聖書通読クラブ Day 59

聖書通読クラブ Day 59【申命記22章~24章】

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シャローム!

聖書のみことばは、おとぎ話や空想話ではありません。世の中のどの書物よりもリアルで現実が書かれています。目に見える世界から目に見えない霊の世界まで、すべてのことが記されています。
その内容は理想論ではなく、実生活に即した具体的な事柄が書かれています。もちろん、理解しにくい箇所は沢山あります。しかしそれと同時に非常に具体的な部分もあります。
今日の通読箇所は、主に混合の禁止、性的な教えが出てきます。一つひとつを聖霊様に教えられながらみことばをいただいていきましょう。

今日の通読箇所:申命記22章~24章

■アウトライン

聖書が教える性教育

●混ぜない事と性道徳:22章
  ・迷い家畜と紛失物:1-4節
  ・異性の着物:5節
  ・ひなと母鳥:6-7節
  ・屋上の手すり:8節
  ・二種類の種:9-10節
  ・混ぜて織った着物:11節
  ・着物のふさ:12節
  ・結婚と性的犯罪:13-30節

●生活の中の具体的な規定:23章
  ・主の集会に加わる資格:1-8節
  ・陣営を聖く保つ:9-14節
  ・逃亡奴隷の保護:15-16節
  ・神殿娼婦:17節
  ・遊女の儲け:18節
  ・利息の取り立て:19-20節
  ・誓願:21-22節
  ・畑に入るとき:23-24節

●人間関係の規定:24章
  ・復縁の禁止:1-4節
  ・新婚の家庭:5節
  ・質(しち):6節
  ・人さらいの禁止:7節
  ・ツァラアト:8-9節
  ・貸すとき:10-13節
  ・雇い人の賃金支払い:14-15節
  ・自分の罪のため:16節
  ・在留異国人、みなしご、やもめ:17-22節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】混ぜない事と性道徳

申命記の後半は、非常に生活に密着した規定が細かく出てきます。ここでは迷い家畜と忘れ物です。
よく「東京の人は冷たい」と言う人がいます。困っている人がいても見て見ぬふりをする人が多いからです。
聖書は人格教育書でもあります。
家畜が迷っているとき、どうすると書かれていますか?とても誠実な対応では無いでしょうか?誰も見ていないのでごまかすこともできますが、神様はそれを喜ばれません。

5節、これを今の時代にあてはめるのは少し難しいですね。コスプレなどができなくなってしまいます。
原文の意味では「男の衣装が女の上にあってはならない」という意味です。
これはこの後にも続く考え方ですが、混ざることを避ける意味合いが強いのでは無いかと思います。ジェンダーに関しては難しい世の中ですが、それぞれがみことばを受け取り、祈り、考えてみましょう。

6節からは、小さなものにも哀れみをかける心が書かれています。鳥だからと言ってむげに扱うことをせず、いのちの大切さを教えています。一羽の鳥のいのちも、主の許し無しにはこの地に落ちることはありません。いのちある神の被造物です。

8節は家に関する規定です。日本人にはピンと来ないかもしれませんが、中東の家は石造りで、四角く、屋根が平らです。そこで洗濯を干したり、生活の場の一部として利用されていました。
家主が手すりをつけていれば、そこから万が一落ちてしまっても家主に日はありません。隣人への配慮であり、リスクヘッジです。備えをしておくことはいいことです。
パウロの説教中、屋上から落ちて死んでしまった人がいました。その家の屋上に手すりがついていたか否かが気になります。

9節からは二種類の種です。イエス様は毒麦のたとえを用いられました。そこには良い麦と毒麦の二種類の種が蒔かれています。
また、10節では牛とろばを組にして耕してはならないとあります。2コリント6:14-15を思わせます。

11節も混ぜてはいけないと書かれています。ここでは二種類の糸が書かれています。現代では混合の繊維は日常に着られていますが、それは十字架を通して見たとき、主に喜ばれるのか、そうでは無いのか、私にはわかりません。みなさんはどう思いますか?

12節は着物のふさです。民数記15:38から書かれていることです。この四隅のふさは何のためだったでしょうか?民数記を開いて確認してみましょう。

13節からは結婚と性的犯罪に関してです。
エペソ書によると、結婚は奥義です。それ故に人はこの事に関して弱さを覚えることが多いでしょう。沢山の祝福もあり、沢山の悲しいこともあるでしょう。
もし、結婚に関して悲しい経験をされた方が織られたなら、そのような方を責めているのではありません。今、生かされていると言うことは主はそのような方を今もなお愛し、赦してくださっていると言うことです。その事を踏まえた上で、みことばが何を言っているかを見てみましょう。

