聖書通読クラブ Day 92

聖書通読クラブ Day 92【サムエル記 第二 10章~12章】

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シャローム!

この地上で完全な人はひとりもいません。一つも律法を犯すことなく、完全に歩んだのはイエス様ただ一人です。
「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができない」とローマ3:23に書かれています。
では、問題は何でしょうか。私たちが罪を知らず、罪を認めないということです。
ではどうすれば罪を知ることができるのでしょうか。それがこの通読です。みことばが基準です。ここからずれていることが的外れ、つまり罪です。
そして、それをどのようにしたら認めることができるのでしょうか。それが御霊なる主の働きです。このお方がみことばを教え、私たちに悟らせます。
これは一度きりのものではなく、主とお会いするまで毎日続ける必要があります。それは私たちにとって重荷とはならず、喜びとなっていきます。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第二 10章~12章

■アウトライン

砕かれた悔いた心

●真実を尽くしたのに:10章
  ・恩を仇で返す:1-5節
  ・神の町々のために全力を尽くす:6-14節
  ・ショバクを打つ:15-19節

●ダビデの最大の汚点:11章
  ・王宮に留まるダビデ:1節
  ・目の罪:2-5節
  ・ウリヤを死なせる策略:6-13節
  ・手紙:14-15節
  ・計画の実行:16-21節
  ・ウリヤの死の報告:22-25節
  ・主のみこころをそこなう:26-27節

●罪の指摘:12章
  ・ナタンの知恵あるたとえ:1-6節
  ・断罪:7-14節
  ・このための祈りと断食:15-23節
  ・ソロモンの誕生:24-28節
  ・ラバを攻め取る:29-31節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】真実を尽くしたのに

昨日通読した8章では、イスラエルの国に平和が訪れました。10章はその続きになります。
アモン人の王が死に、息子が王となりました。それでダビデは新しい王に真実を尽くすことを宣言します。一体、何に対して真実を尽くすのでしょうか?
おそらく、ダビデがサウルから逃亡中にアモン人の王ナハシュの所に身を寄せているときに仲良くなったのでしょう。確かにナハシュはサウルに敵対していましたが、ダビデには手を出していません。その事をダビデは「真実を尽くしてくれた」と言っているのです。ダビデの義理堅い姿を見るとき、日本人の私たちは親近感を持ちます。
2-5節までを見ましょう。恩を仇で返すような出来事が書かれています。挨拶にいったダビデの部下を、アモン人のつかさたちはスパイ扱いしました。
それだけではなく、ひげを半分剃り、衣を短く切られました。ひげは男性の象徴でもありました。ですから、丸裸にされたような恥ずかしさがありました。この上もない屈辱です。
ダビデは彼らにどのようにすることを指示したでしょうか。その姿が家族や同朋に見られないように、ひげが伸びるまでエリコに留まるように言いました。かなりの長い期間になりそうです。

6-14節、アモン人はダビデによって制圧されたのですが、再び立ち上がります。アモン人の反逆です。彼らは兵をかき集め、ダビデに対抗しようとしています。もしかしたら、先の屈辱も戦いの口実に用いたかっただけなのかもしれません。
戦いはどうなったのでしょうか。ヨアブが導くイスラエル軍はアモン人とアラム人に挟まれてしまいます。ピンチです。
そこでヨアブは兵を二つにわけ、それぞれに対応するようにします。どちらかがピンチになればもう一方が助けに行くように言い渡し、励ましました。
その結果はどうなったでしょうか。主はイスラエルに勝利をくださいました。アラムは逃げました。アモン人もアラムが逃げるのを見て城壁のある町に逃げ込みました。

15-19節、アラムのしつこさを見ることができます。よっぽど悔しかったのでしょうか。アラムは団結します。
それを聞いたダビデは全イスラエルを招集して対応します。ヨルダン川を渡り、へラムへ向かいます。
アラムは人ぞなえをしてダビデ軍を迎えますが、結果はダビデの圧勝、将軍ショバクはその場で殺されてしまいます。
これでしつこアラム人の問題は解決しました。残るはアモン人です。彼らは町で籠城作戦をとっています。

