聖書通読クラブ Day 307

聖書通読クラブ Day 307【ヨハネの福音書 7章-9章】

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シャローム!

イエス様と父と聖霊様は全くひとつなるお方です。世の始まる前からおられ、永遠に存在されるお方です。この三位一体という事は私たちの理解できない領域です。しかし、ひとつだけわかるのは父、御子、御霊はまったくひとつであると言うことです。ヨハネはそのことを強調しています。当時、グノーシス主義や様々な異端が生じていたからと言う時代背景もあるでしょう。
しかし、これが私たちのゴールでもあります。花婿なるキリストと花嫁なる教会がひとつとなることです。そのために、私たちは御霊の注ぎを受け、みことばを心に刻んでいきましょう。

今日の通読箇所:ヨハネの福音書 7章-9章

■アウトライン

●御霊の注ぎ:7章
  ・イエスの兄弟たち:1-9節
  ・いわば内密に:10-13節
  ・正しいさばき:14-24節
  ・わたしを探すが見つからない:25-36節
  ・生ける水の川:37-44節
  ・ガリラヤから預言者は起こらない:45-53節

●父とひとつ:8章
  ・罪なき者から石を投げる:1-11節
  ・世の光:12-20節
  ・わたしが来たのは上から:21-30節
  ・真理は自由にする:31-47節
  ・アブラハムが生まれる前からわたしはいる:48-59節

●目が開かれる:9章
  ・盲人のいやし:1-12節
  ・彼らの間に起こる分裂:13-23節
  ・今は見えるということ:24-34節
  ・主よ私は信じます:35-41節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】御霊の注ぎ

・イエスの兄弟たち:1-9節
イエス様がガリラヤにおられた理由はなにでしょうか?イエス様の時はまだ来ていません。時は仮庵の祭り、夏の終わりです。その時、イエス様の兄弟たちがイエス様に何かを言っています。何でしょうか?
5節には衝撃的な事が書かれています。兄弟はイエス様を表舞台に出そうとしますが、イエス様は人の言うことではなく、父の言うことに従うお方です。

・いわば内密に:10-13節
イエス様はひそかに祭りに行かれます。ユダヤ人たちはイエス様を探しています。群衆はイエス様についてどのように言っていますか?それは公然と語られていますか?どうしてでしょうか?

・正しいさばき:14-24節
仮庵の祭りは一週間続きます。その中頃、イエス様はどうされていますか?ユダヤ人たちはイエス様の教えを聞いてどのような反応をしているでしょうか?
イエス様の教えは誰のものでしょうか?どのような人がこの教えを神からのものか自分から語っているのかを判別できるでしょうか?17-18節を見てみましょう。
イエス様は群衆に律法を守っていないというと、人々はイエス様に対して何を言っていますか?イエス様は安息日に人を癒やされました。そのことに人々は驚いています。イエス様はこの事と安息日を結びつけます。安息日に割礼を行うことは律法違反ではありません。割礼とモーセの律法はどちらが歴史が古いでしょうか?
安息日に割礼を施して良いのであれば、イエス様のされたいやしは安息日の本質を守っていることになります。それで、イエス様は24節を言われます。

・わたしを探すが見つからない:25-36節
エルサレムの人は何を言っていますか?彼らはイエス様がどこから来たか知っていると言っていますが、それは地上の事です。
イエス様はご自分から来られたのでしょうか?だれに遣わされましたか?
人々はこの事を聞いて、何をしようとしていますか?しかし、できません。なぜでしょうか?
そして、イエス様は十字架の死と葬りと復活をほのめかされますが、彼らはその意味が理解できません。

・生ける水の川:37-44節
祭りの終わりの大いなる日とあります。仮庵の祭りの8日目は大いなる祭りの日です。また、「シムハット・トーラー」と言い、一年の通読の完了とスタートの日です。イエス様はこの日に大声で何を叫ばれていますか?これは一体何のことを言っているのでしょうか?39節を見てみましょう。それを聞いて、人々はどのような反応をしていますか?

・ガリラヤから預言者は起こらない:45-53節
祭司長、パリサイ人たちは、彼らがイエス様を連れてこなかったことを咎めています。役人はどのように答えていますか?それに対してパリサイ人は何を言いましたか?
それに対して、ニコデモが意見をします。しかし、祭司長、パリサイ人はあくまでも自分の正しさを曲げようとはしません。自己中心のあらわれです。

【8章】父とひとつ

・罪なき者から石を投げる:1-11節
イエス様はオリーブ山に行かれました。おそらく、祈るためでしょう。それからもう一度宮に入られています。そこで教え始めると、ある人が連れて来られます。どのような人でしょうか?彼女を連れてきた人の目的は何でしょうか?イエス様はその時、何をされていますか?
彼らはしつこくイエス様に問い続けるので、イエス様は7節のように答えられます。私たちも、人々を訴えたいという思いに駆られたとき、この事を思い出したいと願います。誰一人、人に石を投げる権利はありません。
イエス様はこの女性にどのように声をかけられますか?もし、私たちがこの女性だったら、自分のしてきたこと、そして多くの人前に出されて恥をかかされたこと、そして、イエス様からこのように言われたことを経験したなら、どのような気持ちになるでしょうか?これは私たち一人ひとりにイエス様が語ってくださったことばだと信じます。

・世の光:12-20節
イエス様はご自分を何だと言われていますか?イエス様に従う者はどのようになると言われていますか?
この事に、パリサイ人は質問します。彼らはなにによって裁いていますか?15節を見てみましょう。しかし、イエス様のさばきは正しいのです。16節を見てみましょう。
これを聞き、パリサイ人は父がどこにいるのかと聞き返します。イエス様は父とご自分を同じに言われています。世の初めから父、御子、御霊はひとつです。

