聖書通読クラブ Day 96

聖書通読クラブ Day 96【サムエル記 第二 22章~24章】

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シャローム!
今日でサムエル記第二が終わります。この箇所はまるで詩篇のようです。ダビデは非常に多くの詩篇を残しました。
人生の苦しいときも、うれしいときも、それを神様にささげものとして献げました。正直に自分の気持ちを神様に告げています。
私たちも私たちの詩篇を神様にささげてみましょう。

今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第二 22章~24章

■アウトライン

ダビデの賛美

●ダビデの歌:22章

●ダビデの最後のことば:23章
  ・ダビデの告げたことば:1-7節
  ・ダビデの勇士たち:8-39節

●人口調査のさばき:24章
  ・人口調査:1-9節
  ・良心のとがめ:10-14節
  ・神罰:15-17節
  ・アラウナでのいけにえ:18-25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】ダビデの歌

ダビデは晩年を迎えていました。失敗もしましたが、何度も神様に助けられ、そのたびに悔い改め、神様の恵みを体験してきました。
多くの偉業を成し遂げてきましたが、その中でも大きいのは賛美の確率です。主を歌を持ってほめたたえるために新しい楽器を発明したりもしました。
そのダビデの賛美がここで主に献げられます。これは詩篇18篇と同じ内容です。人生の最期を迎えようとしたとき、この歌をもう一度主に献げています。

冒頭では主の素晴らしさを宣言しています。荒野に於いて、岩は身を守るための重要な隠れ場所です。主を岩とたとえています。
ダビデはこれらを机上の空論で言っているのではありません。自分が本当に体験したことをこのように歌っています。私たちも自分に主が良くしてくださったことをことばで書き留めておくと良いと思います。それも賛美です。

5節からは自分がいかにぴんちであったかという事実が書かれています。今まで通読を続けて来られた方は、ダビデがいかにいのちの危険を乗り越えてきたかを知ることができるでしょう。
ダビデはそのたびに神様に叫びました。すると、神様は祈りを聴いてくださいます。私たちは自分だけで苦しまなくていいのです。自分だけで苦しみから抜け出そうとしなくていいのです。私たちには聴いてくださる方がいます。御手を伸ばしてくださる方がいます。救いの神に直ぐに助けを求めましょう。

8-16節を見ると、ダビデの祈りに神様がどのように答えてくださるかを見ることができます。
人を創造されたお方、ノアの洪水、バベルの塔、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そしてモーセ…。彼らを大いなる御業によって助けてくださった主が自分にも働いてくださっている事を知りました。

17-20節、救いが自分の力でないことを見ることができます。この箇所の主語は「主」です。矢印は自分には向いていません。自分よりも強い敵が目の前にいるかもしれませんが、主はその者よりも強いお方です。
どのような泥沼、水の深みに自分がいるように感じても、主はそこから力強い御腕を持って救い出してくださいます。

21-30節、主の前での聖さを歌っています。ここでダビデは「私の義に従って私に報い」とありますので、ダビデが完全な擬人かのように感じてしまいますが、そうではありません。
ダビデは罪を犯しましたが、そのたびに罪を認め、悔い改めました。
私たちはダビデの誠実さを見てきたでしょう。主に油注がれた敵が目の前にいても2度もいのちを狙いませんでした。
26節、これは神様が私たちの心の持ち方に応じて答えてくださるお方と言うことを知ることができます。神様は私たちをプログラミングされたロボットのように扱われることはされません。私たちに自由を与えてくださっています。しかし、私たちが選んだものに報いてくださるお方です。
28節は、山上の垂訓にもある、心の貧しい者に共通するものです。
聖書で神、またみことばは光に例えられます。闇は光に打ち勝つことができません。みことばの光が差し込むとわきまえのない者に悟りを与えます。このみことばが私の中の闇を照らします。ですから通読が必要です。
この神のと関係があるからこそ、30節にあるように戦いに出かけられます。

