シャローム!
パウロはテモテに宛てた第二の手紙で、さらに踏み込んだ牧会に関することを具体的に伝えます。パウロはまもなくその生涯を終えようとしています。今まで得た牧会の知恵を惜しみなくテモテに伝えています。私たちもここから多くの事を学べるはずです。
今日も聖霊様に教えられ、みことばを受け取っていきましょう。
今日の通読箇所:テモテへの手紙 第二 1章-4章
■アウトライン
●神が与えてくださったもの:1章
・冒頭の挨拶:1-2節
・力と愛と慎みの霊:3-14節
・オネシポロの家族
●口のことば:2章
・恵みによって強くなる:1-13節
・熟練した者:14-26節
●神の霊感により書かれた聖書:3章
・終わりの日:1-17節
●しっかりやりなさい:4章
・みことばを宣べ伝えなさい:1-8節
・早く来て下さい:9-18節
・結びの挨拶:19-22節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】神が与えてくださったもの
・冒頭の挨拶:1-2節
この手紙はパウロが書いた最後の手紙だと言われています。パウロはローマで幽閉されていましたが、この後まもなく皇帝ネロによって処刑されてしまいます。
この挨拶でも、パウロは自分がどういう使徒かを書いています。そして、テモテへありったけの愛情を込めて「わが子テモテ」と記したにちがいありません。
・力と愛と慎みの霊:3-14節
パウロは日々の祈りの中でテモテの事を覚えていつも祈っていました。また、彼の存在を神に感謝しています。そして、パウロはテモテの涙を覚えていました。おそらく、エペソでパウロと別れたときの涙ではないかと思います。パウロはこの時もテモテに会いたいと願っていました。
また、テモテの両親のことが5節に書かれています。彼の信仰は誰から受け継がれましたか?三代目の信仰が彼の内にありました。ところが彼の父はギリシャ人でした。この当時は、家庭で教育をするのは主に母親の役目でした。ですから、父が異邦人であっても、母がユダヤ人であれば、その文化を教え込まれるのです。そのようにしてテモテの純粋な信仰が築き上げられました。
そこで、パウロはテモテに注意しています。それは何ですか?おそらく、彼の父が異邦人だと言うことで迫害を受けていたのかも知れません。牧会で大きな問題があったのかも知れません。彼は失望していたのかも知れません。パウロは父の心を持って、与えられた神の賜物を再び燃え立たせるよう言っています。では、神が下さったものは何ではなく、何でしょうか?7節を見ましょう。
これは、特に私たち日本人にとって、非常に重要なことではないかと思います。日本人はおくびょうです。人からの目をことさらに気にします。もちろん、そのことで良いことは沢山あるでしょうが、必要以上に臆病になっては前に進めません。少なくとも、信じる私たちが受けたものはキリストにある力と愛と慎みとの霊です。
パウロはこのようなものを受けているのだから、福音のために苦しみを共に担ってくれるよう願っています。弟子にとって、師匠と同じ重荷を負い合えることは非常な喜びでしょう。
パウロはローマで捕らえられている中で、自分の人生を振り返っているようです。9節を見ましょう。彼は自分の人生を後悔しているでしょうか?その働きは自分の意思で行っていたことでしょうか?
それらの事がイエス様の現れによって明らかにされました。10節後半を見ると、イエス様はどのような事をして下さいましたか?
パウロはこの福音のために五役者のうち三つを任命されています。そのことで多くの苦しみや恥を受けてきましたが、パウロはそのことに対してどう思っていますか?12節を見てみましょう。
その様な事を伝えた上で、テモテにどのように勧めていますか?
