聖書通読クラブ Day 90

聖書通読クラブ Day 90【サムエル記 第二 4章~6章】

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シャローム!

ダビデは全イスラエルの王となります。主に伺ってペリシテ人に勝利し、最初の国家事業を成し遂げます。その過程で失敗をしてしまいますが、なんとか無事に成し遂げます。ダビデ王朝の誕生です。
しかし、多くの祝福の中に、不安要素も含まれています。私たちも喜びの絶頂の中にいるとき、この箇所から教訓を得ましょう。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第二 4章~6章

■アウトライン

神の箱を携え上る
●イシュ・ボシェテの死:4章
  ・気力を失うイシュ・ボシェテ:1-3節
  ・ヨナタンの子メフェボシェテ:4節
  ・イシュ・ボシェテの死:5-12節

●全イスラエルのダビデ王:5章
  ・イスラエルの王:1-5節
  ・エブス人を打つ:6-10節
  ・ダビデの町:11-16節
  ・バアル・ペラツィム:17-21節
  ・上っていくな:22-25節

●ダビデの最初の国家事業:6章
  ・神の箱を運び上る:1-5節
  ・ナコンの打ち場:6-11節
  ・オベデ・エドムの祝福:12-15節
  ・喜びはね踊るダビデ:16-19節
  ・ミカルのさげすみ:20-23節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】イシュ・ボシェテの死

サウルの子であるイシュ・ボシェテはアブネルの死を聞いてうろたえます。

そして、4節ではメフェボシェテという人が登場します。サウルの子、ヨナタンの子です。つまり、サウル家の生き残りですが、逃げるときに乳母が落としてしまい、足なえとなってしまいます。

5節を見ると、イシュ・ボシェテは昼寝をしています。調べてみますと、中東では日中が暑すぎるので昼寝をする習慣があるとのことです。サボっていたわけではありません。
そこに略奪隊の二人がやってきて、なんと昼寝をしているイシュ・ボシェテを殺してしまいます。
彼らはなぜそのような事をしたのでしょうか?それは、サウルなき今、新しく王となったダビデに気に入られたいからでした。
彼らの目に良いと思うことを行いましたが、ダビデはその反対を願っていました。平和的解決と和解です。
10-11節をみると、ダビデはごもっともな事を言っています。
その結果、12節で二人の略奪隊長は木にかけられます。木にかけられる者はのろわれた者です。律法の通りダビデはこの略奪隊長たちにしました。

【5章】全イスラエルのダビデ王

この事件で全イスラエルから王がいなくなってしまいました。
そして、ついに全イスラエルがダビデを王とします。
2節をみると、みんなわかっていました。サウルは偉そうにしているだけで、実際はすべてダビデが国を動かしていたことを。
ダビデもそれをわかっていたでしょうが、それでもサウルを敬い続ける姿勢を見習いたいです。
4-5節では興味深い数字が並びます。ダビデは30歳で王になりました。(若いですね!)思い返してみたらヨセフも30歳でエジプトの宰相になりました。イエス様も公の働きを始められたのが30歳と言われています。
続く40年は苦難の数です。イスラエルは40年間荒野をさまよいました。また、断食は40日です。
ヘブロンでは7年6ヶ月、完全数と人間の数です。
そして33年、これはイエス様が十字架にかけられた年齢です。

6-10節を見てみましょう。ここから非常に重要な箇所に入っていきます。
ダビデはエルサレムに来ました。あの、エルサレムです。エルサレムに行ったことがある方はわかると思いますが、非常に急な坂の上に町があります。また、東には家で論の谷、南と西にはヒノムの谷があり、北さえ守れば自然の要害が敵の侵入を防ぐ恰好の町です。ですから、エブス人は6節のようにダビデに言いました。
再度歴代誌第一で見ますが、ダビデは今まで誰も打ち倒すことのできなかったエブス人を倒しました。エブス人は高ぶりの象徴です。この高ぶりにダビデはどのようにして打ち勝ったのでしょうか。
それは地下水路から町の中に侵入するという作戦でした。そのためには低くならなければなりません。
高ぶりに打ち勝つ方法はへりくだりです。これは人にヘコヘコおべっかを使って低くなる事ではありません。
聖書のへりくだりはみことばの通りに行うと言うことです。ルカ14:11には「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
こうして、ここがダビデの町となりました。10節を見てみましょう。主が彼とともにおられたから、この事が成し遂げられました。

