聖書通読クラブ Day 340

聖書通読クラブ Day 340【コロサイ人への手紙 1章-4章】

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シャローム!

今日も一日でコロサイ人への手紙を通読します。コロサイも、ピリピと同様にまだ若い教会のようです。しかし、ここでも同じ問題が起こっていました。それは福音を曲げてしまう者たちの存在です。
現代においても、その霊性は今もなお働いています。様々な教えが簡単に得ることができる時代です。中にはすばらしく、もっともらしいことを語っているものもあるでしょう。
しかし、その様な中にあって、私たちはしっかりとみことばの土台の上に立つ必要があります。賢く見分け、何が主によろこばれることかを選び取っていただく必要があります。
そのために欠かせないのがみことばです。今日も聖霊様に導かれながら、いのちのみことばをいただいていきましょう。

今日の通読箇所:コロサイ人への手紙 1章-4章

■アウトライン

●すべては御子のために:1章
  ・挨拶:1-2節
  ・天にたくわえられている望み:3-8節
  ・神のみこころに関する真の知識:9-23節
  ・キリストにある成人:24-29節

●かしらに結びつく:2章
  ・キリストの内の宝:1-5節
  ・彼にあって歩む:6-7節
  ・無効にされた債務証書:8-15節
  ・次に来るものの影:16-19節
  ・人間の好き勝手な礼拝:20-23節

●すべてに愛を:3章
  ・上にあるものを求める:1-4節
  ・新しい人を着る:5-11節
  ・愛の結びの帯:12-17節
  ・妻、夫、子ども、父、奴隷たち:18-25節

●親切で塩味の効いたことば:4章
  ・主人たち:1節
  ・機会を十分に生かす:2-6節
  ・パウロの様子:7-9節
  ・結びの挨拶:10-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】すべては御子のために

・挨拶:1-2節
コロサイの町は小アジヤにあります。エペソの町の東側です。パウロはここに訪れた事がないのかもしれません。4節からそのことがわかります。おそらく、コロサイの教会はエパフラスによって建てあげられました。パウロはこの教会にローマの獄中からこの手紙を書いています。
この手紙がどうして書かれたかというと、詳しくは2章で見ますが、間違った教えが入って来たことが原因です。知恵や知識を重んじるグノーシス主義、肉や割礼、安息日を守らせようとするユダヤ主義、天使を礼拝する神秘主義、さらに、飲み食いを禁じる禁欲主義などです。ですから、この手紙ではキリストが強調されています。

・天にたくわえられている望み:3-8節
パウロはコロサイにまで福音が届けられていることを喜び、彼らのために祈っています。彼らはイエス様に対する信仰と同時に、兄弟に対する愛を抱いていました。パウロは彼らのそのような実を見て喜んでいます。
パウロは5節で、それらは何に基づくものだといっていますか?1コリント13章にあるように、信仰と希望と愛はひとつです。この希望は、何の中にありますか?そして、この福音は勢いを持って世界中で実を結んでいます。それは今もなお衰えず、広がり続けています。そうして、福音は私たちの所にも届きました。

・神のみこころに関する真の知識:9-23節
パウロはコロサイの人たちの事を聞いた日から、絶えず祈っていると言っています。具体的には何を祈っていますか?9節後半を見ましょう。この祈りが全ての人に実現しますように。
また、10節では別の事について祈っています。それは何でしょうか?9節では真の知識に満たされるように祈りました。しかし、それだけでは不十分です。聞いたなら実行しなければなりません。そして、実を結ぶのです。
さらに祈りは続きます。11節では何を祈っていますか?従順と忍耐、寛容です。そして、12節では感謝がささげられています。この祈りを持って私たちの内なる人が立てあげられていきますように。
神様は私たちをどこからどこに移して下さったと13節に書かれていますか?この御子のうちにあって、私たちは贖い、罪の赦しを受けています。イエス様のいのちによって、私たちは罪の奴隷から買い取られました。
この御子はどのようなお方でしょうか?15節を見ましょう。さらに、16節には万物は誰によって造られたと書かれていますか?また、誰のために造られましたか?私たちは勘違いしてしまいます。この地球上の全ては人のために造られたと。そうではないのです。すべては神のために創造されたものです。私たちのものは何一つありません。このからだすら、私たちのものではなく主のものなのです。
また、今の地球、さらに宇宙のすべての天体が絶妙のバランスを持って保たれているのは、誰によって保たれているのでしょうか?それは自然にできるものではありません。忠実に四季が巡ってきて、毎日日が昇り、沈みます。月は満ち欠けを繰り返します。このすべては御子が保っていてくださり、この方によって保たれています。
さらに、18節にはキリストはからだである教会の何だと書かれていますか?また、このお方ははじめであり、使者の中から最初に生まれ、復活されたお方です。こうして、イエス様はご自身において第一のものとなられました。
また、神はイエス様にどのようにして下さったのでしょうか?19節を見ましょう。そのようにされたのは何のためでしょうか?20節を見ましょう。私たちはこの方によらなければ本当の和解を得ることはできないのです。これは神と人の関係にとどまらず、人と人、また、人とすべての被造物との和解です。
私たちもこの方を信じるなら、神との和解を得ることができます。その目的は何でしょうか?22節後半を見ましょう。
ところが、このためには条件があります。23節を見ましょう。福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまることです。何もせずにこの祝福にあずかることはできません。私たちも犠牲がひつようです。