【11章】ダビデの最大の汚点

1節には、「年が改まり」と書かれています。これはおそらくイスラエルの気候に関係があると思います。その時は雨期になります。ですから、戦は小休止し、雨期が去った時にまた開戦していました。
この戦いではヨアブが最前線で指揮をとっていました。ダビデはエルサレムに留まっていました。王としては当然のことかもしれません。ところが、この事がダビデにとって命取りとなります。
これから、ダビデの人生で最大の汚点を見ていきます。この事を通して、何が学べるでしょうか。完全な人はいないと言うことです。また、王として安定したときに落とし穴が待っているということです。敵は一瞬の隙を突いて、私たちの弱い部分に働きかけます。「自分はもう大丈夫」と思ったときが一番危険であると言うことを覚えておきましょう。

それでは、2節から見ていきます。ダビデは昼寝から起き上がります。王宮の屋上を歩いているときに一人の女性が沐浴している姿を見てしまいます。非常に美しい女でした。
この女性は月のさわりの汚れから身をきよめている最中でした。4節にその事が書かれています。
いくつかの注解書には「この女はダビデ王を誘惑していた」と書かれていましたが、私はそう思いません。ダビデの町に訪れた方はわかるはずですが、歩くのに困難を覚えるほどの急勾配を上っていった所にダビデの町があります。下を見下ろすとダビデがエブス人を打ち破った時に通った地下水脈の入り口、いわゆるヒゼキヤトンネルがあります。女はそこのギホンの泉のほとりで身を洗っていたと考えられています。
ダビデの王宮からこの場所は真下に見える位置関係です。また、女は律法に従って沐浴していました。偶然と思える出来事ですが、これは主からダビデへのテストだったのかもしれませんが、この事を通して主は驚くべき事をなされていきます。
3節を見ると、ダビデは一目見た女性を忘れることができませんでした。使いをやって調べさせるとウリヤの妻、バテ・シェバだと言うことがわかりました。ここでダビデは「そうか」と言って諦めれば良かったのですが、4節を見てください。信じられないことをしています。人の妻と寝ています。明らかに律法違反です。死罪にあたります。
しかも、ウリヤはダビデに忠実に仕えていた勇士です。バテ・シェバの父アヒトフェルはダビデを支える議官です。このような忠実に仕える部下を裏切る好意です。アモン人がダビデにしたよりももっとひどいことを自分の部下にしています。
サウルに対してあれほどまで忍耐できたダビデの忍耐はどこに言ってしまったのでしょうか。こんなにもあっさりと罪を犯してしまうのでしょうか。それが人の弱さです。
5節、なんとバテ・シェバはみごもりました。月のさわりの直後ですので、一番妊娠しやすい時期でした。
ウリヤはずっと戦地に行って戦っています。それなのにバテ・シェバはみごもっています。王宮にいる一部の人はダビデがバテ・シェバを王宮に連れてきたことを知っています。ダビデはこの事実を隠すことができません。どうするのでしょうか。

6-13節を見てみましょう。ダビデの取った作戦は「ひたすらに隠す」という作戦でした。自分のした罪をなんとかしてなかったことにしようとします。みなさんもこのように自分の罪を隠そうとした経験はないでしょうか?アダムとエバは始めて神に罪を犯したときに隠れました。
隠すことは人のすることではありません。神様は真実を隠されます。サタンは私たちに罪を隠そうとさせます。人が神々のようになったことを実行させようとするのです。
ダビデはウリヤを戦地から呼び寄せて、バテ・シェバと寝させてそのことによってみごもったという虚偽の事実をつくろうとします。至って自己中心の考えであり、神に一つも伺っていません。ダビデという偉大な人物を持ってしても、罪の中にいる人はこのように神が見えなくなってしまいます。
しかし、ウリヤはとても忠実で真面目な人物です。ウリヤはヘテ人なので異邦人です。それなのに神を恐れる信仰に満ちた人物でした。
誰がウリヤにこのような素晴らしい信仰と生き方を教えたのでしょうか。実は罪を犯したダビデ本人がこの事を教えたのです。
ここではウリヤが素晴らしい人物に写ります。事実素晴らしいのですが、もっと素晴らしかったダビデが落ちてしまったので、相対的にウリヤが輝いて見えます。
ウリヤに断られたダビデは何度も家に帰そうとしますが帰りません。ダビデの教え通り行う忠実な部下です。