31-33節、ここから沢山の現代の賛美の歌が造られています。
これは戦いの前に宣言されました。もう一度主に心を向けています。「主が私の主なので、私は恐れない、必ず勝利させてくださる」という、自信を超えた神信の宣言です。これを信仰と言います。
36節、主の謙遜が私を大きくされたと書かれています。主は偉大なお方ですが、どこまでも謙遜なお方です。イエス様はへりくだり、死にまでも従われ最も深いところまで行かれました。それ故に神様はイエス様を最も高きところに引き上げてくださいました。
38節からを見ると、主の戦いの様子を見ることができます。圧倒的な勝利です。

44-51を見ると今まで読んできたことが思い出されます。確かに知らなかった民が出てきてダビデに仕えていました。
ダビデはいつも自分の前に主を置いていました。このお方に相談し、このお方がしてくださったことを日常的に感謝していました。また、主の良くしてくださったことを忘れていませんでした。
私たちの日常生活でもこの事が必要です。
ですから、聖書通読クラブのノートを用意しています。残念なことに、私たちは日常の忙しさに、主への感謝が押し流されて忘れてしまうことがしばしばあります。ですから、ノートでも、スマホのメモでもいいですので、すぐに主の良くしてくださったことを記録しましょう。
そして、自分が落ち込みそうになったとき、恐れがやってきたとき、不安がやってきたとき、それらを読み返して、「この時も主は私を助けてくださった、今も助けてくださる、なお、この先もずっと助けてくださる」と自分のたましいに言い聞かせる習慣をつけましょう。

【23章】ダビデの最後のことば

・ダビデの告げたことば:1-7節
ダビデは非常に多くの詩篇を残しましたが、これが人生最後の詩篇です。
2節では、ダビデがなぜこのような素晴らしい詩篇を残したかという秘訣が書かれています。御霊がこの詩篇をダビデを通して語ってくださっているのです。聖書はすべて神の霊感によって書かれています。(2テモテ3:16)神様からのインスピレーションです。
また、ダビデは力で人々を治めていませんでした。神の義をもって治める王です。人生の中でも平和的解決を求めていました。その義を太陽と例えています。地上で見ることのできる最も強力な光です。
ダビデは人生を通して主の素晴らしさを体験してきました。健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときもいつも神様と共に歩みました。本当に幸せな人生です。このお方とダビデにはとこしえの契約が立てられています。わたしたちはどうでしょうか?

・ダビデの勇士たち:8-39節
ここからはダビデの勇士たちの紹介です。ダビデはこのような素晴らしい部下に恵まれました。それはダビデが単に強いだけでもなく、指導力があるからだけでもなく、神様の心、憐れみの心、人々を愛する心を持っていたからでしょう。
まず23節まではその代表的な三人に関して書かれています。ダビデの三勇士です。
まずはヤショブアムです。一度に八百人を刺し殺しました。いわば宣教師的な役割です。出て行って多くのたましいを一度に勝ち取ります。続いてはアホアハ人ドドの子エルアザルです。個人的に大好きな人物です。名前も特徴的ですが、行ったこともすごいことです。手が剣について離れなくなるまでペリシテ人と戦いました。
みことばは剣です。みことばを愛するがあまり、手からみことばが離れてくれないというほどみことばと共に歩む姿を見ることができます。教会の中では教師的な役割です。
最後はシャマです。彼の特徴は畑にとどまって、そこで勝利しました。教会で言えば牧者的な役割です。
この三勇士が共に働くときに強力な御国の前進を見ることができます。
13-17節はダビデがかつてアドラムの洞穴にいたときの三勇士が行った出来事です。ダビデはベツレヘムの水が飲みたいと言いましたが、三勇士は「親分がそう言うなら」と言っていのちをかけて敵の陣に入り、本当にベツレヘムの水を持ってきました。ダビデの生まれ育った所の水です。
ダビデはその水を「いのちをかけて行ったひとたちの血」と言って地面に注ぎました。まるで、イエス様の十字架の前に自分の全財産をもって購入した香油を注いだ女のようです。

そして、アビシャイはダビデの三勇士の頭でした。そう考えるとすごいですね。
ここに書かれている三十人の戦士はどういった人たちだったのでしょうか。もとはアドラムの洞穴にあつまったごろつきどもでした。それがこんなにも立派になっています。
イエス様の弟子たちはどうだったでしょうか。漁師や取税人などでした。
これが神様の法則です。知者を辱めるために無知な者を選ばれます。私もその中に入れられていることを感謝します。みなさんもそうです。

