聖書通読クラブ Day 311

聖書通読クラブ Day 311【ヨハネの福音書 19章-21章】

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シャローム!

今日でヨハネの福音書の通読が終わります。ここでは、他の福音書にない、復活のイエス様とペテロとの会話があります。この内容は私たちにとっても非常に重要な内容になっていると信じます。
ペテロとイエス様の会話の中から、イエス様が今日、私たちに何を語られているかを聖霊様に教えていただきたいと願います。
イエス様の十字架の死と葬りと復活を心から感謝し、今日も通読に導かれていきましょう。

今日の通読箇所:ヨハネの福音書 19章-21章

■アウトライン

●完了した:19章
  ・十字架につけろ:1-16節
  ・私が書いたことは私が書いた:17-22節
  ・母と弟子:23-27節
  ・完了した:28-30節
  ・血と水:31-37節
  ・イエスの葬り:38-42節

●復活:20章
  ・空の墓:1-10節
  ・マリヤに現れる復活のイエス:11-18節
  ・聖霊を受けなさい:19-23節
  ・トマスの不信:24-29節
  ・ほかの多くのしるし:30-31節

●赦しと回復、そして召命:21章
  ・弟子との食事:1-14節
  ・ペテロの赦し:15-23節
  ・結び:24-25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】完了した

・十字架につけろ:1-16節
人々はイエス様を訴えようとしますが、決定的な罪を見つけることができません。しかし、イエス様が「自分は王だ」と言われたことが、反逆罪にあたると考えました。当時、この地方はローマに支配されていましたが、ローマにはカエサルという王がいました。その他に王がいてはいけませんが、イエス様はピラトの尋問の中で「わたしの国はこの世のものではない」と言われ、またもや罪を見いだせなくなったのです。
加えて、ピラトとユダヤ人の間には軋轢がありました。ユダヤ人は激しくローマに反発していました。ですから、ピラトがユダヤ人を力で押さえ込むなら、自分の政治家としての生命も危機にさらされます。それで、ピラトはイエス様にむち打ちにしました。
兵士たちはイエス様にどのような事をしていますか?そこに尊敬の姿はありますか?このような仕打ちをされたイエス様が人前に出されます。祭司長や役人はイエス様を見て、何を激しく叫んでいますか?また、ピラトは何を言っていますか?
7節を見ると、ユダヤ人の本音が出ています。イエス様はご自分を神の子と宣言されたことが律法違反にあたると主張しているからです。
8節で、なぜピラトは恐れたのでしょうか?無実の者を殺してしまうかも知れないという恐れです。加えて、ユダヤ人はイエス様を「神の子」と読んでしました。ローマ人も人が神のようになることを信じていたので、ピラトはそのような人をむち打ちにしてしまったのかも知れないと思い、ますます恐れました。それで、9節のように聞いています。
ところで、イエス様を十字架に付ける権威はピラトにあるのでしょうか?11節がイエス様の答えです。ピラトはなんとかイエス様を釈放使用としました。これは良いことだと思いますか?人間的な基準から見るととても良いことです。しかし、神様のご計画はイエス様が十字架にかかられることでした。もし、ここでピラトがイエス様を釈放していたらどうなっていたでしょうか?罪の贖いは完了しません。私たちの基準ではなく、聖書の基準でみことばを受け取る必要があります。
ここでのユダヤ人もピラトも、自分の事しか考えていませんでした。私たちも同じです。そのような状態から、聖霊様の助けによって神と同じ視点に立たせていただきましょう。

・私が書いたことは私が書いた:17-22節
イエス様は十字架をご自分で負われています。そして、ゴルゴダの丘に向かわれます。イエス様の両脇には誰がいましたか?イエス様の頭上にはどのような罪状書きがありましたか?
20節を見ると、多くのユダヤ人がこれを見ています。この罪状が木はどのようなことばで書かれていましたか?
これを見たユダヤ人の祭司長がピラトに訴えます。その内容は何ですか?ピラトはどう答えていますか?今までユダヤ人の訴えに譲歩していましたが、ここでは譲りませんでした。結果、ピラトを通して真理が明らかにされたのです。