14-25節を見ましょう。ダビデが手紙を書きますが、どういう内容でしょうか。人として考えられないほどの内容です。ウリヤを最前線にだし、その後一気に軍隊が引いてあたかもウリヤが戦死したようにみせかける卑怯な作戦です。
そして、その作戦はみごとに成功しました。忠実に仕えるウリヤは死んでしまいます。非常に残念です。冷静な時のダビデなら絶対に行わない事です。そして、非常に大切な部下を失いました。しかし、ダビデは霊的な盲目となっていたのでその事に気づきません。大きな損失です。

26-27節、何も知らない一般の民は、戦死したウリヤの妻をめとったダビデを素晴らしいと思うでしょう。しかし、そのすべてを知っている神様はそのようにはご覧になっていませんでした。
この章の最後のみことばはそれを物語っています。「ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。」

【12章】罪の指摘

何も知らない一般の人々はめでたしめでたしでした。本当の事を知っているのはダビデと神様です。
妻が昔見たドキュメンタリーで刑事の特集をしていたそうです。刑事に密着するスタッフが「どうして犯人を捕まえるんですか?正義ですか?」と聞いたそうです。すると「かわいそうでしょ。捕まえてあげないと。犯人も苦しんでるんですよ。」と言ったそうです。
多くの逃亡犯は捕まえられたとき「良かった」といってほっとするそうです。罪を抱えたまま歩むのは私たちの想像を超えてつらいことです。
1-6節を見てみましょう。ナタンは預言者です。神のことばを取り次ぐ器です。ですから、神様の心を知っています。それを王に告げなければなりません。
知恵のあるナタンはこのたとえを話します。みなさんもちろん理解できると思いますが、富んでいる人はダビデ、貧しい人はウリヤです。
これを聞いたダビデはそのように反応したでしょうか。5節を見てみましょう。激しく怒っています。怒りは神の義を実現するものではありません。
そして、ダビデが言ったことは「その男は死刑だ」と言っています。出エジプト記22:1には牛一頭を牛五頭でつぐなうと書かれています。だびでは律法以上の事を言っています。「はい」は「はい」。「いいえ」は「いいえ」です。それ以上の事は悪いことです。

7-14節、ナタンははっきりと「あなたがその男です」と言います。王に対してこれだけのことを言える人物は他にいませんでした。
箴言27:5には「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。」とあります。ナタンはダビデの友人でもあります。この関係があるからこそこれだけはっきりと罪を指摘することができました。
前にも書きましたが人の罪を指摘することはとても注意が必要です。
もし、みなさんが全然知らない人から突然注意されたらどう感じるでしょうか?怒りが出てくると思います。しかし、本当に親しい友人や家族から言われると、その注意を聞く耳を持つかもしれません。
神様はダビデを愛しておられました。だからナタンを通してダビデの罪をそのままにされませんでした。悔い改めの機会を与えたのです。
10-12節の事は、このままの事がこの後起こっていきます。ダビデが心の中で罪を犯したその場所で実際に姦淫の罪がなされていきます。
心の中にあるものが口に出てきます。私たちの内に潜むものは必ず面に出てきます。ルカ12:2-3も見てみましょう。
13節、これがダビデの素晴らしさです。すぐに罪を認めます。神様はこの事の故にダビデを愛されます。
私たちも失敗するでしょう。しかし、すぐに罪を認める事はとても難しいことですが大切です。ヨハネ16:8には「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」とあります。
実は、みことばを読み「私は罪を犯しました」と言えることは、御霊なる主の働きです。
ダビデがこの時に記した詩篇があの有名な詩篇51篇です。ぜひ、この事を知った上で声に出して朗読してみましょう。
15-23節を見ましょう。ダビデはナタンの指摘によって、また聖霊様の導きによって目が開かれました。いつものダビデに戻りました。しかし、代償が大きすぎました。与えられた子は病気になります。
16節ではダビデは断食して、引きこもり、一晩中地に伏していました。マタイ6:6には「祈るときには自分の奥まった部屋に入り、戸を閉めて隠れた所におられる父にいのりなさい」と書かれています。ダビデは新約の時代の祈りを捧げていました。
子の癒やしのために祈っていたのでしょうが、おそらくそれ以上に主に対して犯してしまった自分の罪を激しく悔い改めていたのではないかと思います。
そして、ついに子どもは死んでしまいます。本当にかわいそうです。その時ダビデはどうしたでしょうか。
部下の様子から子どもが死んでしまった事を悟ります。すると起き上がり、体を洗って油を塗り、着物を着替えて、主の宮に入り、礼拝します。
普通であれば亡くなったときに喪に服しますが、ダビデは逆のように見えます。ダビデは裁きを受け入れたのです。その覚悟のための祈りだったかもしれません。ダビデは裁きを主におゆだねしました。