・キリストにある成人:24-29節
パウロはこの事をもって、キリストの苦しみの欠けている所を満たしていると言っています。これは、イエス様が十字架の上で苦しまれた事が不十分だと言っているわけではありません。頭であるキリストにつながる教会にも苦しみがあります。パウロはこの時、獄中で自由が奪われるという苦しみの中にいます。これはキリストの苦しみが、教会を通して現れるひとつであり、パウロはそれを喜んで受けています。これは多くの世代にわたって隠されていましたが、今、神の聖徒に現された奥義だと言っています。その奥義とは何でしょうか?27節を見ましょう。パウロはこのキリストを宣べ伝えています。その目的は何でしょうか?28節後半を見ましょう。パウロはこの事のために奮闘しています。私たちも成人となりましょう。成人とは完全な者と言う意味です。

【2章】かしらに結びつく

・キリストの内の宝:1-5節
パウロは会ったことのないコロサイの人たちに、ラオデキヤの教会と共にパウロがどんなに苦闘していたかを知って欲しいと願っています。どうしてでしょうか?2節を見ましょう。四つのステップがありますが、それは何でしょうか?このキリストの内に何がすべて隠されていますか?人は知識を得たい、知恵を得たいとあらゆる学問を学びますが、そのすべてはイエス様の内にあります。と言うことは、イエス様を知るなら全ての知恵と知識を得ることができるのではないでしょうか?これが本来の教育です。学校で習っていることも大切ですが、それはどちらかと言えば教科学習になります。本当の教育はイエス様を知ることです。
また、パウロがこれほどまでにイエス様を強調するのはどうしてでしょうか?4節を見ましょう。彼はローマでつながれていても、霊においては彼らと共にいると言い、はげまします。

・彼にあって歩む:6-7節
その上で、コロサイの人々に、「あなたたちはイエス様を受け入れたのだから、彼にあって歩みなさい」と言います。7節では4つの具体的なことを語っていますが、それは何でしょうか?私たちもこれを行っていきましょう。

・無効にされた債務証書:8-15節
パウロはあのむなしいだましことの哲学にだれのとりこにもなるなと注意しています。その特長は何かと言えば、人の言い伝えだと言うことです。それらは幼稚な教えだと言っています。これが冒頭で分かち合った知恵や知識を重んじるグノーシス主義、肉や割礼、安息日を守らせようとするユダヤ主義、天使を礼拝する神秘主義、さらに、飲み食いを禁じる禁欲主義などです。それらはキリストによるものではありません。
キリストの内に満ちている物は何でしょうか?9節を見ましょう。私たちはキリストによって満ち満ちています。私たち教会はキリストのからだ、キリストは教会の頭です。頭に満ちている物がからだに流れます。
そして、この方によって私たちは人の手によらない割礼を受けました。何を捨て、何の割礼を受けましたか?これが私たちが受ける割礼です。肉の割礼とはちがいます。
また、12節には私たちの復活の信仰が書かれています。何によって私たちは葬られましたか?これは私たちの古い性質、肉の性質です。かつては私たちは罪の奴隷の中にいました。しかし、イエス様はそのような私たちに現れて下さり、罪を赦してくださいました。そしてキリストともに生かしてくださいました。イエス様が来られる前、私たちは多額の負債を負っていました。しかし、イエス様によって債務証書は無効とされたのです。神様は私たちが持っていた、罪によるはらいきれない債務証書をどうして下さいましたか?14節後半を見ましょう。さらに主は15節のようにして下さいました。

