聖書通読クラブ Day 285

聖書通読クラブ Day 285【マタイの福音書 7章-9章】

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シャローム!

今日の通読箇所では、イエス様は次々と人々をいやしていきます。死人をもよみがえらせていきます。しかし、このところのいやしの特長があります。それはどういった者でしょうか。今日の通読を通して考えてみましょう。
新約聖書の通読に入り、コラムでは質問が中心のコラムとなっています。おそらく、みなさんは今までに何度かは新約聖書を読んだことがあると思いますが、改めて質問することで、今まで見えてこなかった事が見えてきたり、考えたりして新しい発見があると信じます。
少し通読が大変になるかも知れませんが、これはとても有益なことであると信じます。喜びをもって、今日もみことばを朗読していきましょう。

今日の通読箇所:マタイの福音書 7章-9章

■アウトライン

●山上の垂訓:7章
  ・さばいてはいけません:1-5節
  ・豚に真珠:6節
  ・求めなさい:7-12節
  ・狭い門から入りなさい:13-14節
  ・偽預言者の見分け:15-23節
  ・山上の垂訓のまとめ:24-28節

●いやし:8章
  ・ツァラアトのいやし:1-4節
  ・百人隊長の信仰:5-13節
  ・悪霊の追い出し、病のいやし:14-17節
  ・献身の確認:18-22節
  ・嵐の中で眠る:23-27節
  ・豚の群れ:28-34節

●信仰によるいやし:9章
  ・中風の人のいやし:1-9節
  ・医者を必要とする者:10-13節
  ・断食と花嫁:14-17節
  ・会堂管理者の娘と長血の女:18-26節
  ・盲人のいやし:27-31節
  ・口のきけない者のいやし:32-34節
  ・収穫は多いが働き手が少ない:35-38節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】山上の垂訓

・さばいてはいけません:1-5節
さばくとどうなると書かれていますか?さばくことで損をするのはだれでしょうか?人の事は気になります。しかし、それ以上の自分の中に問題があるものです。人のことが気になったら、それは自分の中にあるものがその人に投影されているに過ぎません。ですから、人の事が気になったら、まず自分の内を点検しましょう。

・豚に真珠:6節
有名なことわざの「豚に真珠」はここからのことばでしょう。なぜここにかかれているようなことをしてはならないかわかるでしょうか?みなさんのとても大切にしているものを2歳くらいの子どもに手渡すことを考えてみてください。それ以上の事が起こるでしょう。私たちは神の聖さを受け取るにふさわしいものとされているでしょうか?

・求めなさい:7-12節
イエス様は三つの命令をされています。何をしなさいと言われていますか?その者はどうなると書かれていますか?私たちは神様に対してこの事をしていますか?神様がしなさいと言うことをしないことも罪の一つです。天の父がどれほど憐れみ深いお方か、私たちは旧約聖書で見てきました。この父が私たちの父です。
だから、12節のことが実践できます。これは隣人を愛すると言うことを全うするので、律法であり預言者だということになります。

・狭い門から入りなさい:13-14節
二つの門がありますが、それぞれどのような門ですか?そのぞれの特長を挙げてみましょう。また、それぞれの門はどこに至りますか?イエス様はどちらを選べと言われていますか?

・偽預言者の見分け:15-23節
偽預言者の特長を見てみましょう。彼らはいかにも悪そうにやってくるでしょうか?それとも、一見とても素晴らしい人のようにやってくるでしょうか?それを見分ける方法は何でしょうか?20節に答えがあります。
21節からは、天の御国に入る者が書かれています。どのような者が天の御国に入れられると書かれていますか?何かをなすことと、主との関係を深めること、どちらが大切でしょうか?

・山上の垂訓のまとめ:24-28節
ここは、旧約聖書でも何度も語られていたことです。ここでは2タイプの人が出てきていますが、共通している部分は何ですか?違っている部分は何ですか?比較してみましょう。自分はどちらになりたいですか?
イエス様はこれを単なる教えとして教えられませんでした。権威をもって教えられました。どうして権威があったのでしょうか。それを自ら行われていたからこそ、権威をもって説得力のあるメッセージができました。

【8章】いやし

・ツァラアトのいやし:1-4節
ツァラアトとは当時、不治の病として知られていました。また、当時のこの地方では汚れたものとして扱われていました。(参照:レビ記13章)このツァラアトに犯された人は人々から見捨てられたような人です。この人は誰に頼りましたか?また、イエス様に何といいましたか?彼が求めたものはいやし以上のものでした。それは何ですか?
また、ツァラアトの人に触る者も汚れてしまいますが、イエス様は3節でどうされましたか?イエス様は何といわれ、どうしましたか?ここに神の愛と憐れみを感じますか?

