しい心です。
私たちは豊かになっていいのです。いや、豊かにならなければなりません。それはこの地の富を贖い、神のものとするためです。
ソロモン神殿建設を見てもわかりますが、神の神殿を建て上げるためにはこの世の経済が必要不可欠です。
「なんだかわからないから」とか、「お金は汚れている」とかいう考えは捨てましょう。そしてお金に関して真剣に向き合って学びましょう。マネーリテラシーを高める必要があります。そうして、経済を最高のしもべにして、御国を建て上げて行こうではありませんか。
また、お金自体が悪いのではありません。1テモテ6:10には何と書かれているでしょうか。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」と書かれています。金銭自体はわるくありません。それを愛する心が悪いのです。これは立派な偶像礼拝です。
ではどうすればいいのでしょうか。ヘブル13:5には「いま持っているもので満足しなさい」とあります。
経済のステップはまず自分の支出と収入をしっかりと把握することからはじまります。そして、不必要に出て行っているお金、特に毎月引き落とされているものを見つけ出し、不必要なものはカットします。
その次に稼ぐ事を考えます。場合によっては副業も検討しましょう。その後で資産をかしこく増やす力を身につける必要があります。投資信託などを用いて、長期的に資産を増やしましょう。そして、それらの資産を守る方法を身につけ、最後は経済の使い方を学びます。
神様が私たちに与えてくださった経済を学び、賢く用いていきましょう。

・ソロモンの馬:26-29節
ソロモンは沢山の馬を用意しました。パロの時代から発展してきた最新鋭の戦車を用意します。
気がついたでしょうか。ソロモンはいつしかこれらの備えを主に聞くことなく、自分の考えで行っていました。神様ではなく、世に頼り始めています。
この世の軍馬と神様が使わしてくださる天の軍馬、どちらが強くどちらの数が多いでしょうか。
わかっていてもその事ができないのが私たちの弱さです。今、自分を省みて祈ってみましょう。

【11章】ソロモンの最期

・多くの妻と多くのそばめ:1-8節
モーセは律法で「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。」(申命記17:17)と言っています。
しかし、この箇所を読んでみましょう。ソロモンはどれくらいの王妃としての妻を持ってたでしょうか。また、そばめは何人いたでしょうか。
その妻はソロモンの心をどうしたでしょうか。
ソロモンは軍事力、富、そして女性という領域で神様から心をそらしていってしまいます。彼の心をそらしてしまったのは外国の妻たちでした。異教の神が妻たちによって王宮にもたらされました。
ソロモンは彼女たちにどのように接していたでしょうか。2節の後半では、「ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった」とあります。肉体的な交わりと霊的な交わりがあります。
主と交わるなら一つ霊になりますが、遊女と交われば一つからだになります。(1コリント6:16-17)
ソロモンは主を愛していました。しかし、それ以上に妻たちを愛しました。ヤコブ4:8ではこれを「二心」と呼んでいます。
その結果、ソロモンの心はダビデとは違って、主と全くひとつになっていませんでした。
ダビデは確かに人生の中で沢山の失敗をしましたが、そのたびに自分の罪を認め、悔い改めて神様に立ち返りました。
神様は私たちが失敗する可能性があることもご存じです。失敗がだめなのではなく、それを認めず、悔い改めないことが悪いのです。
ダビデは主を第一として、神殿建設のために資材をはたいて準備しました。ソロモンはその祝福で神殿を建設できました。
また、ダビデはいつも主を礼拝していましたが、6節後半を見るとソロモンは「通い通さなかった」とあります。岩地に蒔かれた種のたとえのようです。最初はいいのですが、根がないので枯れてしまいます。私たちの罪の贖いは一度きりです。しかし、救いは生涯をかけて達成していくものです。
最後まで走りきる信仰を主から与えていただきましょう。

