シャローム!
ビジネスの世界においては、時には腹の探り合いをして、駆け引きをしてビジネスを成立させることがあります。今日の箇所はある意味そういう雰囲気を感じさせる内容かもしれません。
バラムとバラク。この似たような名前のふたりがお互いの腹を探りながら自分の私利私欲を巡って進められる箇所になります。私にとっては非常に難解だったこの場所を精霊様に聞きながらできるだけ丁寧に解説してみました。
みなさんもぜひ自分の聖書を開いて、その中に書かれている神様の恵みを受けとってください。
今日もみことばに教えていただける恵みを感謝します。
今日の通読箇所:民数記22章~24章
■アウトライン
バラムとバラク
●バラムとその預言-上:22章
・バラクの恐れ:1-4節
・バラムへの使者を派遣:5-14節
・2度目のバラムへの使者の派遣:15-21節
・人の言葉を話すロバ:22-35節
・バラムを歓迎するバラク:36-41節
●バラムとその預言ー中:23章
・バラムに呪わせるための準備:1-6節
・バラム第一のメッセージ:7-10節
・バラム第二のメッセージの経緯:11-17節
・バラム第二のメッセージ:18-24節
・バラム第三のメッセージの経緯:25-30
●バラムとその預言ー下:24章
・バラムの第三のメッセージ:1-9節
・第三のメッセージの結末:10-14節
・バラム第四のメッセージ:15-19節
・バラム第五、第六、第七のメッセージ:20-25節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【22章】バラムとその預言-上
今日の通読箇所は、バラムとバラク一色です。個人的には、この箇所は非常に難解な場所でした。みなさんはどうですか?まず、バラムとバラクという人物が出てきますが、名前が似ているのでどちらがどちらかわからなくなってしまいます。
そして、バラムという人物が預言をしますが、それが良いのか悪いのかわからなくなってしまいます。
そして、これは直接イスラエルの民に関することではなく、イスラエルを祝福するか呪うかというイスラエルの民が中心に無いことです。
そのような事が原因で、この箇所を読む度に混乱していました。しかし、今回時間をかけて何度もみことばを読み、調べていく中でだんだんとわかってきましたので、その事をお伝えできたらと思います。
まず、バラクというのは4節の後半を見ると「モアブの王であった」と書かれています。ですから、バラクは王です。混乱を避けるためにも、以後は「王バラク」と書くこととします。
一方、やっかいなのはバラムです。彼は占い師です。ですから、以後は「占い師バラム」と書くことにします。そうするなら、少しは混乱が避けられるのでは無いかと思います。
この占い師バラムはいい人でしょうか?悪い人でしょうか?ここが混乱のもとです。一見いい人のように見えますね。太字の主が占い師バラムに告げているのでイスラエルの預言者のように思ってしまいます。しかし彼は占い師です。7節に「占いに通じているモアブの長老たち」が占い師バラムの所に使わされたことからもわかります。
しかも、王バラクは6節で占い師バラムに対して「あなたが祝福される者は祝福され、呪われる者は呪われることは知っている」と言っていますので、占い師バラムは相当力があり、また信頼されていると言うことがうかがい知れます。
また、占い師バラムに対して、新約聖書はどのように言っているでしょうか。2ペテロ2:15には「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムと道に従ったのです。」とあります。この2ペテロ2章は偽預言者について言及されていますので、占い師バラムも偽預言者であると言うことがわかります。
まとめて言うなら、占い師バラムは主を知っていたかもしれませんがそれよりも金銭や欲望に目がくらみ、主の御心を知りながら自分の利益だけを目的として都合のいいように自分の態度を変えた人物です。
私たちが混乱するのは一見占い師バラムが良い人に見えるからです。
ここから多くのことを学ばされました。やはり、悪い者は「私は悪者だ~!」とわかりやすく登場するのでは無いと言うことです。
多くの人からの信頼を集め、王から信頼され、誰の目にも正しく見え、神の信仰を持っているように見えますが、その実はそうではないということです。
これは黙示録に出てくる反キリストの姿です。最初の三年半はナイスな態度でイスラエルの民に接しますが、残りの三年半は手のひらを返したようにイスラエルの民に接します。
反キリストとは御父と御子を否認する者です。(1ヨハネ2:22b)
見た目に惑わされてはいけません。私たちはいつもキリストにつながり、聖霊様によって真理へと導いていただく必要があります。
そして、そもそもなぜ王バラクは占い師バラムを呼びたいと思ったのでしょうか。その動機は2-3節に書かれています。
王バラクは21:21-35に書かれているすべてを見ました。つまり、あの出エジプトしてきたイスラエルの民が勝利し、目の前に来ていると言うことを見たのです。王バラクの心に、「次は自分たち」という恐れがムクムクとわいてきたのでしょう。
