シャローム!
イスラエルの民は荒野で律法を受け、幕屋を建築し、油注ぎ、いよいよ主と共に進みゆく準備が整えられていきます。
その前に彼らは霊的にも整えられ、更に聖められていく必要がありました。
今日の通読箇所はその実行がなされている場面を多く見ることができます。この通りを行うことは難しいですが、イエス様の十字架を通して、私たちの信仰生活に適応できる部分を教えていただきたいと思います。
その多くは私たちの好むものではないでしょう。しかし、主が仰せられたなら私たちは従う必要があります。
それでは、神様の愛に満ちたみことばから、今日も教えていただきましょう。
今日の通読箇所:民数記4章~6章
■アウトライン
さらなる聖めの実践
●レビ人に対する指示:4章
・ケハテ族に対する指示:1-20節
・ゲルション族に対する指示:21-28節
・メラリ族に対する指示:29-33節
・レビ人三氏族の人口調査:34-49節
●苦い水:5章
・身の汚れに関する規定:1-4節
・罪過のための弁償に関する規定:5-10節
・法的に証明できない姦淫罪に問われた女の試財法:11-31節
●ナジル人:6章
・ナジル人に関する規定:1-21節
・祭司アロンの祝福の祈り:22-27節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【4章】レビ人に対する指示
この章はレビ人に対しての事が書かれています。レビ人は12部族の中で特別な部族です。かつてはアロンが金の子牛を作った罪を犯したとき、モーセが山から下りてきて「主につく者は来なさい」と言って最初に来たのがレビ部族でした。
彼らは民族的に悔い改め、主に従う部族となりました。
ここでレビ部族は人口調査の時、他の部族と違った年齢制限がありますが、その違いがわかりますか?彼らが幕屋で仕えることのできる人たちです。
幕屋は移動式です。どのように移動するかというと、まずアロンとその子らが幕屋の中に入り、中の器具を指示通り全部覆います。ケハテ族がそれらのものを直接見ると死んでしまうからです。
ここからわかるとおり、ケハテ族の任務は幕屋の器具を運ぶことでした。2-15節でその詳細を確認しましょう。
ここで、ひとつだけ他の器具と違う覆いが掛けられるものがあるのに気づくでしょうか?それはあかしの箱です。
他の器具の一番外にかけられるのはじゅごんの皮ですが、あかしの箱だけは真っ青の布でした。これは、最も大切なあかしの箱がどこにあるのかが一目でわかるようにされていたのでしょう。
16節からはアロンの子、エルアザルに割り当てられた特別な役割があります。それは何でしょうか?とても大きな責任を担っています。
17節からは、レビ人は絶えてはならないと書かれています。もし彼らが一目でも聖なるものを見たらどうなると書かれていますか?
ところが、私たちはこの目で神様を毎日見ています。ヨハネ1:1には「神はことば」とあります。つまり、みことばを見るなら神様を見ているのです。なのに、私たちは死にません。どうしてでしょうか?みことばを読むときに死ぬ部分と死なない部分があります。それは何でしょうか?神様に俗さない肉の性質は死に、神に属するものはみことばのパンによって生かされます。
21節からはゲルション族です。彼らが担っていたのは幕屋のどの部分でしょうか?
29節からはメラリ族です。彼らが担っていたのは幕屋のどの部分でしょうか?なんだか重そうな物が書かれていますね。彼らはマッチョだったに違いありません。
34節からはレビ人の人口が書かれています。漢数字が並びますが、各氏族の数字はわかりますか?
・ケハテ族:2,750人
・ゲルション族:2,630人
・メラリ族:3,200人
・合計:8,580人
重い物を運ぶメラリ族が多いですね。
これだけの人数がアロンの指示で一糸乱れず幕屋を速やかに運ぶのですから、相当統治のとれた集団だったことがわかります。それは、仕える者すべてがモーセとアロンを、そして何よりもヤハウェなる神を恐れ尊敬していたからです。
こうしてみると、ケハテ族の責任が異常に多いように感じないでしょうか?幕屋の心臓部を彼らが運びます。アロンの子もケハテ族なので、同様に重い責任です。
だからといってゲルション族やメラリ族が低い地位にあるのでしょうか?そんなことは決してありません。それぞれの氏族に仕事を割り当てられたのはモーセでもアロンでも無く神様ご自身です。
仕事の優劣では無く、自分に割り当てられた仕事を忠実に行うことが神の国の建設には欠かせません。
もし、教会の奉仕で優劣があると思っておられる方はその考えを改めましょう。賛美リーダーが偉いわけではありません。受付の奉仕が劣っているわけではありません。神の奉仕に優劣はありません。すべての奉仕は神様のために捧げられる大切な任務です。小さな事に忠実な者は大きな事にも忠実です。
あわせてマタイの福音書15:14-30を見てみましょう。
【5章】苦い水
幕屋が整い、油注がれ、そしてそこで仕える人たちの準備が整いました。まもなく彼らは主と共に旅立ちますが、その前にさらに聖められ、肉的にも霊的にも整えられる必要があります。
レビ記11-15章に書かれていることを実行します。その目的は3節に書かれています。彼らはそれにどう応答したでしょうか?