11-16節、外国の王がダビデに贈り物を贈っています。そして、彼らがダビデのために王宮を建てました。国内外とも認める王です。
そしてダビデは知りました。主が自分をイスラエルの王として固く立たせてくださったことを。
これまで長い道のりでした。少年ダビデは家族の中でも虐げられ、野で羊とと共に忠実さを学びました。
サウルと知り合ってからは仕える者に追われ、忍耐を学びました。そうして、試練に耐え抜いて良しとされました。ですから、主がこの地位にまでダビデを引き上げてくださったのです。
そしてダビデはさらに妻を迎え、多くの子をもうけました。王権を更に強固にするためです。しかし、この人間的な思惑は返ってダビデにとって足かせとなります。

いつの時代でも強い者はさらに強い敵から狙われます。戦いに終わりはありません。さっそく、ダビデが王になったことを聞きつけて敵が攻めてきます。17-21節を見てみましょう。
ここでも、ダビデの戦い方をします。19節を見ましょう。この習慣を身につけましょう。生活の様々な場面で主に伺いましょう。祈りと一つになっている生き方です。さて、結果はどうだったでしょうか。20節を見てみましょう。
ペラツィムはパラツという言葉の派生語です。意味は「破裂する、決壊する」と言う意味です。なんとなく「パラツ」というと張り裂ける音のような感じがしますね。そのように主は敵を打ち破ってくださり、この町の名もバアル・ペラツィムとなりました。
21節にあるように、彼らの偶像を捨て去ったからです。

22-25節を見てみましょう。ペリシテ人、本当にしつこいです。私なら一気にここで叩き潰したくなりますが、ダビデはどうしたでしょうか?23節を見てみましょう。
なんと、主は今度は「上っていくな」と言われました。みなさんならどうしますか?もちろん、主に従いますよね。
なんと今回は回り込み作戦です。これが主の方法です。自分では思いつかない方法ですが、主に従うなら確実です。
ダビデはどうしたでしょうか。25節を見てみましょう。そしてどうなったでしょうか。当然の結果です。