それで、力ではかなわないと感じた王バラクはかねてから噂に聞いている占い師バラムを呼んで、イスラエルの民を呪って自分たちが勝利し、イスラエルの民を追い出そうというのが魂胆です。
王バラクも占い師バラムも自分の事しか考えていない悪い者です。この悪い者同士がお互いの腹を探り合いながら勧められていくのが今日の箇所です。これらのことを頭に入れた上でこの箇所を読むと、少しは理解できるのではないかと願います。
文中で、占い師バラムが主の命令と違った事をしているところがあったならそれを見つけてみましょう。そして、自分の心に聞いて、同じような事をしていないかを祈ってみましょう。
21節からは興味深い事が書かれています。ロバが人間の言葉を話します。まるでアニメのようですが、これは主が起こしてくださった奇跡です。時に主は動物を用いてでも警告を与えてくださいます。
主は占い師バラムが主の御心に立ち返る機会をこの場所で与えてくださっています。
なぜ神の御使いは立ち塞がって占い師バラムの道を阻んだのでしょうか。占い師バラムは向かっているモアブで自分がどれだけちやほやされ、沢山の報酬を受けるだろうと心が上の空になっていたのでしょう。神様の心を知り、神様に伺いを立てていながらこのような欲に心を満たされていた心の目を主はもう一度主ご自身に向けられようとされました。
このロバの箇所をじっくりと通読してみましょう。
36節からは王バラク自ら占い師バラムを迎えに来、いけにえを献げています。どれほど占い師バラムの到着を待ちわびていたかが伺い知れます。38節で王バラクの不満に対して「まあ、そう言わずに、私はここに来てるからいいじゃ無いですか」と言うような事を言っています。その後、占い師バラムが明言したことは何か、みことばを確認してみましょう。
【23章】バラムとその預言-中
前の章の41節からここにつながっていますが、「朝早く」と書かれて椅子ので、王バラクはとても急いでいたのでしょう。
占い師バラムは何をいくつ用意させますか?そして占い師バラムは3節でどこに行きましたか?
なんとそこで神は占い師バラムに会われます。占い師バラムについて見てみると、イスラエルの預言的な要素と異教的な宗教の両方が混ざっているように見えます。主は混ざり物を嫌われます。しかし、そんな占い師バラムにも主は語ってくださっています。
7節からは占い師バラムの第一回目のメッセージがあります。要約すると、
・自分は当方のアラムからイスラエルを呪うために王バラクに連れ出された
・神が呪わないものをどうして呪うことができるだろうか。
・自分が高いところから見るとこの民は他の民と混じること無く彼らだけで集まっていた。
・しかもその数は無数である。
・自分も彼らのように死にたい。
ということになるでしょう。
11節からは、「そうですよね」という結果です。王バラクは占い師バラムをイスラエルをのろうために連れてきたのに祝福しました。不満を抱くのも当然です。
王バラクは原因を考え、イスラエル全体が見渡せなかったからかもしれないと考え、別の所に占い師バラムを連れていきます。しかし、その場所も残念ながら全体が見渡せる場所ではありませんでした。
18節からは二回目の占い師バラムのメッセージです。24節までの内容をまとめてみましょう。
25節で、二回目のメッセージを聞いた王バラクは失望で「祝福ものろうこともするな」と言います。
それに対して占い師バラムははじめから主が告げられたことをみなしなければならず、それを実行しているに過ぎない。と答えます。
王バラクは最後の希望として、今度こそイスラエル全体が見渡せる場所に占い師バラムを連れていくとのろってくれるかもしれないと考えます。
お互いの腹の探り合いを見ることができます。
【24章】バラムとその預言-下
今度は今までと違う方法がとられています。占い師バラムは主がイスラエルを祝福することを良しとしていることを悟り、まじないによってイスラエルを呪うことは不可能だと考え、このような行動をとりました。
3節からは三度目の占い師バラムのメッセージがはじまりますが、先の二つとの違いを見ることができますか?
ここでは五つの表現によって自己紹介をしています。
・ベオルの子バラム
・目の開けた者
・神の御告げを聞く者
・いと高き方の知識を知る者
・全能者の幻を見る者
・ひれ伏して、目の覆いを除かれた者
ずいぶんな自己紹介ですね。人は自信がなくなったときに口上になると言われています。また、立場が悪くなるといいわけをし出します。もしかしたら追い込まれた気持ちがここに出たのかも知れません。
ここでも占い師バラムはイスラエルの麗しさを賛美します。
それに対して10節から、結末はどうなっているでしょうか?王バラクは手を打ち鳴らしています。これは怒りを表現します。同時にあざけり(哀歌2:15)神に対する放漫(ヨブ34:7)
王バラクの願いと裏腹に三度までもイスラエルを祝福した占い師バラムを自分の前から消せと言います。当然ですね。11節は痛烈な皮肉ですね。
それに対して、占い師バラムは12節でどう答えますか?