13節、この人は良い人でしょうか?悪い人でしょうか?この人の矢印は自分を向いているでしょうか?神様に向いているでしょうか?
当時のイスラエル(今も一部の人はそうですが)は、結婚相手を親が決めます。デートすらまともにできず結婚します。婚前交渉など、もってのほかです。
そのようなカップルで、男が女を気に入らず、嘘の証言をしたときの場合が書かれています。
神様の秩序の中、男と女が一つになることはとても素晴らしいことですが、神様の秩序の外で一つになるなら、傷つき傷つけられます。
男と女の愛によっていのちが生み出されると言うことは神様がデザインされた素晴らしい事であります。
しかし、その本来の目的を悪魔は逆手に取り、神様から人を引き離そうとします。私たちが知らないだけで、性産業は莫大な規模になっているはずです。
この問題にどう対処すればいいか、私はわかりません。ただ祈るばかりです。自分を聖く保つことで精一杯です。どなたかいい方法を教えてください。
結婚前の方がおられたら、聖さを死守してください。あなたの聖さを将来のパートナーのために守り、とって置いてください。それは守るのにとても大変ですが、一瞬で失ってしまうもので、もう取り返すことはできません。
話をみととばに戻しましょう。14節に「処女のしるし」と言うものがあります。17節にも書かれていますが、これは新婦が初夜に着る特別な着物です。その着物をまとい、新郎と一つとなるとき、処女膜が裂け、血が流れ出し、着物に付着します。それが処女のしるしです。
これは確かに新婦が今まで婚前交渉していなかったという確かな証拠となります。
男が新婦を気に入らなかったと言って口実を構え、嘘の証言をするなら、新婦の父はこの処女のしるしのついた着物を持って真実を証明します。その場合、口実を構えた新婦は殺されます。
この血のついた衣で何か思い出すことはないでしょうか?黙示録19:13には、「その方は血に染まった衣を着ていて、その名は『神のことば』と呼ばれた」とあります。
これは私の拡大解釈かもしれませんが、イエス様のために花嫁(教会)がこの地で聖さを守って、主とひとつになった「処女のしるし」をイエス様はまとわれているのかもしれません。
もう一度言います。イエス様のために、共に聖さを死守しましょう。

【23章】生活の中の具体的な規定

22章に続き、公の場では、ちょっと大声で話しづらいトピックが続きます。主の集会に加わる資格が書かれています。
ここに書かれている「こうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者」とは、去勢された人を意味します。
聖書の中では宦官が出てきますが、王に仕えるために上のようになった人たちです。王に仕える者が性欲を抑えきれず、過ちを犯さないためにこのようにされたと考えられます。
このような宦官に対して、イザヤ56:1-5では、「息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることの無い永遠の名を与える」と語られています。
また、使徒8:27-39ではエチオピヤの宦官が主の救いにあずかっています。
何かの病気や事故でこのようになってしまった方がおられたら、安心してください。十字架の恵みを通して主の集会に堂々と集えます。

2節もまた、センシティブな内容です。ここで書かれている「不倫の子」とは、「混血の子」「雑種の子」と言う意味です。ここ以外ではゼカリヤ9:6にしか出てこない単語です。
もしかしたら、このような状況で誕生した方やお子さんがいらっしゃるかもしれません。だからと言ってあきらめてしまわないでください。すべての人に神様の藍と恵みは注がれ、救いの道は開かれています。十字架の恵みは私たちの考えを遙かに超えるものです。私たちにはできませんが、神にはなんでもできます。私たちはイエス・キリストを信じているのであれば、神の子とされます。この恵みを受け取りましょう。

9節からは陣営を聖く保つ事に関してです。
まず「すべの汚れたことから身を守る」と書かれていますが、これは「すべての悪いものから守られなければならない」と言う意味です。これは排泄物、汚物を意味します。
11節は文字通りです。
12節では、お手洗いは陣営の外に設けることが書かれています。
14節ではこれを守るなら陣営はきよいと書かれています。以前このみことばを読み、私はお手洗いの中からすべてみことばを取り除きました。みことばは神様ご自身ですから、醜いものを見て離れ去って欲しくないと思ったからです。

15節からは逃亡奴隷の保護です。哀れみの心を見ることができます。
17,18節は売春に関して書かれています。遊女のもうけ、犬のかせぎは主の家に持ってきてはならないと書かれています。犬のかせぎとは、神殿男娼の稼ぎです。主の喜ばれない方法で稼いだものは主が忌み嫌われます。

19節からは利息の取り立てに関してです。誰から利息を取り、誰から利息をとっては生けないのでしょうか?商売をするとき、ここが大きなヒントになるかもしれません。

21節からは誓願です。民数記30章の内容です。あわせて伝道者の書5:33も読んでみましょう。

24節からは畑に入るときについてです。なんだか食べ放題のブドウ狩りのようですね。食べて腹を満たしてもいいが、行き過ぎて持って帰るまで欲を働かせてはいけないと言うことです。
穂を手で摘むことはいいですが、かまで刈ってはいけません。これも行き過ぎた欲を注意しています。自制の実を実らせることが大切です。

【24章】人間関係の規定

まずは復縁の禁止です。ここもとても取り扱いが難しい箇所です。もし離縁を経験された方がおられても、それを責めているわけではないと言うことを覚えておいてください。みことばはどう言っているかに注目します。
1節の「恥ずべき事」とは「事物の裸」という意味でした。これはマタイ19:9にある「不貞」と同じ意味です。
マタイの福音書19:7-9はここを読むと良く理解できるのではないでしょうか。