【6章】ダビデの最初の国家事業

ダビデはこれから大切な初めての国家事業を行います。そのために精鋭三万の兵を集めました。何を行おうとしているのでしょうか。2-5節を見てみましょう。
なんと、ダビデの初の国家事業は神の箱をダビデの町に運び上る事でした。
一刻も早く自分の所に神の箱を持ってきたかのか、新しい車に乗せてウザとアフヨが運びます。車と言ってもエンジン付きのものではなく、牛車です。
最新の車で神の箱を運びます。さぞ華々しい姿だったでしょう。5節を見るとダビデの全家も歌と楽器で喜び踊っています。歓喜の舞です。
しかし、事件が起こります。6-11節を見ましょう。ナコンの打ち場に来たとき、牛が突然暴れます。神の箱が落ちそうになったのを見てウザがそれを押さえます。当然のことのように思えます。
7節を見てください。どうなったでしょうか。なんと打たれて死にました。どうしてでしょうか。神の箱を正しい方法で運んでいなかったからです。
ウザとは「力」という意味です。アフヨは「兄弟のよう」という意味です。「兄弟のような力」が神の箱を御していました。これは神様の方法ではありません。
荒野に於いて、神の箱は誰が運んでいたでしょうか。レビのケハテ族が肩に担いで運んでいました。これが神の箱を運ぶ方法です。
ナコンの打ち場までは神様はこの方法で運ぶことを黙認されていました。しかし、エルサレムに近づくとき、牛を暴れさせ、その方法をやめさせました。人の戦略、人のやり方は主によってストップさせられるときがあります。
ダビデは自分の思いついた神の箱を上らせる事に対して恐れをなしました。それでダビデはどうしたでしょうか。なんと神の箱を異邦人、オベデ・エドムの家に神の箱を送ります。
するとどうなったのでしょうか。なんとオベデ・エドムの家が信じられないくらい栄えたのです。神様の臨在がとどまるところに祝福も伴います。
少し話はそれますが、神様の霊はエルサレムから出て西側に向かいます。そして、ヨーロッパに留まります。その時にはリバイバルと共に産業革命などの経済発展がありました。それから大西洋を渡り、アメリカに移られたとき、アメリカのリバイバルと経済発展がありました。それから更に神の霊は西に進み、アジアに留まっておられます。キリスト教を禁じられている国でも次々にリバイバルが起こっています。ご存じの通り中国やインドなど、アジアの経済発展は目を見張るほどです。そして神の霊は再びエルサレムへと戻られるでしょう。
神の霊の留まるところに実際的な祝福も伴います。

12-15節を見ましょう。ダビデはオベデ・エドムの事を伝え聞き、激しくうらやましく思います。これが異邦人によってイスラエルにねたみを起こさせるという事のひな形です。
主はイスラエルにはみことばを託しました。そして、異邦人には祈りと賛美を開かれました。私たち異邦人がイスラエルの人以上にみことばを愛し、みことばを守るなら、イスラエルの人々がねたみを持つでしょう。その時、ふたつのものが一つにされ、キリストの花嫁が完成されると信じます。
そして、ダビデは再び神の箱をダビデの町に迎える決断をします。そして、律法を調べ直し、正しい方法で神の箱を運びます。13節を見てみましょう。
ここは「六歩進んで」とあります。原語を見ると、「六歩ごとに」ともとれますし、「六歩進んで一度だけ」ともとることができます。いずれにしても、6と1と言う数は一週間の平日と安息日、もしくは聖日と見ることができます。毎週の礼拝の大切さを学べます。
14節をみると、おかしな事が書かれています。ダビデは祭司ではありませんが、エポデを着て踊っています。しかもただの踊りではありません。「力の限り踊った」と書かれています。これは「王である祭司」のひな形です。
民も角笛と大歓声で神の箱を迎えます。

16節、ミカルの姿を見てみましょう。父であるサウルの霊性が見え隠れします。
続く17節、「ダビデの幕屋」が完成します。本来であれば神の箱は聖所の中の至聖所に置かれます。幕で覆われています。ところが、ダビデの幕屋は神の箱がむき出しです。
後に出てきますが、賛美隊がその幕の代わりになります。そこには24時間、365日の絶え間ない祈りと賛美が献げられていたのです。旧約の時代でありながら、預言的に新約時代の恵みの礼拝の姿を見ることができます。
ダビデはこの事がどれほどうれしかったのでしょうか。私財をはたいて民に食事を振る舞います。
ところが強烈なコントラストを持って冷め切ったミカルが出てきます。いやみたっぷりのことばをダビデに浴びせます。
このミカルの言葉は本当でしょうか?ダビデは裸で踊っていたのでしょうか。いいえ。エポデを着て踊っています。たしかに王としての服は脱いでいました。それはレビ人と同じになって喜ぶということをしていただけです。しかし、ミカルの目には裸に写ったのです。しかし、それはその実、自分の姿でした。
ミカルには死ぬまで子どもがありませんでした。残念なことです。
私たちは時にミカルの霊性にとらわれることがあるでしょう。人の成功が面白くないと思えるときがあるでしょう。しかし、みことばは私たちに教えます。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ローマ12:15。私たちが人を見るとねたみやそねみが出てきます。しかし、主を見るならこのみことばを実行できるでしょう。神の箱、主のご臨在を今日も私たちの心に歓迎していきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. どうしようもない私の中の古い人の魂の都市エブス人(高ぶりの都市)はへりくだりをもって打ち破られるのですね。

