聖書通読クラブ Day 91

聖書通読クラブ Day 91【サムエル記 第二 7章~9章】

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シャローム!

会う度に「あのときこうしてくれた」といって、感謝を伝えてくれる人がいます。(ごくまれにその逆を言われることもありますが)
自分でも忘れていること、また良くしてあげようと思っていなかったのに、そのように受け取られていたということを知って、本当に感謝だなと思っています。
ダビデは主の良くしてくださったことを忘れませんでした。いつも神へ、そして周りの人に感謝をしていました。その姿勢は王になっても変わることがありませんでした。ダビデが主に愛された秘訣がここにもあると思います。
今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第二 7章~9章

■アウトライン

揺るぎないダビデ王朝へ

●家:7章
  ・一つの家:1-17節
  ・ダビデの祈り:18-29節

●戦いと勝利:8章
  ・メテグ・ハアマの奪還:1-2節
  ・ハダデエゼル:3-8節
  ・エドムをしもべとする:9-14節
  ・正しいさばき:15-18節

●慈悲と恵み:9章
  ・サウルの家の生き残りの者:1-8節
  ・メフェボシェテへの好意:8-13節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】家

1-17節を見ます。
これまでで、ダビデはツロの王から資材を提供され、立派な王宮を建てました。加えて、主が周囲の敵から守ってくださったので安息が与えられたと書かれています。
みなさんも引っ越しして、新しい家に住むと心が躍るでしょう。しかし、ダビデの心は落ち着きません。どうしてでしょうか?2節を見てみましょう。
ダビデは自分のこと以上に主の事を思っていました。主に対して、自分の受けている好意が申し訳ないと思ったのです。
ダビデは友人でもあり、預言者であるナタンに相談します。3節がその答えです。
ところがその夜、ナタンに主からのことばがあります。5-7節を見てみましょう。主はどのようにナタンに仰せられていますか?「そこまでしなくていいよ」と言われています。
6節を見てください。主は家に住んだことはなく、…歩んできた」とあります。主は天で安息されていても良かったのですが、地でイスラエルの民と共に歩んでくださいました。今もみなさんと共に歩んでくださっています。私たちもまだ旅の途中です。救いの達成はまだされていません。やがて私たちが天に凱旋するときか、イエス様が迎えに来てくださるとき、私たちはようやくイエス様と共に天の家に住み、後にこの地で永遠の住まいをもうけます。
8-9節では、今までのダビデの苦労が拭われるような主からのことばがあります。ダビデを「わたしのしもべ」と呼んでくださっています。神様が特別な人にだけ与えられる名誉ある呼び名です。そして9節「地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える」とあります。これはアブラハムにも与えられた名です。マタイの福音書1:1には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」とあります。みなしもべであり、大いなる名を与えられている者です。
10-11節、荒野ではイスラエルの民は定住できませんでした。約束の地カナンでは定住はできましたが、心が主と離れていました。ここでようやく安心して住む家、そして安心して主との関係を築く環境が与えられます。
いつも主だけをみつめるダビデに主が仰せられたことは「主はあなたのために一つの家を造る」ということでした。実際の家を超えたダビデの王朝です。
12-13節、ダビデの子孫、ソロモン、そしてイエス様の姿が見えてきます。
イスラエルの中に今までぼんやりしていたメシヤ像がここではっきりしてきます。ダビデの子孫を通して神の国がたれられると言うことです。イザヤ9:6-7を読んでみましょう。
14-17節、ここで書かれている「子」は誰でしょうか。もちろんダビデの子なのですが、イエス様をも指します。イエス様は神を「アバ・父」と呼ばれています。
そして、この約束は今も成就しますが、完全に成就するのはイエス様がお迎えに来られた後のことになります。
この約束を受けるダビデはなにか主のためにしたでしょうか。もちろん忍耐はしましたが、主のためにはなにもしていないでしょう。しかし、神様からの有り余るほどの好意を受けています。これがまさに恵みです。受けるべきでない者が受け取る、神からの一方的な好意です。この恵みは私たちにも与えられています。

18-21節を見ると、この事がダビデの言葉に表れています。
このダビデの応答を見て何を受け取りますか?ダビデは謙遜です。そして、神とダビデという深い関係を見ることができます。その間に入る者は何もいません。
ダビデの心からの感謝の応答です。私たちは主からの好意を知り、感謝しましょう。言葉と行動をもって主に感謝を献げましょう。
22-24節、ダビデが神をほめたたえています。このダビデの祈りと賛美から学びましょう。これを読み上げるのでもいいと思います。素晴らしい祈りです。
25-29節を見ると、ダビデは大胆な祈りをしています。「私の家はとこしえに祝福される」と言っています。しかしこれは自己啓発的な根拠のないものではありません。主が仰せられたことを自分の口を通して宣言しています。自分のたましいに言い聞かせています。
賛美の司会などで「祝福されます!」とだけお勧めすることも素晴らしいでしょう。しかし、「1ペテロ3:9には『あなたがたは祝福を受け継ぐために召された』と書かれています。ですから今日私たちは祝福されます!」と言った方が力強くないでしょうか?
そのためにもみことばの蓄えが必要です。ですから、毎日通読しましょう。
また、付け加えるなら、「主は言われます」と言って、みことばに書かれていない事を言うことは控えることをお勧めします。これは強い言葉です。一歩間違うと、この言葉を使って、また主を利用して人々をコントロールするイゼベルの霊性につながっていきます。
もうひとつ、「私はこう思います主よ、だからこうしてください」と言うのも控えた方がいいと思います。その中心は誰ですか?矢印はどこに向いていますか?自分ですね。
ダビデの祈りから学びましょう。この祈りを口に出して何度もいのってみましょう。素晴らしい祈りです。