・主の怒り:9-13節
ここに神様のあわれみを見ることができます。神様は二度、ソロモンに現れ、怒りを発せられました。主からの警告です。
残念ながらソロモンの耳はそれが入りませんでした。彼の関心事は軍事、お金、女性でした。
11節から、神様の処罰の断行がはじまります。覚えておいていただきたいのは、神様は突然に処罰を断行されないということです。
何度も警告し、それでなお従わないときに処罰を断行します。
まるで、お手伝いをお願いした子どもが「うん、わかった」といってスマホをいじり続け、何度もお願いしても従わず、しまいには怒られてしまうと言うのに似ています。
どうすれば叱られないのでしょうか?どうすれば処罰の断行を受けずにいれるのでしょうか?答えはシンプルですが、なかなかできません。祈りが必要です。

・ソロモンに敵対する者ーハダデ:14-22節
具体的に神様からの処罰の断行がはじまります。まずはイスラエルの南の方から起こされた反逆者です。
かつて、ダビデ王朝の頃、ヨアブがエドム人を虐殺しました。その恨みをハダデはずっと持っていたのでしょう。ヤコブが彼らの先祖エサウから長子権を奪ったことも根に持っていたのかもしれません。
何より、この事を神様が許可されました。

・ソロモンに敵対する者ーレゾン:23-25節
続いては北からも反逆者を起こされます。ダビデはかつてハダデエゼルと戦いました。(2サムエル8章)ダビデはこの地を治めましたが、そこからの逃亡者がいました。彼らは略奪隊となり、ダマスコを中心に活動していました。それがレゾンです。これが現代のシリヤへとなっていきます。

・王に反逆するヤロブアム:26-40節
続いてはソロモンにとって、最も痛手となる内部からの反逆者です。多くの大国はこのように内側から崩壊していきます。
エフライム族のヤロブアムです。
29節からは不思議な話が出てきています。該当が12に裂かれ、そのうちの10がヤロブアムに与えられます。様々な解釈がありますが、正直、どれが正しいのかはわかりません。
主はソロモンへの裁きとしてヤロブアムを用いられます。その裁かれた者が悔い改めたなら、苦しめを永久に続けないと言われています。

・ソロモンの死:41-43節
栄華を極めたソロモンも死を迎えます。軍事力と富と女性に目と心が奪われ、神様を離れてしまいました。
イエス様はこのソロモンでも、野の百合ほど着飾っていないと言われています。いくら力があっても、富があっても、神様を失っては何もなりません。第一のものを第一とする事は人生に於いてもっと大切なことです。

【12章】霊的な転落

・ヤロブアムの願い:1-5節
ソロモンの死後、息子のレホブアムが王となります。場所はエルサレムではなくシェケムに移っています。
シェケムもまた霊的に重要な場所です。イスラエルの中心部分で、アブラハムがカナンの地に最初に入ってきた場所です。ヤコブもここに留まりました。ヨシュアがエリコを攻略したとき、ここで律法を読みました。
そのようなわけで、ユダだけでなく、全イスラエルがレハブアムを王とするため集まります。
一方、ネバテの子ヤロブアムに話題は移ります。レホブアムとヤロブアム。ややこしいです。
ヤロブアムはソロモン王朝でも重要な人物でした。ヤロブアムとは「民が偉大になるように」という名前です。預言者アヒヤによって10のイスラエル部族が与えられると言われました。
彼は内からソロモン王朝を見て、陰を落としていることを悟り、ソロモンに反発するようになります。ソロモンはヤロブアムを殺そうとしますが、エジプトに亡命します。
ソロモン王朝に不満を持っていたヤロブアムをイスラエルの人々は呼び寄せ、ヤロブアムに徴税と労働のくびきを軽くしてもらうよう言った得ます。

・長老への相談と若者への相談:6-11節
レハブアムは一人で判断できないと悟ったので、長老にアドバイスを求めます。それに加え、セカンドオピニオンを若い者に聞きます。
国民の不満に対して、長老は低姿勢で臨むこと、若者は力でねじ伏せることをアドバイスします。
加えて、若者は「私の小指は父の腰よりも太い」と言っています。腰とは性器を意味しています。父に対する侮辱することばです。
みなさんならどちらを採用しますか?私なら若者の方を採用してしまう傾向があると思います。
1ペテロ5:5を見てみましょう。聖書の基準は長老に従うことです。非理下ることです。主はへりくだるものに恵みを注いでくださいます。