・次に来るものの影:16-19節
16節に書かれているのがユダヤ主義です。近年でも、教会の中にイスラエルの文化を受け入れる傾向があります。それは素晴らしいことです。なぜなら、イスラエルと教会は切り離せない関係にあるからです。ところが、それが行き過ぎてしまうと、祭りを守らなければ救われないという所にまで行ってしまいます。
また、原語を重視しすぎて、大切なみことばの本分を見失ってしまうことがあります。考えてみてください。誰よりも原語に詳しいイスラエルの民がイエス様から一番遠くにいるのです。
彼らの信じている旧約聖書の様々な約束は次に来る者の影です。本体はキリストにあります。旧約聖書はすべてイエス様を指し示していることなのです。
また、18節に御使い礼拝者の事が出てきます。御使いは人に仕える霊です。御使いを礼拝しては行けません。私たちが礼拝するのは父、子、御霊なる神のみです。彼らの特長は18節後半から19節に書かれています。現代で言えば、「霊的」な事を沢山語るのですが、みことばを読もうともせず、また、教会に所属しようともしない人たちです。気をつけましょう。
私たちはキリストのからだです。もし、私たちのからだの一部が切り離されてしまっては、その切り離された部分は生きていけなくなります。同じように、私たちがキリストから離れるなら生きていけないのです。私たちはかしらなるキリストにつながることで、世界中の神の家族が神の御からだとして成長することになります。

・人間の好き勝手な礼拝:20-23節
パウロは再度、人の戒めと教えについて警告します。23節を見ましょう。人間の好き勝手な礼拝、行き過ぎた謙遜、肉体の苦行をすることで、自分を立派に見せようとしてはいけません。それらは肉のほしいまなの欲望に対しては、何のききめもないと言っています。

【3章】すべてに愛を

・上にあるものを求める:1-4節
もし、私たちがキリストとともによみがえらされたなら、何を求めなさいと書かれていますか?そこには誰が何の座を占めておられますか?これが天の御座です。ですから、私たちは何のことを思わず、何を思わなければならないでしょうか?
3節によると、私たち信じる者はすでに死んでいるというのです。しかし、私たちのいのちはどこに隠されているのでしょうか?これ以上に安心できる隠れ場はあるでしょうか?
しかし、私たちのいのちであるイエス様が現れてくださると、私たちもその隠された所から栄光のうちに現されることになります。

・新しい人を着る:5-11節
ですから、私たちは地上のからだの諸部分、すなわち、何を殺してしまいなさいと書かれていますか?このむさぼりが何であるかと書かれていますか?旧約聖書の中で、金の子牛を造って礼拝したと書かれていますが、それだけが偶像礼拝ではありません。むさぼりが偶像礼拝だと聖書は規定しています。このむさぼりが具現化したのがいわゆる偶像です。そこに神の何が下ると書かれていますか?
かつては私たちもそのような中に生きていました。しかし、イエス様を信じた今はそのように歩んではなりません。8-9節を見ましょう。私たちは何を脱ぎ捨て、何を来ましたか?この新しい人とは何でしょうか?10節後半を見ましょう。これはどこに至るでしょうか?
それを受けるのに人種や割礼の有無、奴隷か自由人かなどという区別はありません。何がすべてで、すべてのうちにおられますか?

・愛の結びの帯:12-17節
それゆえ、私たちはどのような身分だと聖書に書かれていますか?そのような者は何を身につける必要がありますか?そのことを持って、また、人に対してはどうでしょうか?13節を見ましょう。イエス様も言われたことです。どうしても人を赦すことができないときは、神様に目を向けましょう。私たちは負いきれない負債を代わりに支払ってくださった方がいることを忘れないようにしましょう。この方がまず、私を赦してくださいました。その恵みを知り、人を赦すことができるよに祈り求めみましょう。
そして、それらすべての上に何を身につける必要がありますか?これは、結びの帯として完全なものです。その上で、何が私たちの心を支配するようにしなさいと書かれていますか?多くの場合、私たちの心は心配事が支配しているのではないでしょうか?私たちはそれらを捨て、イエス様に信頼する生き方が大切です。私たちはそのために召されて、一体とされました。もう一つ、それに加えて感謝の心を持つ人になりましょう。
さらに、私たちのうちに豊かにすまわせることが書かれていますが、それは何でしょうか?キリストのことばです。私たちが通読を続けている理由もここにあります。また、心に残ったことばは暗唱できるよう、繰り返し音読もしてみましょう。その住まわせたみことばをもって、知恵を尽くしてどうすることが勧められていますか?また、何と何を持って、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさいと言われていますか?その三つは何ですか?詩と賛美と霊の歌です。みことばを朗読し、賛美の歌をささげ、さらにその中から与えられる即興賛美を礼拝として主に献げましょう。
そして、私たちのすべてを何の名によってなす必要がありますか?

