聖書通読クラブ Day 324

聖書通読クラブ Day 324【ローマ人への手紙 10章-12章】

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シャローム!

今日の通読箇所では、パウロは奥義を語ります。また、礼拝、そして愛に関しても言及します。どれも非常に具体的な事柄です。しかし、いざこれらを実行しようとするときに困難を覚えます。だから祈りが必要です。みことばを読み、そのなかの勧めを受け取り「私もこうなりたい」と願い、「主よ、このみことばにあるように、私にも行わせてください」としつこく祈り続けるとき、私たちは変えられていきます。私たちはそのような状態にすぐに変えられる事を願うかも知れませんが、本当に変えられるには一定の期間が必要な事が多いのです。私たちは主の助けを受け、忍耐をもってキリストの似姿へと変えられていきましょう。そのために、今日もみことばを受け取っていきましょう。

今日の通読箇所:ローマ人への手紙 10章-12章

■アウトライン

●福音に従う:10章
  ・神への願い求め:1-15節
  ・聞くこと:16-21節

●奥義:11章
  ・恵みの選び:1-10節
  ・イスラエルのねたみ:11-24節
  ・奥義:25-32節
  ・すべてのこと:33-36節

●霊的な礼拝と愛:12章
  ・霊的な礼拝:1-2節
  ・からだの器官:3-8節
  ・偽りなき愛:9-21節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】福音に従う

・神への願い求め:1-15節
パウロは心の望み、神に願い求めている事があります。それは何でしょうか?それは、イスラエルの救いです。
彼らは非常に熱心です。しかし、熱心であれば良いという問題ではありません。たとえば、世界記録保持者のマラソン選手がいたとします。彼がレースに出場し、正解最速のタイムで全く違うコースを走っていたらどうでしょうか?いくら早くてもコース上を走らなければ記録にはなりません。
同様に、神の定めた律法、また神の義を守らなければ、いくら熱心であっても意味がありません。むしろ、逆に神の働きを妨げてしまう可能性もあります。
イスラエルの人々は神の義ではなく、自分の義を建てようとしていました。神の義に従いませんでした。これが不従順、罪です。
モーセは律法によって生きると書きましたが、イエス様は律法を終わらせられました。ですから、この終わらせられた方を信じるなら、その信仰によって義と認められます。
この信仰の義はどう言っているでしょうか?6-7節を見てみましょう。また、8節を見てみましょう。
そして続く箇所は、イエス様を受け容れる人に告白していただきたいみことばです。どのようにしたら救われると書かれていますか?
ですから、求道者を導くとき、まず神が自分を創造されたこと、自分の中に罪があること、それを取り除いてくださる救い主がイエス様であることを信じ、それを告白するのです。
求道者と一緒にいのり、あなたがこの事を説明し、このローマ10:9-10のみことばを暗唱しておき、短く区切ってあなたが先にこのみことばを言い、求道者の方に追いかけて告白するという祈りを導いてみましょう。
私たちにとって、聖書以上に正しいものはありません。その聖書が何と言っているでしょうか?11節を見てみましょう。みなさんがどう思うとも、これが真実です。これを素直に信じることができるかどうかです。ユダヤ人はこのシンプルな事を信じることができなかったので、自分の正しさ、自分の義を立てようと一生懸命だったのです。
この救いにユダヤ人も異邦人も区別はありません。主は全ての人の主です。主はどのような人に対して恵み深くあられますか?主の御名を呼び求める者は、だれでも救われます。
ところが問題があります。これを伝える人があまりにも少ないのです。イエス様も「収穫は多いが働き人が少ない。だから、収穫の主に働き人を送ってもらうように祈りなさい」と言われました。そのひとりに私たちがなっていきましょう。良いことの知らせを伝える人々の足は何だと言っていますか?

・聞くこと:16-21節
しかし、福音を聞いてもすべての人が従うわけではありません。しかし、信仰も始まりがあります。信仰は何から始まりますか?それはないについてですか?ここも非常に重要です。どの神を信じても一つの創造主にたどり着くのではありません。ただ、イエス・キリストを通してでしか、父のところに行くことはできません。私たちは熱心に主のみことばを聞く者とされていきたいと願います。そのために、毎日通読を続けています。

【11章】奥義

・恵みの選び:1-10節
主はそのように、福音に従おうとしないイスラエル人を退けてしまわれたのでしょうか?2-4節を読み、5節を読んでみましょう。選びは神の恵みによります。すなわち、それは人の努力や行いではありません。もし、人の努力で救いに至れるのであれば、神の恵みが恵みでなくなってしまいます。
イスラエルは追い求めていた救いを獲得できませんでした。しかし、選ばれたものは獲得しました。