5節は新婚の家庭についてです。育児休暇という制度ができる遙か前からこの戒めがあります。
社会の共同体の最少単位は家庭だと思います。この家庭がしっかりと築かれていたら、安心して勉強でき、安心して仕事に行けます。家を守る者も家族の帰りを喜んで待ちます。
そのための基盤を1年をかけて築くことができるのです。日本もこの制度を取り入れたら、もっと強い国になるかもしれません。

6節は質(しち)についてです。なぜひき臼が出てくるのでしょうか?それは彼らの主食であるパンを作る道具だからです。
エレミヤ25:10には、ひき臼の音は喜びと書かれています。
ひき臼を質に取ることは、いのちを質に取ることと同じです。

7節は人さらいの禁止です。教えられなくてもわかる当然の事ですが、みことばではっきりと規定されています。

8節からはツァラアトの教えです。レビ記13-14章の内容です。

10節からは貸すときについてです。借りる人は担保を自分で決めることが書かれています。貸す者がその担保を指定することはできません。貧しい者が着物しかなく、それを渡した場合は、夜には返してあげることが書かれています。
これでは、貸した者が損をするように思えますが、13節の後半のみことばが励ましです。このあたりの線引きが素晴らしいですね。相手から何もかも取り上げてしまうと、その人は生きていけなくなります。ここで哀れみをかけ、その人の再出発を祝福するなら、その人が富んだ時にもっと多くの物を返してくれるかもしれません。
しかし、そういう下心からでは無く、真心からこのことを実践してみましょう。

14節からは雇い人の賃金支払いに関してです。
雇い主は働く者の時間を買っています。ある意味いのちを買っているといってもいいかもしれません。その報酬を無駄に伸ばしてはいけません。ヤコブ5:4を読んでみましょう。また、箴言11:24も見てみましょう。

16節は自分の罪のために関してです。いくら親子であっても罪には連帯責任はありません。個人個人で罪に対処しなければなりません。
「親が礼拝に行っているから、それによって子どもは礼拝に行かなくても大丈夫」というのは間違った考えです。さばきの日には主の前で一人ひとりが申し開きをします。そこに親が行って「うちの子はこの時…」と言うことはできないのです。
今日という日に、子どもにみことばをよく教え込みましょう。
17節からは在留異国人、みなしご、やもめに関してです。
ここでも上の人々の人権を守っています。人を人として扱う。ごく当たり前のことですが、今はそれが難しい時代です。SNSなどの誹謗中傷は後を絶ちません。どんな人でも人権があります。いのちがあります。そのいのちを大切にできないのであれば、そのいのちを創造された方を大事にできないと言うことです。神様の目線と心を求めましょう。

19節からも哀れみの心が書かれています。あえて残すことが祝福につながります。私たちはどこから救われたかをいつも覚え、その恵みを実感するとき、主への感謝の心が溢れ、自分が生かされていることを感謝し、隣人への愛が満ちあふれると信じます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 23:9 あなたが敵に向かって陣を敷くときには、すべての汚れたことから身を守らなければならない。
    とあるので、
    霊の戦いに参加する私たちは、無意識の中にも、夢の中でも、私たちの中に主の忌み嫌われるものが一つも無いように守られますように。
    主イエスは、人の心から出てくるものが汚れているのだと言われました、

    まさしく人の心は陰険でそれは治らないとある通りです。
    自分の心を見ると、貧しい者です、汚れきっています。
    自分こそ、その言葉においても、死の毒でいっぱいです。
    それであるのに、人の言葉にも傷ついてしまう者です。
    しかし
    主イエスの十字架があるので、生きていけることを感謝いたします。

    23:14 あなたの神、【主】が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。こうして、あなたの陣営は聖でなければならない。主があなたの中で恥ずべきものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。

    私たちの中に住んでくださっている、何よりも大切な主の臨在がなくなってしまいませんように。
    主イエスの十字架の血潮によって、み言葉の水の洗いによって、自ら衣を洗い聖めます。

    24:18 あなたがエジプトで奴隷であったこと、そしてあなたの神、【主】が、そこからあなたを贖い出されたことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。
    24:19 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。あなたの神、【主】があなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。
    24:20 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。
    24:21 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは寄留者や孤児、やもめのものとしなければならない。
    24:22 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。それゆえ私はあなたに、このことをせよと命じる。

    >19節からも哀れみの心が書かれています。あえて残すことが祝福につながります。私たちはどこから救われたかをいつも覚え、その恵みを実感するとき、主への感謝の心が溢れ、自分が生かされていることを感謝し、隣人への愛が満ちあふれると信じます。

    アーメン
    同じ苦しみを通っている方々を愛し思いやるために、自分がどこから救われたのかを、苦しんだ経験を、救われた時の感謝をいつも覚えていることができますように。

中林 千恵子 へ返信する コメントをキャンセル

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