・母と弟子:23-27節
兵士はイエス様を十字架にかけると、イエス様の服をどうしましたか?また、下着とありますが、これは祭司が着る服になります。大祭司は衣を引き裂いてはならないという律法があります。(レビ10:6)大祭司カヤパはそれを破りましたが、イエス様は守られました。また、詩篇22篇の成就でもあります。
また、ヨハネはイエス様の最も近くで十字架を見ていたうちの一人だと言われています。それで、この場にイエス様の母マリヤがいたことも彼は知っていました。イエス様はご自身が去って行かれた後、ヨハネがイエス様の母マリヤを養うように託されました。イエス様はご自分の親を大切にするお方です。

・完了した:28-30節
イエス様は地上でなすべき全てを成し遂げられました。イエス様は聖書が成就するため何を言われましたか?これはどういうことなのでしょうか。多量の出血で喉が渇いていたと言うのもあるかと思いますが、これは罪から来る飢え乾きです。詩篇69:21に書かれていることです。ダビデも自分が罪を犯した時を渇きと表現しました。(参考:詩篇32:3-4)
兵士は何を何の枝でイエス様の口元に運びましたか?これはイエス様が過越の主であることが成就した瞬間です。出エジプトの時の過越では、門柱とかもいにヒソプの枝で子羊の血を塗ります。そうすると、死の霊が過ぎ去ります。イエス様はご自身をもって、そのことを成就されました。
その後、イエス様はどのように言われましたか?このことばは「テテレスタイ」というギリシャ語で書かれており、意味は「支払い済み」と言う意味です。罪のない神の子のいのちによって、私たちのいのちの代価が支払われました。イエス様を信じる者は支払い済みの者です
イエス様はこのおことばに続いて、何をされましたか?頭をたれるというのは、もちろん、たましいが離れた状態ですが、ここでは「安息」と言う意味もあります。イエス様は「人の子は枕する所もない」と言われました。(ルカ9:58)しかし、ようやく枕する所がありました。それが十字架でした。また、
イエス様は霊をどうされたと書かれていますか?イエス様は殺されたのではありません。自ら霊、たましい、肉体を切り離されました。

・血と水:31-37節
この日はどのような日と書かれていますか?「過越の備え日」というと、過越の前日のようなイメージがありませんか?実はその逆で、過越の次の日から続く種なしパンの祭りの事を指します。
ユダヤ人たちは急いでいるように見えますが、どうしてでしょうか?ヒントは安息日です。安息日には死体に触ると汚れて安息日を守れなくなるので、その前にイエス様を埋葬したかったからです。
両脇で十字架に欠けられた者のすねを折ることが書かれています。十字架の刑では、体力のある人は十字架の上で長い時間いのちを保ちます。しかし、すねをおると呼吸のために踏ん張れなくなってしまうので、直ちに窒息してしまうそうです。ですのでこのように願っています。
しかし、イエス様はどうだったでしょうか?すねは折られませんでした。預言の成就です。そこで、兵士がイエス様の脇腹を刺しました。すると何と何が出てきたと書かれていますか?これは、イエス様が確かに肉体を持っておられたことの証拠です。ヨハネはしつこいほどこの事を強調しています。
それは、このヨハネの福音書が書かれた背景が影響しています。当時はグノーシス主義が蔓延しており、イエス様は実は肉体を持っていなかったという考えが広がっていました。それに釘を刺すように、ヨハネはイエス様は確かに肉体を持っておられたことを強調しているのです。もちろん、血はいのち、そして、水もしんりのいのちです。これがイエス様からほとばしり出ています。私たちはみことばとイエス様の血潮を宣言するとき、このお方の永遠のいのちに預かることができると信じます。

・イエスの葬り:38-42節
イエス様の弟子である高官、アリマタヤのヨセフがピラトにイエス様のからだの引き渡しを願います。そこにニコデモも来ています。何を持ってきていますか?これは葬りのために必要なものです。
イエス様はまだだれも葬られたことのない墓に葬られました。アリマタヤとニコデモという二人のイエス様の弟子であり議員である者がいたので、この事が可能でした。