5節からは罪過のための弁償に関する規定が書かれています。
レビ記の6:1-7の補足的な規定です。
さて11節からは不思議なことが書かれています。姦淫の罪を犯したか犯してないかがはっきりしない女性のとりあつかいについてが書かれています。
本来なら姦淫の罪を犯したら殺されます。しかし、ここでは姦淫の疑いに関してが言及されています。罪が確定していない容疑者です。その真実をどのよう知るかがここに書かれています。
もし疑いを持ったまま夫婦が共に暮らしていたなら、本来は楽しく暖かな家庭がまるで地獄のようになるでしょう。
この箇所で真偽が確かめられる方法はどのようなものでしょうか?手順をノートにまとめてみましょう。
ここでのポイントは「苦い水」です。ヘブライ語で「マラ・マイーム」と言います。この水を飲むと、姦淫の罪を犯していない場合はそのままですが、偽証をし、姦淫の罪を犯したのに黙っていた場合は腹がふくれます。妊娠をしていないのにまるで妊婦のような姿になります。
見た目は妊婦のようなものなのに中にはいのちがない状態です。これは何を意味しているのでしょうか。
詩編1篇を読んでみましょう。福音書の中の律法学者を思い出してみましょう。その共通点は「実が無い」ということです。
キリストにつながるものは豊かな実を結びますが、そうでないものは切り捨てられてしまいます。
私たちは実の無い格好だけの信仰では無く、ガラテヤ5章にあるように御霊の実を結ぶものとなりましょう。
【6章】ナジル人
ここではナジル人に関して書かれています。おそらく、ナジル人に関してはっきりと書かれているのはこの箇所だけだと思います。
聖書の中にはサムソンが有名でしょう。また、サムエルもバプテスマのヨハネも、はっきりとナジル人とは書かれていませんが、前後の文脈から見てもナジル人であると思われます。
ナジル人は「ナーザル」というヘブライ語からできたことばですが、「ささげる、聖別する、離れる」という意味です。
ナジル人の特徴は何でしょうか?どのようにする必要があるでしょうか?3-7節から見つけてみてください。
私たちもナジル人のように聖さを求めていきたいものです。
22節からは非常に重要なみことばです。特に22-24節は暗記しましょう。大祭司アロンの祝福の祈りです。
これは、アロンが民を祝福するときに祈られた祈りです。
「御顔」とは神様のご臨在の事です。主がいつも私たちに御顔を向け、見守ってくださっているという、これほどの安心感は他にありません。このような状態こそ平安な状態です。
そして、27節、「主の名によってイスラエル人のために祈るなら」とありますが、これは直訳すると「彼らが主の聖なる御名をイスラエル人の上に置くなら」と言う意味です。
主は私たちにすべての名に勝る名を使うことができる権利を与えてくださっています。(ピリピ2:9)
このお方のお名前が一番高められているか、いつも聖霊様に教えていただきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
ガラティア人への手紙6章13節から16節
13 割礼を受けている者たちは、自分自身では律法を守っていないのに、あなたがたの肉を誇るために、あなたがたに割礼を受けさせたいのです。
14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。
15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
16 この基準にしたがって進む人々の上に、そして神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。
神が私たちを神殿として住んでくださっているのだから、
また、いつまでも住んでいただきたいから
神が聖であるように、私も聖いものになれるよう
日々、自ら、時間を取って、
主イエスの十字架の血潮と、み言葉の洗いによって聖められたいと思います。
日々聖められて主の霊を宿すものでありますように。
律法においては、神の聖さは、病気や汚れのあるものを拒んだけれど、
福音において恵みの主は、病のある人に触れるどころか抱いて癒し、
死人のいるところに触れてよみがえらせてくださったことを感謝します。
姦淫の疑いをかけられた妻は、公衆の面前で神を乱され、
あんなことをされて
その後、夫を赦せるのだろうか?と、
この個所を読むたびに、自己中な夫だなと思ってしまって、
聖書の真意が私の中に浸透してこなかったのですが・・・
今日になってやっと悟れた気がします。
自分の力で、成し得ず、赦せない問題も、神の前にもっていくことで、
解決するということですね。
平和で、祝福された家庭、教会、遣わされていくところの人間関係を造られるのは、神のなせる業ですね。
聖めの水が、罪のある者には、呪いをもたらすことになるけれど、
新約の恵みをいただいている私たちには、
罪を告白して、悔い改め、信仰によって、
主のみ前に進み出る者には、聖めの水(みことば)になるのですね
私たちは、王であり祭司の召しを受けた者なので、
日々主からのみ言葉の洗いをもって、聖められ、
主イエスの十字架の血潮によって、はばかることなく
民数記6章の祭司がイスラエルの民を祝福する祈りを実行していきたいと思います。
主があなたを祝福しあなたをも守られますように
主があなたに御顔を照らし、あなたを恵まれますように
主があなたに御顔を向け、あなたに平安を与えられますように
そして、御霊によって新しい創造の基準に生きる人々の為にも主が祝福してくださるようにこの祈りを祈ります。
また、主がそれぞれに祈るように示される、今はまだ主を知らない人々のためにも
神の大切な宝の民となる人々です、記念として忘れないでください
覚えてくださいと、
アロンの胸にある(イスラエルの子たち)のように、高価な宝石として、神に守られ胸に抱き肩に担って、(将来の兄弟姉妹の)祝福を祈りたいと思います。
私たちが、御霊によって、新しい創造の基準に生きられますように。
あなたに似た者となれますように。
私たちの中に、キリストを見ることができますように。
私たちの行くところどこにおいても、キリストが運ばれていきますように。
御霊の実を結ぶ者となりますように。
主イエスの御名によって祈ります。 アーメン
イェス様の名前が高くあげられるように祈ります。