【8章】戦いと勝利

1節、さらっと書かれていますがすごいことです。今まで長い歴史を経ても、どうしようもなかったペリシテを屈服させています。主の働きです。
2節ではモアブを打っています。ダビデにはモアブの血が入っています。曾祖母はモアブ人です。
ダビデはなわでその人たちを測ります。なわ二本、つまり長身の者を殺し、なわ一本、つまり小さき者を生かし従わせました。

3-4節、ダビデはハダデエゼルを打ち、戦車全部の馬の足の筋を切ります。不思議です。ダビデにとって大きな戦力となるはずです。しかし、ダビデはこのみことばを思い出したのかもしれません。申命記17:16を見てみましょう。
5-6節を見ると、ダマスコのアラムがハダデエゼルを助けに来ますが、ダビデはこれをも打ちます。こうしてどんどんと領地を広げていきます。
この一連の戦いで、ダビデは主に伺ってないように見えます。確かにみことばには書かれていませんが、毎回主に伺っていたことは確かです。その根拠は6節後半です。「ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」。ダビデはただ主に従っただけです。そして戦っただけです。勝利は主が与えてくださいました。それであれば、毎回の戦いをきちんと主に伺っていたという事がわかります。勝利の秘訣を学びましょう。
そうしてダビデは多くの物を奪い取り、主にお献げします。私たちも主の知恵を受け、世に取られてしまった物を奪い返し、主にお献げしていきたい物です。

9-14節、ハマテの王トイは賢いかもしれません。ダビデと戦わずに貢ぎ物を持ってきます。そしてそれをも聖別して主に献げています。
昨日見たオベデ・エドムの祝福がダビデに及んでいることに気がつくでしょうか。戦いであろうと、友好的であろうと、主の臨在のとどまるところに、実際的な祝福が伴います。
ダビデは戦利品を自分のものとせず、聖別して主に献げました。戦いの勝利は主がもたらしてくださったと知っていたからです。実際的な品物を持ってきて、主に感謝を献げています。

15-18節、ダビデの政治が書かれています。ダビデは民のすべての者に正しい裁きを行いました。これはできそうで難しいことです。イエス様もたとえで、会堂にお金持ちが入ってきたときと貧しい人が入ってきた時に態度を変えてはいけないよと言われています。
公平さは神の目線です。神様は正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるお方です。(マタイ5:45)このような神様の目と心を求めます。

【9章】慈悲と恵み

ダビデは王になり、様々な忙しさの中にありましたが、愛するヨナタンとの契約を忘れてはいませんでした。サウルの子孫を探すことを命じます。
2-8節を見てみましょう。ダビデはサウル家がどうなっているか知らなかったようです。そこでツィバというしもべに尋ねます。するとヨナタンの子がいると言うことがわかりました。
その名はメフェボシェテでした。サウルとその息子たちが殺されたときに、5歳のメフェボシェテは乳母に抱えて逃げようとしたとき落とされてしまい、それ以来足が不自由でした。
当時のイスラエルでは、王権が変わると全家系は殺されてしまいます。本当ならメフェボシェテは生きていてはならない立場でした。
それだからでしょうか。メフェボシェテはダビデ王の前につれて来られますが、おびえているようです。そして、自分の事を「死んだ犬」と言っています。

9-13節を見ましょう。サウルに仕えていたツィバは、メフェボシェテとその子のために畑で働きます。そして、メフェボシェテはいつも王の食卓で食事をすることが赦されました。考えられないほどの恵みです。

私たちはどうでしょうか。本当なら、私たちは生まれてから死までの一直線の道しかありませんでした。しかし、そこに一方的に神様が救いの御手を伸ばしてくださり、死からいのちへ移してくださいました。そして永遠のいのちを与えられ、主と共に食卓に着くことが赦されています。
それなのに、私たちは未だに自分のことを「死んだ犬」と思っていないでしょうか。私たちはイエス・キリストの死と葬りと復活を信じるなら、値無しに義と認められ、永遠のいのちが与えられます。罪の奴隷ではなく、神の子どもとされました。
それなのに、未だに自分を古い価値観で見ていないでしょうか。その事実はいまだにあるかもしれません。しかし、聖書がどう言っているかの方が大切です。神様が私たちをどう見ておられるかが大切です。聖書が「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言っているのに、「どうせ私は愛されていないんだ」というのは間違っています。それは死んだ犬のメフェボシェテの霊性です。
みことばの洗いを持って新しい価値観へと導かれていきましょう。誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古い物は過ぎ去り、見よ、すべてが新しくなりました。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 大いなる方、主のほかに神はいないこと、一方的な好意が与えられていることを感謝します。

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