聖書通読クラブ Day 308

聖書通読クラブ Day 308【ヨハネの福音書 10章-12章】

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シャローム!

イエス様のみことばは力があります。イエス様が命じられたら、波も風も収まります。いちじくも枯れます。また、悪霊は追い出され、病は癒やされます。そして、死をも従わす力があります。
このみことばは、私たちを永遠のいのちへと導くものです。イエス様の御口から出たひとつひとつを、今日も受け取って行きましょう。

今日の通読箇所:ヨハネの福音書 10章-12章

■アウトライン

●永遠のいのちを与える門:10章
  ・門から入る:1-6節
  ・わたしは羊の門:7-18節
  ・分裂:19-21節
  ・わたしと父はひとつ:22-30節
  ・石打ち:31-42節

●よみがえり:11章
  ・ラザロは死んだ:1-16節
  ・マルタとマリヤの願い:17-29節
  ・霊の憤り、心の動揺:30-37節
  ・ラザロよ出てきなさい:38-46節
  ・カヤパの預言:47-53節
  ・イエスを捜す:54-57節

●人の心をさばくみことば:12章
  ・足をぬぐうマリヤ:1-8節
  ・ラザロを見るため:9-11節
  ・何一つうまくいっていない:12-19節
  ・一粒の麦:20-26節
  ・このためこの時に至った:27-36節
  ・彼らの目を盲目にされた:37-43節
  ・父の命令が永遠のいのち:44-50節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】永遠のいのちを与える門

・門から入る:1-6節
イエス様はここで門に関して語られます。羊の囲いに門から入らない者は何だと言われていますか?この事を良く覚えておいて下さい。この後、門とは何かが明かされていきます。それをここに当てはめてみましょう。しかし、門から入る者は何だと言っていますか?
そして、門番と羊の関係が書かれています。それはどのようなものでしょうか?彼らはこのたとえを悟ることができましたか?みなさんはどうですか?

・わたしは羊の門:7-18節
イエス様はご自分を羊の門と言われます。これを上のたとえにあてはめてみましょう。また、イエス様の前に来た者は何だと言っていますか?これは混乱する箇所かも知れません。なぜなら、私たちは礼拝の時、主の御前に進みゆくからです。しかし、ここでの意味は、主が歩まれているよりも前に行くという意味です。つまり、神よりも自分を優先する人のことです。
イエス様を通って入るならどうなるでしょうか?また、盗人が来るのは何のためでしょうか?
11節で、イエス様はご自身のことを違った形で呼ばれています。イエス様はどのようなお方でしょうか?そのような者は羊のためにどうすると書かれていますか?一方、牧者でなく、羊の所有者でない雇い人はどうしますか?それはどうしてですか?13節を見てみましょう。イエス様はご自身のものをご存じです。そのことをご自身と父との関係で説明されています。また、イエス様は羊のためにどうして下さいますか?
17節には、イエス様はどうして父に愛されるかということが書かれています。それは何ですか?そして、18節を見てみましょう。イエス様は十字架で殺されたのではないのです。自らいのちを切り離されました。

・分裂:19-21節
この事を聞いて、ユダヤ人の中に何が起こっていますか?そして、イエス様に対してどのように言っていますか?

・わたしと父はひとつ:22-30節
そのころ、エルサレムで何がありましたか?時はいつでしたか?これはハヌカの祭りです。別名光りの祭りとも言われます。旧約聖書と新約聖書の間の時代に起こった出来事です。アンティオコス4世によって汚された神殿をイェフダ・マカバイという戦士であり祭司である人物がきよめました。しかし、燭台の油が1日分しかありませんでした。人々は祈ると、奇跡的に油が8日間供給され、燭台の火は消えませんでした。イエス様もこの祭りを祝っておられます。
人々はイエス様を囲んで何を言っていますか?24節をみてみましょう。イエス様はどのように答えられていますか?
また、イエス様は28節を見ると、何を与えてくださると書かれていますか?そして、イエス様は何が偉大だと言っていますか?イエス様と父はどのような関係ですか?これは完全なるひとつという意味です。