・オネシポロの家族
パウロがローマで捕らえられ、アジヤにいる人々は離れていきました。人々はパウロに期待することをやめてしまったのでしょう。その中でも、二名を名指して言っています。彼らは、福音宣教の中で、仏g法が起こり、他の人が自分の都合に合わせてくれないという理由で去って行きます。それだけではなく、福音の一部を取って自分たちの教えとし、パウロがいかに間違っているかということを人々に流布していたそうです。
しかし、その様な中でも、オネシポロの家族はパウロを元気づけ、ローマでも自分の事を顧みずにパウロを捜して訪ねてきてくれました。パウロはそのことを感謝を持ってここに書いています。
【2章】口のことば
・恵みによって強くなる:1-13節
パウロは何度もテモテをはげまします。何によって強くなりなさいと言っていますか?これはただの恵みではありません。原語の意味では「キリスト・イエスの中にだけ見いだされる恵み」という意味です。また、聞いたことを他の人に教える力のある人に委ねなさいと言っています。先ほどのフゲロとヘルモゲネのようにならないためです。
ここから、パウロは兵役のことを語ります。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、苦しみを共にして欲しいと願っています。兵士はいのちがかかっています。ですから、中途半端な仕え方はできません。そのために鍛錬し、訓練します。また、日常生活に関わることはできないでしょう。訓練し、戦いに勝利して徴募したものを喜ばせるためです。
また、競技をするときは、ルールに従う必要があります。そうしてはじめて栄冠を得ることができます。神の国の規定は何でしょうか?みことばです。このみことば通りに生きるとき、神から朽ちない栄冠を受けることができます。
また、農夫は自分の作った収穫を一番に味わうことができます。これは主からの報いを意味しています。主のためにした苦労に主は報いてくださいます。
そして、これらのことをよく考えなさいと言っています。この三つのたとえの言っている意味を良く考えて理解しなさいと言っています。牧会者にはこのような力が必要です。たとえ、自分にその様な力が無いと思っても、主に求めるなら、必ず理解する力を与えてくださいます。これはみことばの約束です。
8節では、パウロの伝えた福音で言っているとおり、イエス様の事を、いつも思いなさいと言っています。イエス様のことを考えることで頭をいっぱいにするのです。そうするなら、あらゆる心配は去って行くでしょう。イエス様の事を思うことで忙しくなるのです。
9節で、パウロは自分とみことばの対比を宣べています。自分はローマでつながれているのですが、みことばはなににもつながれないと言っています。その上で、パウロは忍耐を教えます。自分のためではなく、主のために耐え忍ぶのです。そうするなら、主からの報いがあります。
私たちはイエス様と共に古い自分を葬り、新しい人に生まれ変わりました。12節にあるように、もし、私たちが耐え忍んでいるならどうなると書かれていますか?しかし、もし彼を否んだらどうなるでしょうか?イエス様は忠実で真実なお方です。
・熟練した者:14-26節
パウロは牧会するとき、これらのことを人々に思い出させるようにテモテに勧めています。また、牧会の場でしてはならないことが14節後半にありますが、それは何ですか?とても厳しいようですが、大切な事です。まず、自分がこれをしないように心がけましょう。
そして、自分自身がどのような牧会者の心を持っているべきかを15節で書いています。熟練した者とは何でしょうか?私たちの目指すべきところもここです。
また、パウロは繰り返して口のことばについて語ります。16節には何を避けなさいと書かれていますか?彼らの話は何のようだと17節に書かれていますか?それを行ったのがヒメナオとピレトです。彼らはどうなってしまったのでしょうか?18節を見ましょう。
しかし、だからと言って神の真理は変わりません。19節にあるとおりです。
パウロは信じる者を家の中にある器に例えます。確かに、家の中には様々な器があり、その用途によって使い分けています。パウロは私たちはどのような器となることを勧めていますか?そのためにどうするべきだと書かれていますか?有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなることが大切です。
そのため、避けるべき事があります。それが若いときの情欲です。どのような人たちと共に、何を求める必要があると22節にありますか?