・わたしが来たのは上から:21-30節
イエス様はご自分が去られることを告げられます。しかし、彼らはイエス様を探すことができません。なぜなら、イエス様の行く所に彼らはいけないからです。
この事でユダヤ人は益々混乱します。23節を見ると、人々はどこから来ると書かれていますか?アダムは何から造られましたか?そして、イエス様はどこから来られましたか?もし、イエス様を信じなければ、どうなると書かれていますか?
人々はイエス様が誰かと聞きますが、この時、イエス様ははっきりと答えられません。イエス様は聞く人の信仰に応じて話されお方です。彼らに真実を語っても彼らは信じないので、このような言い方をされています。しかし、28節にあるように、イエス様の十字架を通して、これらの事を悟ることができます。
この事を話していると、多くの人はどうなりましたか?30節を見てみましょう。

・真理は自由にする:31-47節
この信じたユダヤ人にイエス様は語られます。もし、どうするなら弟子であると語られていますか?私たちも弟子とさせていただきましょう。そして、これを続けるなら真理を知り、真理は私たちを自由にします。
これを聞いて人々は次なる疑問を質問します。「自由になる」ということは、今はとらわれの身であると言うことです。しかし、彼らは奴隷ではありませんでした。そこで、イエス様は答えられます。34節を見てみましょう。
奴隷は解放されるときがあります。主人の用事が済めば、他の所に行く可能性もあります。しかし、息子はそうではありません。たとえ離れていても、その関係は続きます。そのことを持って、イエス様は天の父の権威をもって私たちを罪の奴隷から解放してくださることを語られます。
どうして、彼らはイエス様を殺そうとするのでしょうか?その理由が37節で語られています。彼らは自分の父がアブラハムだと言います。しかし、イエス様は彼らの心の奥底をご存じなので、イエス様を殺そうとしていることを告げられます。
すると、人々は何と言ったでしょうか?41節を見てみましょう。しかし、実によって見分けなければなりません。もし、彼らが本当に神から出たものであれば、イエス様の語られていることを理解するはずです。同じ御霊がおられるからです。ところが、事実、彼らはイエス様の言うことを理解できませんでした。
そして、イエス様は彼らの父は悪魔だと言われます。その理由を44節から確認してみましょう。
神から出た者は神のことばに聞き従います。しかし、彼らは神のことばに従っていません。なぜなら彼らが神から出ていないからです。

・アブラハムが生まれる前からわたしはいる:48-59節
それでもなお、人々はイエス様が悪霊につかれていると言います。イエス様は悪霊につかれていたのでしょうか?悪霊につかれているのはどちらの方でしょうか?自分の中にある者が他の人に投影します。
もし、イエス様のことばを守るなら、人はどうなると書かれていますか?
そのことを聞き、人々はイエス様がアブラハムより偉大なのかと聞きます。みなさんはどう思いますか?
イエス様は、アブラハムはイエス様がこの地に来て下さることを思って大いに喜んだと書かれています。そこで、人々はイエス様は50歳にもなっていないのに、どうしてアブラハムを知っているのかと聞きます。イエス様は58節のように答えます。イエス様は世界の創造される前からおられました。
これを聞き、人々は何をしようとしていますか?イエス様はどうされましたか?

【9章】目が開かれる

・盲人のいやし:1-12節
イエス様は道の途中で誰と出会いましたか?それを見て、弟子たちは何を質問していますか?彼らはこのような事は、罪のために起こると考えていました。しかし、イエス様はどのように答えられていますか?3節を見てみましょう。
イエス様はこの生まれつきの盲人をどのようにいやされますか?彼はどうなりましたか?また、それを見た人たちはどのような反応をしていますか?人々は彼が誰にどのようにして癒やされたかを知りたいので質問します。盲人はどのように答えていますか?

・彼らの間に起こる分裂:13-23節
人々はこの癒やされた人を誰の所に連れて行きましたか?それで、彼らはどのような意見を言い合っていますか?彼らの意見は衝突し、分裂が起こりました。それで、彼らはもう一度癒やされた人に質問します。ところが、ユダヤ人はどうなっていますか?18節を見てみましょう。目の前で起こっている事実を受け容れることができていません。彼らの中に大きな自分の義があったからです。
こんどは、癒やされた人の両親を呼び出して質問しています。両親はユダヤ人をおそれてはっきりと言っていません。

・今は見えるということ:24-34節
しつこいパリサイ人はまた、同じ事を癒やされた人に聞きます。彼らは人の話を聞いていないのでは無いかと思うほどです。彼らはイエス様を彼らのフィルターを通して見ています。24節を見てみましょう。
癒やされた人は事実を述べます。その通りです。しかし、彼らの焦点は癒やされたことの喜びではなく、イエス様が安息日に人をいやすという「労働」をして、律法違反をしたかどうかと言う所でした。
彼らは執拗に癒やされた人に話しかけますが、形成が逆転しています。30節を見てみましょう。その結果、34節のようになります。彼らは学のあるものたちではないでしょうか?どうして生まれつきの盲人だった人に教えられるのでしょうか?これが神様のなさることです。

・主よ私は信じます:35-41節
イエス様は癒やされた元盲人を見つけ出されます。彼は目が見えなかったので、イエス様を見ていませんでした。ですから、今目の前で話している人がイエス様だとわからなかったのです。
イエス様はご自身の事を明かされました。すると、癒やされた人はどうしましたか?
これは大きな対比です。目が開かれた生まれつきの盲人と、生まれながらに目が見えているが真理が見えないパリサイ人たちです。私たちも霊の目を開いていただけるよう、祈り求めていきましょう。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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