・石打ち:31-42節
ユダヤ人たちはイエス様をどのようにしようとしていますか?人々はイエス様を何のために石打にすると言っていますか?33節を見てみましょう。イエス様は詩篇82:6を引用されます。それをもって、どうしてそのような訴えができるのかと言われています。
イエス様は何を行っていないなら信じないでいなさいと言われていますか?イエス様の言われることが信じられなくても何を信じなさいと言われていますか?
それを聞いても人々はイエス様を捕らえようとします。

【11章】よみがえり

・ラザロは死んだ:1-16節
ラザロと言う人が病気にかかっています。その姉は誰と誰ですか?この妹はどういうことをした人でしたか?彼女らはイエス様のところに遣いを送って、何と言わせていますか?イエス様はこれを聞いて、何と答えられていますか?イエス様は彼ら兄弟をどのように見ておられましたか?私たちもこのように見られているのです。
普通なら、このようなことを聞くなら、すぐに出かけていくのですが、イエス様はどうされましたか?その後、イエス様はどこに行くと言われていますか?つい先ほど、何が起こったのでしょうか?
イエス様には父からの使命がありました。それは何でしょうか?11節の後半を見てみましょう。イエス様の言われていることと弟子たちの理解に乖離があります。それはどのようなものでしょうか?

・マルタとマリヤの願い:17-29節
イエス様はラザロの所に行きます。彼はどのような状態でしたか?イエス様が来られたと聞いて、マルタとマリヤはそれぞれどのように行動していますか?ここで、少し前後しますが、マリヤとマルタの発言を見てみましょう。21節と32節の後半を見てみましょう。マルタにはイエス様はどのように答えられますか?

・霊の憤り、心の動揺:30-37節
マリヤにはどのように答えられますか?イエス様の心は騒いでいます
そして35節を見て下さい。イエス様は何をされていますか?なぜ同じ事を言ったのにもかかわらず、イエス様は違った反応をしているのでしょうか。主はうわべではなく、心を見られます。何を言ったかも重要ですが、誰が言ったかが大切です。マリヤの願いは主の心を動かしました。それほどまでに主を求め、いのちをささげるほど愛していました。

・ラザロよ出てきなさい:38-46節
イエス様は再び心のうちに憤りを覚えておられます。イエス様は墓の石をどうしろと言われていますか?マルタはそれに対して何を言っていますか?ユダヤでは人は死んで三日経つと完全に死んでしまったと考えていました。イエス様はそれにもう一日加えられました。
イエス様は天を見上げ、父に感謝をささげています。祈りがすでに聞かれた祈りを捧げています。この祈りを通して、イエス様と父との関係を垣間見ることができます。
そして、43節でイエス様は大声で何を言われていますか?するとどうなりましたか?イエス様のことばには死さえも従わなければならないのです。私たちもイエス様のみことばによって死んでいたような状態から生かされました。
しかし、それで終わりではありません。イエス様は出てきたラザロをどうしろと人々に言っていますか?私たちも救われて終わりではなく、まだ布きれで包まれているような状態です。それをもはがしていただかなければなりません。そして、帰らされなければなりません。どこにでしょうか?父のところにです。

・カヤパの預言:47-53節
この事を受け、祭司長やパリサイ人は議会を招集します。このままだとどうなると彼らは考えていますか?ここからわかるのは、彼らは救い主を政治的なリーダーとしてもとめていたことです。
しかし、カヤパは大祭司だったので、彼が何げなく言ったことが預言となりました。ここから学べるのは、王である私たちが何げなく言ったことが預言となると言うことです。

・イエスを捜す:54-57節
彼らはこの事からイエス様を殺す計画を立て始めます。それで、イエス様はユダヤ人の間を公然と歩くことをされません。どこに行き、滞在されましたか?
時は過越間近です。パリサイ人はイエス様を捕らえるためにイエス様の居所を届け出させるようにされました。

