聖書通読クラブ Day 39

聖書通読クラブ Day 39【レビ記25章~27章】

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シャローム!

今日でいよいよレビ記が最後になります。沢山の約束や決まり事がありましたが、それらはすべて私たちが間違った道を歩まないための物でした。
十字架を通して新しくされたもの、また、変わらず今も有効なものを聖霊様に教えていただきながら、レビ記最後の通読をしていきましょう。

それでは、今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:レビ記25章~27章

■アウトライン

祝福か刑罰か

●安息日とヨベルの年:25章
  ・安息の年:1-7節
  ・ヨベルの年:8-17節
  ・神様の配慮:18-22節
  ・土地の買い戻し:23-28節
  ・家屋の買い戻し:29-34節
  ・貧しい者への融資:35-38節
  ・ヘブル人奴隷:39-55節

●祝福か刑罰か:26章
  ・服従と祝福:1-13節
  ・不従順と刑罰:14-17節
  ・不作:18-20節
  ・野の獣:21ー22節
  ・剣:23-26節
  ・荒廃:27-33節
  ・地の安息:24-46節
 
●誓願のささげ物:27章
  ・人について:1-8節
  ・家畜:9-13節
  ・家:14-15節
  ・土地:16-25節
  ・ささげられないもの:26-34節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【25章】安息日とヨベルの年

23章では週ごとと年ごと、そして24章では日ごとの礼拝が書かれていましたが、ここからは大きなサイクルが書かれます。

まずは安息年です。6年間畑をたがやしますが、7年目は一年間土地を休ませます。私がイスラエルに訪れたときもちょうど安息年に当たる年でしたので、あらゆる畑が休みを得ているときでした。
人間の考えでは一年間も土地をそのままにしておくなら、次の年から農作物が生産できないのでは無いかと考えてしまいそうです。しかし、これは主の命令です。それに従うときに祝福があります。
今、非常事態宣言などで休業を余儀なくされている方もいらっしゃると思います。ただ「休め」とだけ言われても生活がありますから、それは難しい話です。ですから政府は補助金を出してでも休業をお願いしています。
神様の仰せは一年間土地を休ませる代わりに保証をしてくださいます。それは後ほどでてきますのでそこで見ましょう。

8節からはヨベルの年が書かれています。8節に安息日のカウントの仕方が書かれていますが、それはどのようなものでしょうか。
ヨベルの年は解放の年です。7年ごとの安息年が7回あった次の年がヨベルの年となりますので、50年ごとに2年連続土地を休ませることになります。
今の常識では考えられない事ですね。実際に、このヨベルの年が守られていたかは確実ではないそうです。強いて言うなら、イザヤ61:12、エゼキエル46:17はこれに関係するかもしれません。
この年には安息年と同じ休みが命じられます。

13-17節はヨベルの年にすることが書かれています。それはどういうものでしょうか?聖書を確認してみましょう。

18節からは神様のみことばに従った報いが書かれています。ここで先ほど述べた休業要請の保証金のような事が書かれています。神様は本当に良いお方で、私たちのすべての必要をご存じ直方です。このお方に信頼しましょう。

23節からは土地の話です。ここには地は誰のものであると書かれていますか?私たちは単なる寄留者に過ぎません。ヘブル11:13を見てみましょう。
また、この土地の買い戻しのルールはとてもよくできていて公正に思えます。貧しい者に優しく、彼らが自活できるようになったら買い戻すことができるという、共助のシステムです。ルツ記でこのことが出てきますね。

29節からは家屋の買い戻しです。こちらに関しては土地と少し違います。おそらく、町は人の手によって作ったからでしょう。
ここで注目されるのはレビ人です。彼らはイスラエルのそれぞれの土地に広がっていましたが、自分の土地を持ちません。ですからレビ人には、家に対して土地と同じ掟が用いられました。

35節からは貧しい者への融通が書かれています。弱者を切り捨てない愛のあるシステムですね。

39節からはヘブル人の奴隷について。同胞が何かの理由で貧しくなっても、奴隷としてでは無く雇い人として受け入れることが書かれています。ヨベルの年が6年以内に来れば自由になれました。
42節、奴隷も主人も、すべての人は神の奴隷です。私たちを罪の束縛から解放してくださったのは主なので、お互いの間で差別をしてはいけません。

47節からは主人が外国人であった場合です。その時は買い戻せる親族が彼らが異教の神や文化に染まらないうちに買い取る必要がありました。

54節、外国人であってもヨベルの年には解放が命じられます。
そうして、ヨベルの年には神様の主権がはっきりと示される必要がありました。

【26章】祝福か刑罰か

偶像はほんとうにやっかいなものです。目に見える偶像は、私たちの罪から来る願望や欲望が形になったものです。
神様は私たちを神様の似姿、神様のかたち(イメージ)に創造してくださいました。それを私たちが自分のイメージで作り出したものを礼拝することは恐ろしいことであることを覚えましょう。