【20章】復活

・空の墓:1-10節
週の初めの日、すなわち日曜日です。誰が墓を見に行っていますか?その時間はどのような時間でしょうか?その時、マリヤが見たものは何でしょうか?
彼女は急いでどうしましたか?それを聞いてイエス様の墓に走った者がいます。誰と誰でしょうか?もうひとりの弟子とはヨハネです。彼らは走るとどちらが早かったでしょうか?ヨハネの方が若いからでしょう。しかし、袴で来るとどのようにしていますか?そのすきに、ペテロはどうしますか?彼が墓の中で見たものはなにでしょうか?
彼らはイエス様のからだが無いことを見ていました。しかし、9節にあるように、イエス様の言われたこととむすびついていませんでした。

・マリヤに現れる復活のイエス:11-18節
弟子たちは帰りましたが、マリヤは墓の外でたたずんで泣いています。もう一度墓をのぞき込むと、何がいましたか?これはまるで至聖所にある契約の箱のケルビムのようです。彼らは彼女に何と言いましたか?そう言って彼女が振り向くと、誰がいましたか?彼女はそこにいる人を誰だと思っていましたか?
イエス様は彼女の名前を呼びます。その時、彼女は「ラボニ(先生)」と呼び返し、イエス様であることを悟りました。イエス様に名前を呼ばれるなら、このような事が起こります。ザアカイもそうでした。私たち一人ひとりもイエス様が名前を呼んでくださっていると信じます。そのことに気づけたとき、私たちの目は開かれルのでは無いかと思います。
彼女はイエス様にすがりつこうとしましたが、イエス様はどうされましたか?そして、マリヤは何をしましたか?

・聖霊を受けなさい:19-23節
日曜の夕方になっています。弟子たちは家の中に閉じこもっています。どうしてでしょうか?なんと、その中にイエス様が来て下さいます。入り口の戸が閉められているのにもかかわらず、イエス様は家の中に入ってこられました。そして、どのように挨拶をされていますか?これは「シャローム」というイスラエルの挨拶です。続いて、いえすさまがされたことは何でしょうか?どうしてこの事をされたのでしょうか?イエス様は十字架の前、むち打たれて体中ボロボロになっておられました。しかし、復活の御体はとてもきれいになっていました。しかし、手足の傷と脇腹の傷はあえて残されていました。それは私たちとの愛の契約のしるしでした。
そして、イエス様は21節で、どのように言われていますか?弟子たちを派遣します。そして、彼らに何を吹きかけ、どう言われていますか?神がアダムにされたことと似ています。アダムは肉の象徴です。その時、肉が生きた者となりましたが、ここでは霊が生きたものとされます。

・トマスの不信:24-29節
しかし、ある者がイエス様を疑います。誰でしょうか?疑り深いことは慎重さの現れです。ペテロと正反対に見えます。彼は何をしないと信じないと言いましたか?
ところがそれから八日たち、トマスがいるとき、同じように戸がしめられていましたが、そこにイエス様が来て下さいました。そして、トマスに何と言われましたか?そして、イエス様にどのように言われているでしょうか?慎重なことは素晴らしいことですが、それが不信につながってはなりません。自分が理解できてもできなくても、神のことばを信じることは価値のあることです。

・ほかの多くのしるし:30-31節
これはヨハネの福音書にのみ書かれていることですが、今まで見た福音書の奇跡以外にも、イエス様は多くの奇跡を行われていたようです。では、なぜそれらが省かれ、これらのものが残されたのでしょうか?その答えが31節です。