..【24章】人口調査のさばき
・人口調査:1-9節
この章は続く列王記への橋渡しのような形になっています。ダビデの幕屋からソロモンの神殿へと移行していきますが主がその土地をどのようにして選ばれたのでしょうか。
ずっと後に触れると思いますが、この同じ出来事が歴代誌第一21章に書かれています。そこでは「主がダビデの心を動かした」とは書かれておらず「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口調査をさせた」とあります。
矛盾していますね?神様がさせたのでしょうか?サタンがさせたのでしょうか?神様とサタンは仲がいいのでしょうか?
実はこれは同じ事を言っています。ヨブ記でも見るのですが、主はサタンよりも上におられるお方、すべてを支配されているお方です。
サタンでも神様の許し無しには働くことができません。ですからここは、ダビデの欲にサタンが働き、それを神様が許可されたと見ることができます。
私たちにもおなじメカニズムでサタンが働くかもしれません。気をつけましょう。
3節では、すこしわかりにくいですがヨアブの生真面目さを見ることができます。「百倍の祝福」とはアブラハムの祝福です。それをもって、王に「なぜ人口調査をするのか」と問います。つまり、神様がさらに祝福してくださるのに、なぜそれを自分の手柄のようにするのかと言いますが、結局王に説き伏せられてしまいます。
それで結局、人口調査は実施されます。

・良心のとがめ:10-14節
ダビデはこの事にとがめを感じます。私たちもこういうことありますね。頭では悪いと思っていても体が勝手に動いてしまい、心はチクチク痛むこと。これは聖霊様の働きです。
ダビデはとても繊細な心を持っていました。罪を犯したら直ぐに気づく、心に割礼を受けている者です。私たちもそうなりましょう。
かてダビデが主の御心をそこなったウリヤの事が思い出されます。またもや預言者によって神のことばがダビデに告げられます。
しかし、この事は感謝な事です。なぜなら、この地上でのいのちが無くなって締まってからは悔い改めることができないからです。そこで試合は終わります。その先はさばきがあるのみです。もう後戻りはできません。
ダビデは王である故に、このように預言者からこれから起こることを進言してくれる預言者がいました。私たちには最高の預言者、聖霊様が共にいてくださいます。

・神罰:15-17節
神様はここでも御心を変えられました。民を滅ぼす御使いに「もう十分だ。あなたの手を引け」と命じられています。
その背後にはダビデの悔い改めと祈りがありました。17節には罪を自分の事として認め、悔い改めています。悔い改めの祈りは神様のさばきを改めさせます。祈りましょう。いまこそ自分の罪を悔い改めましょう。

・アラウナでのいけにえ:18-25節
神罰が止んだ後、いけにえが献げられます。それがアラウナの打ち場です。後にソロモンの神殿が建設される場所です。
神殿の中でもっと聖なるものは祭壇です。祭壇は悔い改めを意味まします。ダビデが悔い改め、いけにえを献げたところがこれから主が住まわれる宮となります。
ここから何が学べるでしょうか。何を自分の人生に生かせるでしょうか。どのような祈りが必要でしょうか。今、聖霊様が語ってくださっている祈りをしましょう。天の御国はそこからはじまっていくと信じます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 聖霊様、罪について義について裁きについて私に悟らせてください。
    悔い改め、いけにえを献げたところがこれから主が住まわれる宮となり そこに主の宮が建てられること感謝します。

    この性格なかなか変わらないといって諦めずに、
    主イエスの血潮の宣言を続けます。
    諦めずにみ言葉を通読します。

    牧師先生や賛美奉仕者の方たちとタックを組んで立派な礼拝を捧げるためでも、
    人々が恵まれ、たくさんの人々が救われてリバイバルを見たいという、
    私の願いの為でもなく、
    ただ主イエスの十字架を見上げ血潮によって、まず個人的に主のみ前に出て、主の御顔を慕い求めることができますように。

  2. 無知な私を選んでくださった主に感謝します。最後まで主と共に歩む人生を送りたいです。

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