    わかる気がします。体調がよくなって、自分でできることが増えてくると、自分の力で欲張って頑張ってしまいます。とたん体調が不安定になり、立てなくなります。そして「私の力では何もできません」と主に叫ぶと、また少しずつ体調が良くなって・・・の繰り返しです。

    しかし、ダビデ王がエブス人(高ぶり)に勝ったことを感謝します。
    私の中の高ぶりはペリシテ人のようにしつこいです。

    しかし身を低くして水汲みの地下道を通って、謙遜をもって高ぶりに打ち勝ちます。
    礼拝と忍耐の油注ぎを受け、萎えた足は癒され天の大理石の柱のようになり、膝と脚は全ての挑戦に対してしんちゅうのように堅く立ちます。
    心の目も開かれ、主イエスの十字架の血潮により、はばかることもなく、主の宮に入っていけることを感謝し宣言します。(血潮の宣言 脚と膝より)

    今日は特にこのように宣言したいと思います。
    いつまで?癒されるまであきらめずに宣言したいと思います。

    >私たち異邦人がイスラエルの人以上にみことばを愛し、みことばを守るなら、イスラエルの人々がねたみを持つでしょう。その時、ふたつのものが一つにされ、キリストの花嫁が完成されると信じます。

    その時が待ち遠しいです。
    そのためにも今 力の限りみ言葉を愛し、み言葉を守りたいです。

    イエス様の血潮は、私を父なる神、すべての人々、すべての被造物と和解させ、平安をくださいました。
    (血潮の12の宣言4番より)

    私と父なる神の間も 夫婦も家族も 教会の兄弟姉妹の間も、日本と韓国も、諸外国、
    そして イスラエルと異邦人が和解し
    二つのものが一つとされ、キリストの花嫁が完成され、
    最後のリバイバル、至聖所のリバイバルの祝宴に招かれたいです。

    ヘブル人への手紙12章22節から24節
    22 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、
    23 天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、
    24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。

    この個所を読むたびに、興奮します。

    私自身が乗り遅れまいと、信仰が強められ励まされる思いです。
    至聖所のリバイバルを私が生きている間に見られたなら、どんなに幸せでしょう。

    なにとぞ、携挙前に至聖所のリバイバルまでの回復が起こされますように。
    そして、このリバイバルからも、多くの人々が救われ、ともに携挙にあずかることができますように。
    どうか日本の国家を置いてきぼりにしないでください。

    と願います。

    キリストの花嫁の完成というワードに励まされます。

    そして、ダビデの幕屋

    >続く17節、「ダビデの幕屋」が完成します。本来であれば神の箱は聖所の中の至聖所に置かれます。幕で覆われています。ところが、ダビデの幕屋は神の箱がむき出しです。
    後に出てきますが、賛美隊がその幕の代わりになります。そこには24時間、365日の絶え間ない祈りと賛美が献げられていたのです。旧約の時代でありながら、預言的に新約時代の恵みの礼拝の姿を見ることができます。

    “賛美がその幕の代わりになります”
    このことを教えられ感謝します。
    後に出てくる学びが待ち遠しいです。

    ウザは私に重大な教訓を教えてくれています。
    神の箱に慣れ親しみすぎる心がありませんように。
    主を恐れ、誠に従い、悔い改め、献身の心で、
    新しい創造の基準に従って進み、犠牲と賛美をもって主をお迎えすることができますように。

    王であり祭司の務めを今日も感謝してして果たすことができますように。

    今日も盛りだくさんの学びを感謝します

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