「たとえどんな宝を積んでも、私は主の告げられたことをそのまま告げるといったのだから、途中で方針を変えたわけでは無い」といいます。それも当然です。
そうして、占い師バラムは15節から四度目のメッセージをします。
ここでは三度目と違って、未来のことのみを告げています。
この内容はおそらくダビデを指しているのでしょう。
一言でまとめると「未来に現れるイスラエルの支配者が、モアブに致命的な打撃を与える」という内容でしょう。
占い師バラムのメッセージは続きます。
アマレクに対して、ケニ人に対して、そして終末を思い起こさせるような内容です。
これら一連の出来事を終え、それぞれ決裂しめいめいが家に帰りました。
この出来事から何を学ぶことができますか?
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
これら一連の出来事を終え、それぞれ決裂しめいめいが家に帰りました。
この出来事から何を学ぶことができますか?
分かち合い
バラク王と、占い師バラムという風に区別すると、本当に分かりやすかったです。
ありがとうございます。
神が、占い師バラムに、何度も私欲の道から悔い改めさせようとしているのに、
サタンの化身のようにバラク王は、景色をかえては占い師バラムを試みていますね。
占い師バラムはその都度、富の誘惑の話に乗っかっていきます。
しつこいサタンの誘惑には主イエスがなされたように、
み言葉をもって立ち向かうべきだと思いました。
しかし、天使を遣わしてでも、ロバに言葉を与えてでも、イスラエルを呪わせない神です。
妬みや、背信の罪はあっても、まじないや占いはないぞ、そんなものに頼らず、神から触接聞ける民だ。まだまだ異邦の民に比べると聖い民だと弁護されているようです。
民数記23章21節から23節
ヤコブの中に不法は見出されず、イスラエルの中に邪悪さは見られない。彼らの神、【主】は彼らとともにおられ、王をたたえる声が彼らの中にある。
彼らをエジプトから導き出された神は、彼らにとって野牛の角のようだ。
まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神が何をなさるかは、時に応じてヤコブに、すなわちイスラエルに告げられる。
占い師バラムの口をとおして、神はイスラエルのことを我が子のように弁護された箇所は、
必ず主にあって勝利する未来のイスラエルがいると、愛情深い目で見てくださっていると思います。
親になって初めて分かったのですが、人がわが子を悪く言うのを聞く時、
あの子は少しやんちゃなところがあっても、とてもいい子なのだと、
我が子の褒めるべきところをアピールしたくなります。
(これを世間では親ばかと言いますね。(#^^#))
介護現場で働いていた時、自分の担当利用者さんのことは、ついつい、他の方よりも大切になってしまい、ひいき目になって、ちょっと困ったことがあっても近い未来はこんなもんじゃないし、今もとても素晴らしいんだと・・・言いたくなってしまったことがしばしばでした。
自分の所属する教会や、親族、お世話になっている、かかりつけの病院や元の職場など、悪く言いたくなくて、かえって自慢したいものです。
脱線するのですが、現実のイスラエルの件です。
私も主に習って、今は??イスラエルとパレスチナ??お互いに訴えあい、裁きあう民ですが、主にあって、二つのものが一つにされ互いに愛し合い同じ神を愛するものと変えられる映像を心の中で、主の目をもって期待して見つめ、イスラエルの為にとりなしていきたいと思います。
主イエスに敵対し、迫害していたアラブ人の方に、イエス様が直接現れ語られて彼は回心し今は牧師として同胞の救いの為に福音を伝える人になっている方がおられると、そしてこんな奇跡が一つや二つではないと聞き、感動しました。
そうですね、イスラエルの東方面パーツを担っている日本のクリスチャンが、
愛をもって祈ることを主が望んでらっしゃるのですから。
アロンの祈り、民数記6章のイスラエルを祝福する祈りをしていきたいと思います。
民数記6章23節から26節
23 「アロンとその子らに告げよ。『あなたがたはイスラエルの子らに言って、彼らをこのように祝福しなさい。
24 【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。
25 【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
26 【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
日本のことですが、
語っても、拒絶され分かってもらえないことが多く、日本は無理なのかと・・・
そして力ない我が身をみると、気落ちしそうになるのですが、主が直接語ってくださらないと始まらないのですね。もし語っても私は管に過ぎず、神がなさる業で、私たちには祈りという強力なツールがあることを感謝します。
これは個人的な想像の域ですが、いろんな本に書いてあるように、この日本も・・・
もしかしたら失われたイスラエルの10部族なのかもしれないと思うと、
日本の為に祈ることも、イスラエルの為に祈ることになるのか・・と思っています。
昨日の礼拝メッセージでもあったように、
また、イスラエルとパレスチナの姿は、裁き批判あう心が消えない私たちの姿で、
他人事ではないことを思います。
私の中の古い人の魂の都市の裁き、訴えの都市が聖絶されるよう祈っていきたいです。
話がだいぶ脱線しました。 すみません。
いつも長くなってしまい・・・でも
ここまで読んでくださった方に心から感謝します。
祝福がありますように