3-4節、とても大切なことです。三つの大切なことが書かれていますが、わかりますでしょうか?
ひとつは神様のおしえに従って歩むことです。これは学ぶことです。そして、守ること、これは教えることです。そして行うこと。これは実践です。みことばにたいして、このことを実行していきましょう。
4節、天候も実りも、すべて主のご計画と御手の中にあることを覚えましょう。
その条件は3節をみるとどのようなものなのでしょうか。
神様はイスラエルの地にはじめの雨(ヨーレー)を供え、乾期で河合たちを柔らかくしてくださいます。そこに種をまき、後の雨(マルコーシュ)が降り、農作物を豊かに実らせます。
13節まで続く祝福を見てみましょう。これは私たちにも与えらている祝福です。しかし、これは自動的には与えられません。3節が条件です。
13節、主はくびきの横木を打ち砕いてくださいました。マタイ11:30を見てみましょう。
14節からはこれまでの逆のことが書かれています。その者はどうなると書かれていますか?

34節、民の不従順によって軽んじられていた土地の安息は、民が追い出されることによって与えられます。地が荒れ果ててしまい、強制定期に土地の安息となります。バビロン捕囚もこれが原因で起こりました。

【27章】誓願のささげ物

さて、レビ記の最後です。ここでは誓願のささげ物が書かれています。ここでは人の評価が書かれています。20歳から60歳までの男性が最も高く聖所のシェケルで50シェケルでした。逆に最も低いのは一ヶ月から5歳までで5シェケルでした。
これはあくまでも聖書の評価額であって、年配の方や女性や子どもが価値がないというわけではありません。すべての人は神様の目に高価で貴い存在です。
イエス様は十字架にかかられた年齢は35歳前後と言われています。それならば評価が50シェケルになるはずですが、マタイ27:9を見るといくらで売られているでしょうか?その理由は出エジプト記21:32にあります。つまり、奴隷の値段としてイエス様は売られたのです。

9節からは家畜、14節からは家、16節からは土地に関してが書かれています。

26節からはささげられない物です。家畜の初子と汚れた家畜です。家畜の初子ははじめから主のものでした。出エジプト13:12を見返してみましょう。

こうして、礼拝の書物であるレビ記は最後に十分の一で締めくくられていきます。すべてのものの十分の一は神様の物であることを忘れないようにしましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 愛の神様は、レビ記にも、キリストの福音をそこら中にちりばめておられますね

    25:48 身を売った後でも、その人には買い戻される権利がある。彼の兄弟の一人が彼を買い戻すことができる。
    25:49 または、その人のおじや、おじの息子が買い戻すこともできる。または、一族の近親者の一人が買い戻すこともできる。

    親近者が贖うべきであったから、私を贖うために、キリストは私と同じ肉体をもった人となられたことを感謝いたします。

    現在は、主イエスを信じる者の心に、自由と平安があり、来るべき世(千年王国)では、神の民全員が心以外の事柄もすべて
    ヨベルの年の祝福にあずかれることを思い、感謝します。
    新約のこのみ言葉がそれですね

    ルカの福音書4章18節~19節
    18 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、
    19 主の恵みの年を告げるために。」

    私たちは、いまだ身も心も不完全な者ですが、
    その日・・・ヨベルの年、主の再臨の時には、

    25章41 節 こうして彼とその子らはあなたのもとから出て行き、自分の一族のもと、自分の先祖の所有地に帰る。

    とあるように、神が初めに与えられた最初の祝福を完全に回復するという深い意味があることを感謝いたします。

    ヘブル人への手紙2章14節から18節
    14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
    15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。
    16 当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。
    17 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。
    18 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです

    レビ記から、ヘブル人への手紙のみ言葉を語られた気がします。

    レビ記を学んで
    神に近づく道は、主イエスご自身。
    神に近づく資格を得るのも主イエスによって
    資格としての聖さを保つのも、主イエスによって
    そのために必要なのは献身
    しかしこれも
    主イエスの助けなしでは成し得ない者であることを自覚します。

    み言葉なる主イエスと共に歩めるように
    明日からもみ言葉の朗読の時間を捧げたいと思います。
    捧げているつもりですが、
    逆に多くを与えられ、この時間が愛する主との楽しみな交わりの時になっています。

  2. レビ記を通読出来ました事を感謝致します。
    祭司たちの業務マニュアルのようなみ言葉と感じていましたが、なんと直接神様が多くの事を語っておられた事でしょう。
    今を生きる私にも、聖なる聖なる清い神様と交わり続ける為に、喜ばれる信仰をお捧げする事が出来ますようにと祈ります。

    自分の罪を告白するなら、神様は真実で正しい方であるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちを清めてくださる。

    聖化を求めて、日々成長して行けますように。通読を継続していけますように。

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