・民の願いを聞かない:12-15節
レハブアムは若者の意見を採用し、荒々しく対応する選択をしました。結果、これは残念な方の選択になってしまいます。

・ダビデの家にそむくイスラエル:16-20節
このレハブアムの回答が分裂のきっかけとなります。不満が爆発します。
そして、役務長官アドラムを殺します。調べると彼は4:6に出てきたアドニラムと同じ人物でした。彼はイスラエルの徴税、徴用を担当していた嫌われ者でした。
この民の反発の力を利用して、ヤロブアムは一気に王へと駆け上っていきます。人々を引きつけ、タイミングを見計らうのがとても上手です。

・主のことばに従う:21-24節節
レハブアムは良い王様なのでしょうか。悪い王様でしょうか。分類するなら悪い王様です。しかし、主に従う姿勢も持っていました。書かれていることだけで見分けることのできない部分もあります。
結果、イスラエルは決定的に二つの国に割れてしまいました。これから長い歴史、イスラエルは分かれたままです。しかし、エゼキエル37章には主が来られる時、再びイスラエルがひとつとされる預言があります。

・霊的な堕落:25-33節
こうなったら、堕落の道は止めることができません。
ヤロブアムは賢い人でしたが、神の知恵に欠けていました。彼はどのような事を行ったのでしょうか。
なんと金の子牛を二つ作り、エルサレムに登る必要が無いと言います。民がダビデの家、レハブアムの所に行ってしまうことを恐れたのです。30節には、はっきりと「この事は罪となった」と書かれています。アロンが造った金の子牛の事件のようです。
31節からを見て、聖書の基準に照らし合わせてみましょう。
ヤロブアムは祭司を自分勝手に選び、祭りの日を勝手に変えました。私たちはどこまでも聖書に土台を置かなければなりません。もっともらしいことを言っても、それを見分けなければなりません。みことばを読みましょう。そして祈りましょう。神様がしなさいと言うことを行いましょう。それが終わりの時代の生き方、霊的堕落の中で生き延びていく方法です。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 申命記17章14節から20節をソロモン王が知らないはずはありません。
    しかし
    馬を増やしたり、
    政治の為とはいえ多くの妻を持ったりしてしまいました。
    まず一つひとつ行うことを神の律法に照らし合わせ、み旨を伺い、
    神との交わりを失わないようにすることこそ外敵から身を守り、
    王国を堅固にすることなのだと覚えたいです。
    最初はキリストのひな型と例えられ、
    人並外れた知恵者であったソロモン王ですら自ら律することはできなかったのですね。

    あれやこれやと備えたつもりでも、祈りを忘れてしまっては、神の臨在が徐々に離れてしまうこと。
    しまいには罪の誘惑に打ち勝つ力を失ってしまうことは、自分の経験を振り返ると、他人事ではないと思いました。

    Ⅱ歴代誌26章5節
    神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が【主】を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。

    いつのメッセージで聞いたのか忘れたのですが、
    どんなに学んでも次々に忘れていくのですが、
    学ぶこと、聖書を朗読することは無駄ではないと思います。
    心の引き出しからポッと出てくることが私にもたまにあります。

    そのみ言葉は

    日々着実に的を射たように知恵をもって頑張っている人は
    堅固な者だと普通は思うのですが、
    実は頑張る人ではなく、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人こそが
    「繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に立つ」・・・とある
    詩編112編のみ言葉です。

    Ⅰコリント人への田上10章12節
    ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

    とあるように、自分は大丈夫と思わず、恵まれた時こそ、神の律法に無頓着にならないように、また主との交わりを大切にしていくことができますように。

  2. 100日の通読ができて主に感謝します。毎日コラムを送っていただきありがとうございます。
    みことばに素直に従うことは難しいですが喜んで従えるように祈ります。

中林 千恵子 へ返信する コメントをキャンセル

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