【21章】赦しと回復、そして召命

・弟子との食事:1-14節
イエス様はもう一度、弟子たちに現れて下さいます。誰がそこにいたでしょうか?その中で、ペテロは何を言っていますか?彼はイエス様から「人間をとる漁師」として召されたのではなかったのでしょうか?彼はもう一度、世の自分の姿に帰っていました。そして、釣果はどうだったでしょうか?
そこにイエス様が来られました。イエス様は何を言われましたか?弟子たちは「はい。ありません」と答えます。それに対してイエス様は何を言われましたか?そのおことば通りにすると、どうなりましたか?それを見てヨハネが叫ぶと、ペテロはどうしましたか?
彼らが陸地に上がったときに見たものは何でしょうか?そして、網を引き上げると何匹の魚がいましたか?この数字は、ゲマトリヤというヘブライ語を数字に置き換えひもとく解き方で読むと「神の子たち、神の民」という意味があります。以前、ペテロが弟子になる前に同じような出来事があったときの事を思い出してみましょう。網はどうだったか覚えていますか?破れそうだったとあります。今回はどうでしょうか?神の子たちを救う網はこのような網です。
イエス様は弟子たちと何をしたでしょうか?これがイエス様がいつも親しい者をされることです。天においても、このことがなされます。

・ペテロの赦し:15-23節
食事をし、腹が満たされた所で、イエス様はペテロに話かけられます。おそらく、ペテロが一番聞いて欲しくないことをズバリと聞かれます。最初にどのように質問されていますか?「この人たち以上に」とは、他の弟子かもしれませんし、魚が示している神の子かもしれません。いずれにしても、以前の自分に返ろうとしていたペテロに、イエス様は「そのことよりもわたしを愛するか」と問われているのかも知れません。この「愛」はアガパオーという、無償の愛という意味です。無条件でわたしを愛するかと問われています。
ところが、ペテロは「愛します」と言っていますが、これは「フィレオー」ということばです。
それに対して、イエス様はどのように言われていますか?子羊とは信じたばかりの人、飼うとは養うことです。
また、次にイエス様はペテロにどのように質問しますか?この愛もアガパオーです。ペテロはやはりフィレオーの愛で答えます。彼はつい先ほど、イエス様を呪ってまで裏切った男です。その引け目があり、完全な無条件の愛で愛すると言えなかったのかも知れません。自分の弱さを悟っている状態です。
そのような状態をご存じで、イエス様は「私の羊を牧しなさい」と言われます。
イエス様は三回目にペテロに質問します。しかし、今度はイエス様はフィレオーを使われます。ペテロの答えもフィレオーです。イエス様はペテロのレベルにまで降りてきて下さいました。ペテロはこの三度の質問に心を痛めています。この事を通して、ペテロはイエス様を三度うらぎってしまったことの回復をするチャンスを得ました。イエス様の願いはペテロの回復に留まらず、彼が羊を牧する者へと成長することでした。このようにして、ペテロは牧会の召命を受けます。
その後、イエス様はペテロにどのように言われていますか?今までの彼の生き方と正反対に見えます。今までは自分勝手な生き方をしていました。これからは御霊に導かれていきます。そして、イエス様は「わたしに従いなさい」と言われます。これがすべてです。
すると、その直後、ペテロはどうしていますか?相変わらずです。「この人」とは、ヨハネの事でしょう。イエス様はどのように答えられていますか?人はそれぞれの生き方があります。私たちは人のことが気になりますが、主のご計画は一人ひとり違っています。隣人を愛することは大切ですが、お節介になってはいけません。適切な距離感が大切です。人と自分を比べるとき、私たちの中にストレスが生まれます。神様は自分をどこに導かれているかを教えていただき、その召しに集中し、愚直にもそれを行っていくことが、神を愛することにつながるはずです。

・結び:24-25節
ヨハネはこの内容が確かであると言うことをもう一度念を押しています。グノーシスの教えがこの時代に満ちていたからです。
そして、イエス様が行われたことは非常に多くあったようです。その多さはどれくらいと表現されているでしょうか?
以上、それぞれの福音書を記した著者は、神の霊感によってこの福音書を記しました。非常に多くの御業を行われたイエス様の御業、おことばをそれぞれの記者が記しました。また、記さない事もありました。そのすべては私たちが永遠のいのちに至るために必要なものなのです。イエス様にお会いしたとき、その全てが明らかになることを信じます。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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