シャローム!
長い荒野の旅も終わりを迎えようとしています。このモーセ五書といわれる創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は別々の書簡では無く、ひとつの巻物です。もっと言うのであれば、聖書全体も一つの所管になります。
確かに書簡の名前は変わりますが、神様の御心は決して代わることはなく、すべての書簡を貫いています。
それでは、今日からはじまる申命記を、主に期待してみことばを味わっていきましょう。
今日の通読箇所:申命記1章~3章
■アウトライン
従う者、不従順の者
●不従順による放浪:1章
・40年の道のり:1-4節
・真実な神への不信仰:5-46節
●従順がもたらす前進:2章
・戦ってはいけない:1-23節
・根絶すべき民:24-37節
●従順による占領:3章
・2部族と半部族への所有地:1-22
・モーセの不従順:23-29
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】不従順による放浪
一粒の種が地に落ちるなら、次に芽を出す植物からは沢山の実を収穫することができます。モーセは祖のような役目を果たさなければなりません。次世代のリーダーであるヨシュアの背中を押し、約束の地へとイスラエルの民を送り出します。そして、モーセはあれほど憧れていた約束の地を目の前に民に加えられていきます。
ここからしばらくは、モーセが今までたどってきた道のりを思い返すところになります。「あれ?前に読んだ気がする?」と思うのはそのせいかもしれません。
その目的は「だから、主の命令に従いなさい」です。特に申命記では主に従うときの祝福、不従順の時ののろいが書かれています。
2節と3節ホレブからセイル山経由でカデシュ・バルネアに至るのに何日と書かれていますか?また、3節には第四十年と書かれています。これはどういうことなのでしょうか?
みことばは明確に語っていないですが、神様に従い通していれば11日の道のりが、彼らの不従順の故に40年という訓練期間が必要だったのかもしれません。
5節から、モーセは「このみおしえを説明して」と書かれています。この「みおしえ」はトーラーです。それを説明してとありますが、これは教えるという意味と刻み込むという意味があります。
モーセは自分の最期を悟り、神からのみことばを民の心に刻もうと語りかけます。
9-18節を見てみましょう。どこかで読んだ記憶はありますか?モーセが妻のチッポラの父、イテロから教わったことです。「組織」というものが形になったのを見ることができます。
しかし、17節にあるように、人を偏って見てはいけません。人を恐れるのでは無く、神を恐れる必要があります。ヤコブの手紙2章を読んでみましょう。
19節から、誰がイスラエルの民を導いたのでしょうか。神様ご自身です。
しかし、26節からを見ると、イスラエルの民が不従順であったということが書かれています。主が「良い」と言われることに対する不信を言っています。
主はいつも、どんなときも、私たちの状況・環境によらずいつも良いお方です。その事を信じ続けることはできますか?どのようにしてそれを信じ続けることができますか?祈って考えてみましょう。
34節、神様はなぜ怒られたのでしょうか?不平は心から出てきます。心の中心に自分がいるか神様がおられるかです。良い木からは良い実しか実りませんが、悪い木は悪い実をならせます。
39節、誰が約束の地に入ることができると書かれていますか?イエス様も同じような事を言われています。マタイ18:2-3を読んでみましょう。私たちは神の子どもです!
41節から、主がしてはならないと言われることを行うことも不従順です。人はなぜか禁じられるとそれを支度なるという性質があります。人の心は陰険で変わることがないですね。しかし、信じます。神にとって不可能なことはひとつもありません。
【2章】従順がもたらす前進
この2章は、上の1章から時間が経ち、カナンの地を目前にしたときでした。新しい世代は主に従う世代です。
私たちはどうでしょうか?誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた人では無いでしょうか?古い物はすべて過ぎ去り、見よ!すべてが新しくなりました!私たちは主のみことばに従う世代です!
その結果、どうなるでしょうか?7節を声に出して読んでみてください。神の国とその義とを第一とする者の報いと同じではないでしょうか?
16節から、主は戦うべき敵、戦うべきで無い敵を教えてくださいます。何でもかんでも「サタンだ!」と言って、主が命じられてもいないのに霊の戦いをするなら、結果はどうなるでしょうか?
24節を見てみましょう。今度は主は「戦え」と仰せられます。私たちは「どうして?」と言いたくなるかもしれませんが、私たちよりも主の方がいつも正しいことを覚えましょう。
25節。主は私たちを丸腰で敵の所に送られることはされません。敵に恐れを与えてくださいます。
私たちはすでに勝利が確定している戦いを主と共に戦うのです。勝利がわかっていても、私たちは戦いに出る供えをし、時が来たら戦わなければなりません。神との共同作業です。
【3章】従順による占領
3節、誰がバシャンの王オグと民をイスラエルの手に渡されたのでしょうか?主です。主の命じられた戦いのみを戦うなら、負け知らずです。
22節、主は繰り返して語られます。誰が戦いを戦われるのでしょうか?なぜ主は何度もこの事を語られるのでしょうか?私たちが忘れてしまうからです。
人は一度勝利すると、その勝利が忘れられなくなってしまうことがあります。「自分の勝利」と感違いしてしまうからです。誰が勝利をさせてくださったかをいつも思い起こしましょう。そして、主に感謝しましょう。
23節から、モーセは非常に謙遜な者でした。つまり、主に対して従順な者でしたが、ただの一度の不従順のゆえにヨルダン川を渡ることができませんでした。
また、モーセは不従順な民の代表でもありました。25節、これはモーセの本心ですね。「そりゃそうだろう」と思います。しかし、モーセはヨルダン川を渡ることができないというのは主の命令です。主の語られたことはすべて成就します。
この箇所を見るときに、イエス様の姿を見ることができないでしょうか?イエス様は死にまでも従うほど、天の父に対して従われましたが、一方でゲツセマネで「この杯を取りのけて欲しい」と心を現されます。しかし、主に従い通されました。
聖書は私たちに従順を教えてくれます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
ゲッセマネで流された主イエスの血潮を感謝します。
私の敬愛する主イエスは、血のしずくのような汗を流されるまで祈り、
神のみ心に従われ力強い手本を示してくださったことを感謝します。
私自身の思いを打ち砕く、主イエスのゲッセマネの血潮を感謝します
神の子である主イエスでさえも、
偉大な指導者であり、神と触接語り合えたモーセでも、
そしてあの偉大な信仰の祈りの人パウロにも、
聞かれない祈りがあったことを覚えます。
神には、何かしらの大きなご計画があることを信じて、聞かれない祈の時にも、雲のように取り巻いている信仰の証人たちの歩みに習って、御心に従う者となりますように。
「主の恵みは私に十分です。」と、このみ言葉を忘れないでいられますように
神の御心を大切にして、神に信頼することができますように
イエス様の血潮は、私の為に永遠の契約を成し遂げてくださいました。
主イエスの血潮は呪いではなく、神の御心を成し遂げて、祝福を流される血潮であることを感謝します。
永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、あらゆる良きものをもって、私たちを整え、御心を行わせてくださいますように。
思い煩いの迷路に足を踏み入れ、つぶやきを口にする前に、
黙して主イエスの十字架を見上げることができるよう、
ともにいて助け導いてくださる聖霊様、力をください。
主のみ旨に従って、満足するところに私の幸いがあることを感謝します。
愛する主イエスのみ名を通してお祈りします。
アーメン