24-28節、ダビデは激しく悔い改めました。自分のしたことの後悔だけでなく、主の宮で礼拝していますから神様へと歩みが戻されました。これが悔い改めです。
ダビデのした行為は決して赦されることではありません。しかし、ダビデは自分の罪を認めて悔い改め、裁きを受け入れました。その者にはどういうことが起こるのでしょうか。
24節を見ると、新しい子どもがバテ・シェバの間に与えられます。ソロモンです。次のイスラエルの王です。
ソロモンはヘブライ語で「シェロモー」です。これは「シャローム」の派生語です。つまり「平和、平安」と言う意味の名前です。
神様は失敗を通して私たちを成長させ、恵みを与えてくださいます。悔い改めましょう。悔い改めましょう。今こそ悔い改めましょう。変えられなければならないのはあの人ではなく私です。

26-31節、ここからはまた戦いに話が戻ります。籠城していたアモン人についてです。
ラバの陥落のためにダビデが取った戦略は兵糧攻め、ライフラインの寸断です。「水の町」を攻め取って水路を断ちました。
そしてダビデたちはラバに進み、戦い勝利しました。
多くのぶんどり物がダビデに与えられました。そして、その町の人々を労働者として働かせます。そうしてダビデと民は家路につきました。
今日の箇所を読んで何を感じたでしょうか。神様からどのような事を語られたでしょうか。御国の福音の始まりは悔い改めからです。「悔い改めなさい、天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. ダビデ王の失敗で、家族に不和が起こり、信仰をまともに継承されない子供たちが出て来てしまったことはとても悲惨で、汚点で傷だと思います。

    罪を犯した場所で、同じ姦淫の罪がなされていくのを見ることは苦しいし、何か霊的にハンディを負っていく家族や子供たちは、あまりにも悲惨で読むたび苦しくなります。
    しかし 真の悔い改めをしたとき、新しくソロモンを与えられたことで、ほっとするのですが、ソロモンも将来分裂の元となるものを入れてしまいますね。

    親の罪は子の罪ではないし、子の罪は親の罪ではないというようなことを書かれている箇所も聖書にはありますが罪の責任は負わなければならないし、そのことからダビデ王は、家族や子孫に霊的にハンディーを負わせたことになったのだと思いました。

    み言葉を学べば学ぶほど、今の自分の生き方がどれほど周りに重大な影響をもたらすかを教えられ責任を感じます。

    家族や子供たちに良い証ができているだろか?自信がありません。

    その証拠に私が真実に神に従って生きているのなら、もっと神の知恵と知識に目が開かれ、もっと私の家族や親せき、周りの人々にも影響が及びリバイバルが起こっているはずで、邪魔をしているのは私ではないのかと思えます。

    私の言動一つひとつが周りの人々の永遠の命にかかわることになるので敬虔な恐れを持っていたいと思いました。

    アブラハム、イサク、 ヤコブの神とあるように
    信仰と祝福が三代四代まで受け継がれていきますように

    また、ヤコブのように家族一人一人が個人的に神様と格闘して信仰を持つことができるように祈る必要があると、ヤコブのワードでふと横道にそれるようですが、一緒に示されました。

    一生懸命頑張っているつもりでも、その頑張りすら自己義になって主の働きを邪魔してしまう者です。
    何としても成し得ない自分の力のなさ、弱さを痛感します。

    それでも 真実に神に従って生きる力を与える、そして問題を解決する主イエスの十字架の血潮を感謝いたします。

    イエス様、感謝します。

    日々御霊によって、罪について義について裁きについて悟らせていただき、

    ダビデ王のように 詩編51篇のように、

    >自分のしたことの後悔だけでなく、主の宮で礼拝していますから神様へと歩みが戻されました。これが悔い改めです

    アーメン
    主イエスの血潮により頼み、真の悔い改めに導かれ、主の宮で喜んで礼拝できますように。

    また主の守りの中にあって、たくさんの誘惑や危険から守られますように。

  2. 悔い改めること、祈ることが難しい時もあります。聖霊様に頼ります。感謝します。

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