【12章】人の心をさばくみことば

・足をぬぐうマリヤ:1-8節
イエス様は過越の何日前にどこに来られましたか?そこに誰がいましたか?マルタとラザロはどうしていたでしょうか?そして、マリヤは何をしたでしょうか?誰がイエス様を一番愛したと思いますか?
これを見たイスカリオテ・ユダは何を言っていますか?これは一見、とても良いことを言っているように思えます。しかし、6節を見てみましょう。彼はお金を愛していました。お金をも創造されたイエス様が共におられるのに、です。彼ほどかわいそうな人はいないでしょう。救い主の最も近くにいるはずですが、イエス様から一番遠い人物です。

・ラザロを見るため:9-11節
大勢のユダヤ人の群れがやってきています。彼らは何のために来ましたか?また、祭司長たちは何を考えていましたか?その理由はなにですか?

・何一つうまくいっていない:12-19節
その翌日、人々はどのようにしていますか?これはまるで仮庵の祭りの様子です。人々は何を叫んでいますか?「ホザナ」は「救ってください、助けてください」と言う意味です。
イエス様はロバの子に乗りますが、それは預言の成就のためです。初め、弟子たちはこの事がわかりませんでしたが、十字架の後、この事を思い出しました。
パリサイ人は自分たちの思惑通り行かないことにいらだちを覚えています。これが十字架への後押しとなります。

・一粒の麦:20-26節
祭りのために上って来たギリシャ人の中の人が、イエス様に会いたいと言っています。その時、イエス様は十字架の時が来たことを告げられます。どうしてでしょうか?ご自分のことがユダヤ人だけではなく、異邦人にまで伝わっていることを確認されたからです。イエス様は全ての民から拒まれるのがご計画でした。その時を悟ったのです。
そして、ご自身を一粒の麦にたとえます。種は地に落ちて死ななければそのままですが、死ねば豊かな実を結びます。
25-26節の信仰をもって、イエス様に着いていきましょう。

・このためこの時に至った:27-36節
イエス様の心は騒いでおられます。イエス様の個人の願いとしてはこの時から救われたいと思われますが、イエス様はこの時のためにこの地に来られたことを宣言されます。するとどうなったでしょうか?天から声が聞こえました。どのような声だったでしょうか?
そばにいた人はそれを何の音だと言いましたか?これは誰のためでしたか?
そして、イエス様はご自分の死に方を告げられます。群衆はキリストは永遠に生きると書かれているのに、どうしてそのように言うのか疑問に思っています。イエス様は死なれ、葬られ、復活されることをあらかじめ告げておられましたが、彼らは悟っていませんでした。そこで、イエス様は光りを信じなさいと言われます。

・彼らの目を盲目にされた:37-43節
イエス様は彼らの目の前で多くのしるしを行われましたが、彼らは信じませんでした。それはイザヤのことばの成就のためでした。40節を心に刻みましょう。また、興味深いことが書かれています。41節を見ましょう。イザヤはなんとイエス様の栄光を見ていたと書かれています。ここから何がわかるでしょうか?私たちは焼く二千年前の十字架の出来事を信じていますが、その前の預言者はこれから来る救い主を信じていました。
また、指導者の中に信じる者もいたとあります。彼らはどのような信仰を持っていましたか?彼らは誰を恐れていましたか?

・父の命令が永遠のいのち:44-50節
イエス様は大声で、イエス様を信じる者は誰を信じると言われていますか?同様に、誰を見ると言われていますか?
イエス様は世を救うために来られました。しかし、イエス様を拒み続ける者には、みことばが終わりの日にその人をさばきます。
49節を見ましょう。イエス様は自分勝手に話していますか?また、父の命令は何だと書かれていますか?イエス様のことばは天の父のことばでもあります。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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