そして、またまた23節では口のことばが語られています。それほど牧会にとって、口のことばは重要なのです。
特に、主のしもべは争ってはいけません。むしろどうすべきだと24節にありますか?また、反対する人たちにはどのように接する必要がありますか?すると、神は彼らに何を与えると書かれていますか?そのことで、目覚めて悪魔のとらわれから解放されるかもしれません。
【3章】神の霊感により書かれた聖書
・終わりの日:1-17節
パウロは終わりの日のことを語ります。終わりの日にはどのような時代がやってくると言っていますか?正に、今が終わりの時代です。その時に人々の心が傾く傾向があります。これは非常に具体的に書かれている罪のリストでもあります。一つひとつを見ながら、日々の悔い改めのテキストとしても用いてみましょう。このみことばによって自分の中の罪の性質を確認することができるでしょう。
これらの事の結果は5節にあるように、見えるところは敬虔でも、その実を否定する者です。詩篇1篇にあるように、またイエス様も繰り返して言われているように、見た目は立派ですが中身のない者です。偽善者とも言います。
こういう人々の中にはひどいことをしている者もいます。6節を見ましょう。もし、私たちがこれをされる側だとしたら、どうしたら異でしょうか?惑わされないよう、みことばをしっかりと心に刻んでおくことです。そうすれば、だまされません。
しかし、そうでない者はだまされ、7節のようになります。本当にかわいそうです。学んではいるのですが、成長の無いものです。このような人は荒野でモーセに逆らったヤンネとヤンブレのように、真理に逆らうと書かれています。彼らは何だと8節後半に書かれていますか?ひどい書かれ方ですが、その通りなのでしょう。そのような状態になると、それ以上前に進めなくなります。
しかし、テモテはどうしたでしょうか?10節を見ましょう。必死でパウロに着いていきました。宣教の中で、本当にひどい迫害を受けましたが、その中からも主は助けてくださいました。
12節に注目してください。迫害されるのは、主にあって敬虔に生きていることのあかしです。逆に迫害がないのであれば、もしかしたら私たちはこの世と調子を合わせる生き方をしているのかも知れません。
ところが、悪人や詐欺師はどのようになるでしょうか?13節を見ましょう。
このような時代だからこそ、私たちは徹底したいことがあります。みことばに留まり続けることです。
15節後半に、聖書の力が書かれています。何を受けさせることができますか?また、聖書はすべて何によるものだと17節にありますか?実際に文字にしたのは長い時代をかけ、様々な地方でユダヤ人、異邦人など様々な人が記しました。しかし、彼らに思いを与えたのは同じ聖霊様です。ですから、このようにみことばに記されています。
また、聖書は何のために有益でしょうか?その4つを確認してみましょう。その目的は何でしょうか?17節を見ましょう。このために、私たちは毎日聖書を通読しているのです。
【4章】しっかりやりなさい
・みことばを宣べ伝えなさい:1-8節
パウロはここで、一段と厳かに命じています。何を伝えたいのでしょうか?2節を見てみましょう。何を宣べ伝えなさいと言っていますか?人の考えではありません。何も混ぜないみことばを宣べ伝えるのです。二番目は時が良くても悪くても、しっかりやることです。三番目は寛容を尽くし、絶えず教えながら責め、戒め、また、勧めることです。これは牧会はもちろん、家庭でも、また会社や学校でも用いることができます。
一見、これらは厳しい事のように聞こえますが、キリストの愛が土台となっています。また、この時の時代背景は、多くの偽教師がいました。そして、教会の中に自分の都合の良い教えをする教師を招き、福音をゆがめている者もいました。そして、教会でみことばを語るのではなく、空想話をするような時代になると言っています。彼らの中心は自分です。
しかし、そのような中でもパウロはテモテにどのようになれと言っていますか?
パウロはまもなく死刑が宣告されることを感じていました。そのことを御霊に感じ、パウロはどのように言い残しているでしょうか?6-8節を見ましょう。人生の晩年で、胸を張ってこのように言える生き方をしたいと願います。
・早く来て下さい:9-18節
パウロは自分の生きている間にテモテに会いたいと願います。また、自分ところから去って行った人、一緒にいてくれた人を挙げています。そして、かつて激しい反目で別行動を取ったマルコを一緒に連れてきてくれと願っています。主は彼らを和解へと導いてくださいました。パウロは彼のことを「役に立つしもべ」と呼んでいます。
14節には、冒頭で出てきたパウロを苦しめた銅細工人が書かれています。パウロは最初、誰からも支持されず、見捨てられました。
しかし、主はパウロと共にいてくださいました。力を与えてくださいました。その結果はどうなりましたか?17節後半を見ましょう。
主はパウロをどうして下さいましたか?18節を見ましょう。
・結びの挨拶:19-22節
プリスカとアクラはパウロの働きを助けた同労者です。また、いろいろな人の名前を挙げてよろしくと言っています。パウロはいつもこのように、自分に良いことをしてくれた人を覚えて、文字に書き感謝を伝えています。私たちもこのように、具体的に感謝をあらわす習慣を身につけましょう。
主がみなさんの霊とともにおられますように。恵みが、みなさんと共にありますように。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。