・イスラエルのねたみ:11-24節
イスラエルがつまずいたのは彼らが倒れるためでしょうか?そうではなく、使徒の働きで見たように、彼らの違反によって救いが異邦人に及ぶためでした。そのことで、イスラエルに何が起きると11節最後に書かれていますか?彼らの違反が世界の富となりました。救いが異邦人に及んだからです。であれば、彼らの完成はそれ以上のすばらしいものをもたらすとパウロは語っています。
13節からは異邦人に向けてメッセージが語られています。その内容は何でしょうか?イスラエルにねたみを引き起こさせ、その中から救いが起きることを願っています。これは一体どういうことでしょうか?
本来なら、イスラエルの人が一番に救われ、神からの相続を受けるはずでした。しかし、旧約聖書の中でも多くのエピソードがあるように、兄ではなく弟が祝福されています。そのように、今、救いは異邦人に及んでいます。それを見たイスラエル人が「その救いは本来渡したたちのものだ!」と言ってねたみが起こることを期待しています。
ところが、まだそのようなねたみが起こっていないような気がします。つまり、まだ異邦人はそこにまで至っていないと言うことではないでしょうか?空想話のような福音でもなく、政治を中心としたような偽物の福音ではなく、神の国の福音を私たちが生きることで、それを見てイスラエルにねたみが起こるのです。そのために、私たちは益々みことばと親しく歩む生き方をしていきたいと願います。それがイスラエルの救いにつながると信じます。
パウロは16節で「初物の粉」に触れます。祭壇に捧げられるものです。また、根についても触れています。リンゴの木の根からミカンは実りません。根が聖ければ枝も聖いのです。
17節は、私たち異邦人がどのように神の祝福を受けているかがたとえで書かれています。根は父祖たちです。そこから成長した木がイスラエルです。これは栽培されたオリーブです。神がアブラハムを召し出し、それに続く子孫がイスラエルです。ところが、私たち異邦人はそのような召しはなく、野生種のオリーブのようなものです。
ここで、栽培種の枝が折られました。イエス様を信じなかったということです。その折れた栽培種に、キリストを信じる異邦人が継がれます。イスラエルは不信仰によっておられました。しかし、私たちは信仰によって立っています。そのような私たちはどうしなければならないと書かれていますか?20節後半を見てみましょう。
神は台木も枝も、折れるならすべてを惜しまれます。また、倒れたものの上にあるものは何ですか?そして、信じる者の上にあるのは何ですか?22節を見ましょう。だからといって、私たちは安住していてはいけません。私たちも神のいつくしみにとどまるならそうされますが、もし私たちがとどまらない決断をするなら、切り落とされてしまいます。
一方、イスラエルであっても、不信仰をやめるなら継ぎ合わされます。彼らはもともと栽培種のオリーブでした。ですから、折れた部分とつなぎ合わせるときは、野生種よりも簡単に継ぎ合わされるはずです。

・奥義:25-32節
ここで、パウロは奥義を語ります。その奥義とは何でしょうか?これは主の再臨、また世の終わりに関して、非常に重要なことです。イスラエルの全部ではなく、一部がかたくなになったのはいつまでですか?その結果、イスラエルはみなどうなりますか?そうして、世の終わりがやってきます。全てが完成するときです。
確かに、イスラエルは福音に対しては神に敵対していますが、彼らは選びの民です。神の賜物と召命とは、決して変わることはありません。つまり、これらの事から何が言えるでしょうか?イスラエルは不従順ですし、私たち異邦人も不従順ということです。神はすべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順の中に閉じ込められました。

・すべてのこと:33-36節
パウロはこの啓示を受け、圧倒されています。この箇所のみことばをじっくりと朗読してみましょう。すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至ります。この神に栄光がありますように。

【12章】霊的な礼拝と愛

・霊的な礼拝:1-2節
パウロは、神のあわれみのゆえにお願いしています。その内容はどのようなものでしょうか?なにをささげなさいと言っていますか?それが霊的な礼拝だと書かれています。神は霊です。私たちは肉的な礼拝からこの霊的な礼拝へと導かれる必要があります。
そのためにどうすべきでしょうか。2節を見てみましょう。「この世と調子を合わせる」とは、「この世の流行やファッションばかりを追い求める」という意味です。もちろん、トレンドを追いかけるのは悪いことではありませんが、それが第一となってしまっては行けません。流行は廃れます。そのようなものに振り回される生活ではなく、永遠に変わらないものに自分を従わせる生活が大切です。そのために何をすれば良いのでしょうか?心の一新によって、自分を変えることです。原語では「変えられ続ける」と書かれています。みことばの洗い、血潮の聖め、御霊の更新によって、私たちは日々新しく造られる必要があります。

・からだの器官:3-8節
パウロは、そのような啓示をうけてもへりくだることを教えます。3節を読んでみましょう。どのような信仰から出る品性が書かれていますか?どのような考え方をする必要がありますか?
パウロはこの事を体の器官を用いて説明しています。金子みすゞさんの詩「私と小鳥と鈴と」でも書かれている「みんなちがって、みんないい」という考えです。
そもそも、私たちがなぜストレスを感じるかと言うと、他人と比較するからです。もちろん、良きライバルと競い合うことで成長すると言うこともあるかも知れませんが、所詮神様が違うように創造された器です。そこで競うよりも、過去の自分と比較する方が正しい競い方です。人を見てうらやみ、それがねたみに変わると罪です。自分を見て「どうせ私は…。」とつぶやくのも、そねみの罪です。私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を受けています。「私も素晴らしいし、あなたもすばらしい。」それで良いのではないでしょうか?私たちは神様から与えられた賜物を磨き、用いることに集中したいと願います。

・偽りなき愛:9-21節
ここからパウロは愛について語ります。多くの勧めがなされています。そのどれも、非常に具体的なものになります。今からこれを行うことができます。みことばが「○○しなさい」と言っているにもかかわらず、それを行わないことも罪です。ここにかかれている「○○しなさい」を書き出したり、まとめたりしてみましょう。そして、それを一つずつ実行していきましょう。中には非常に難しい事もあるでしょう。ですから、御霊の助けが必要なのです。自分の力だけではこれを行うことは不可能です。神の恵みに拠り頼み、聖霊様の助けによって、いままでできなかった事ができるようになり、気がつくと私たちはキリストの似姿へと変えられるのです。悪に負けることなく、かえって善を行って悪に打ち勝ちましょう。善とは世の中に言う善ではなく、みことばの通りを行うということです。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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