・妻、夫、子ども、父、奴隷たち:18-25節
ここからはそれぞれの人に勧めがなされています。まずは妻たちにです。何が書かれていますか?どうしてこのような事が書かれているのでしょうか?それは、妻がこれが出来ないことが多いからです。多くの場合、女性の方が男性よりかしこいものです。ですから、時には夫をさげすんでしまうこともあるかも知ません。しかし、これは自分の祝福を逃してしまうことにもつながります。聖書は妻は夫にしたがうことが書かれています。そんなことをしたくないと思っても、それはあなたの意見です。自分の意見と神様の戒め、どちらにしたがう方が祝福された人生を送ることができるのでしょうか?
また、夫たちには、妻を愛することが書かれています。これも、男性がこれを自然には出来ないからこのように書かれています。妻をいたわりましょう。辛く当たってはいけません。どのようにすれば妻を愛することができるのでしょうか?それは人によって違います。ある人はプレゼントで愛を感じ、ある人は肯定的なことばで愛を感じます。また、自分のために何かをしてくれることで愛を感じる人もおり、抱きしめられることで愛を感じる人もいますし、ただ一緒に時間を過ごすだけで愛を感じる人もいます。自分の妻が何によって愛を感じるかをよく観察しましょう。見つけることが難しいなら、妻がいつも自分にしてくれることをそのまま妻にしてあげましょう。そうするなら、妻の愛情のタンクはいつも満タンになり、家庭にシャロームが満ちあふれるはずです。
子どもたちには何が勧められていますか?両親への従順です。これは主にどうされることだと書かれていますか?親はいつも口うるさく言って来ると感じることがあるかもしれません。しかし、自分がスマートフォンに夢中になっていても、ゲームをしているときでも、どのような時にもそれを脇に置き、すぐに両親の言うことに従える人は、神を喜ばせ、また、社会に出ても必ず活躍すると信じます。自分に死に、自分の十字架を負ってイエス様についていく生き方です。
また、父たちにはどうのように言われていますか?子どもをいらだたせてはいけません。あまりしつこく言い続けるなら、子どもたちは気落ちしてしまいます。頭ごなしに言うのではなく、彼らのことばや、またはことばにならないメッセージをも聞き取る力を身につけていきましょう。そのためには、子どもたちをいつも以上に観察することが大切です。子どもの関心が何にあるのか、どのような態度か、どのような言葉遣いをしているかを注意深く観察するとき、彼らの気持ちがわかってくるでしょう。彼らを気落ちさせることなく、愛を持って戒め、育てていきましょう。
奴隷に関してはどうでしょうか?これはうわべでしてはならないと書かれています。主を恐れかしこみつつ、真心からしたがうのです。たとえ、人に見られていなくてもです。自分が損をするように思えてもです。何をするにしても、誰に対してではなく、誰に対してするよう、心からしなさいと書かれていますか?私たちはこれを会社や学校で実践してみましょう。
そのような者は、報いとして何を相続しますか?

【4章】親切で塩味の効いたことば

・主人たち:1節
主人たちに対してはどうでしょうか?彼らは子の地上で主人でも、天にはまことの主がおられます。このお方が模範です。主が私たちにしてくださることを奴隷に対して行う必要があります。主人だからといばりちらしてはいけません。正義と公義を示すことが大切です。

・機会を十分に生かす:2-6節
さらに、コロサイの人たちに対するパウロの勧めは続きます。2節にはふたつの事をもって、たゆみなく祈ることが書かれていますか?同時に、パウロの働き、特に奥義を語ることができるようにと祈りのリクエストをしています。パウロはこの奥義を語ったために牢に入れられました。それを制限無く語ることができるよう、祈りを求めています。
また、外部の人に対しては、どうしなさいと書かれていますか?そのために、私たちのことばは、いつもどのような状態でいなければなりませんか?親切なことばは人の心を開きます。また、塩は腐敗を止める役割があります。そのようなことばを求めるなら、ひとりひとりに対する答え方がわかります。

・パウロの様子:7-9節
パウロは監禁されていますが、そのことを心配する人もいたでしょう。ですから、テキコがその様子を伝えると言っています。また、8節にはパウロがテキコを送る目的も書かれています。また、テキコと一緒に行く者もいるようです。それは誰ですか?彼らはぱうろの様子を伝え、教会に励ましを与えます。

・結びの挨拶:10-18節
パウロと共に捕らえられているアリスタルコ、また、バルナバのいとこのマルコも同じです。彼らが言ったなら、歓迎することをパウロは願っています。
また、ユストと呼ばれるイエスという人物もあいさつを送っています。彼は割礼を受けた者、すなわちユダヤ人のなかで神の国のために働く動労者と書かれています。また、12節にはエパフラスという人物が出てきています。彼はどのような人でしたか?
14節にはルカ、デマスという人物もあいさつを送っています。
そして、この手紙はコロサイに宛てられたものですが、終わったらラオデキヤの教会にも回覧するように願っています。初代教会の時代は、このように手紙を教会に回覧し、はげましのことばを共有していました。
パウロは自分の手で、この手紙を書いているようです。彼は牢につながれていますが、ある程度の自由が与えられていました。それで獄中でもこのように手紙が書けたのです。彼はつながれていましたが、それでも自由でした。私たちも窮屈に感じることがあるかも知れませんが、主にしたがうことでその中にある自由を教えていただきたいと思います。どうか、恵みがみなさんとともにありますように。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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