・百人隊長の信仰:5-13節
百人隊長の悩みはなにでしたか?それに対して、イエス様は7節でどのように答えてくださいましたか?また、その事に対して、百人隊長はどう答えましたか?彼は何を求めましたか?イエス様は百人隊長の何を称賛しましたか?そして、しもべはどうなりましたか?私たちはイエス様のお名前を使う特権をいただいています。この出来事の権威をこの小さき者が使うことが許されています。この信仰をいただきましょう。

・悪霊の追い出し、病のいやし:14-17節
ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いていました。イエス様はどうされましたか?私たちはどのようにしてイエス様と触れることができるでしょうか?それはみことばを通してです。私たちもペテロの姑のように、困っているときにイエス様に触れていただくことができます。
また、夕方に大勢の人がきました。悪霊につかれた人々です。今度は、イエス様は彼らに対してどのように対処されましたか?ペテロのしゅうとめへの対処の違いを見ることができますか?イエス様のお名前を用いて祈り、宣言するとき、この同じ力が働きます。イザヤの預言の成就です。

・献身の確認:18-22節
律法学者がイエス様の前に進み出ます。腐敗した彼らの中からも主を求める者がいたことを感謝します。彼は献身を希望しますが、イエス様はどう答えられますか?
人の子とはイエス様です。枕する所がないとは、安息するときではないということです。イエス様は地上での大きな務めがありましたが、それをまだなされていません。それをなすまでは休むことができないのです。その覚悟があるかを律法学者に問いました。
また、別の弟子が言ったことは何でしょうか。これは、家族をむげにしなさいと言っているのではありません。心の中の優先順位を問われています。いつでもイエス様が一番である必要があります。

・嵐の中で眠る:23-27節
弟子の中には漁師がいました。船を扱うことに関してはプロです。それでも、この大暴風に恐れています。慌てる弟子たちと対照的にイエス様はどうされていましたか?イエス様は弟子たちの状態を何だといわれましたか?ここから、「恐れ=●●●」という式が導き出せますが、それは何ですか?イエス様は起き上がって何をされましたか?するとどうなりましたか?

・豚の群れ:28-34節
船で向こう岸に着いた時、イエス様を迎えた二人はどのような人たちでしたか?また、彼らは何と言っていますか?彼らはどうしてイエス様の事を知っていたのでしょうか?また、彼らは自分で話していたと思いますか?それとも、別の者が話していたのでしょうか?
また、イエス様は彼らの中にいる者は単数でしょうか?複数でしょうか?31節を見てみましょう。彼らの願いに対して、イエス様はどのように対処されましたか?なにか行動しましたか?その結果、どうなりましたか?

【9章】信仰によるいやし

・中風の人のいやし:1-9節
イエス様は自分の町に帰りました。そこで中風の人がいました。その人は自分では動けないので、人に運んでもらっていました。イエス様は何を見て中風の人に話しかけられましたか?また、その内容はいやしに関することでしょうか?何についてイエス様は宣言されていますか?
それを聞いていた律法学者は心の中でどのように思っていたでしょうか。それに対して、イエス様は知識のことばの賜物を用いて彼らの思いを知って言われました。ここで語られていること、どちらが優しいですか?イエス様はその難しい方をあえて宣言され、中風の人は起き上がりました。それは何のためであると書かれていますか?6節を見てみましょう。また、その結果人々はどううなりましたか?8節を見てみましょう。

・医者を必要とする者:10-13節
当時は、取税人は嫌われ者でした。また、罪人と食事を共にすることはありませんでした。しかし、イエス間は彼らを招きました。それを見たパリサイ人はどのように反応しましたか?12節、イエス様はごもっともなことを言われます。そして、13節を見ると、イエス様が来られた目的が書かれています。それはどういう目的でしょうか?私たちも招かれているでしょうか?

・断食と花嫁:14-17節
続いては、断食に関して問われます。パリサイ人は定期的に断食していましたが、弟子たちはしていませんでした。パリサイ人たちの言い分は、自分たちは神の戒めをこれほどまでに一生懸命守っているのに、どうしてあの人たちはしないのかと、自分の重荷を人にも負わせようとしています。それに対して、イエス様はどのように答えますか?古い着物、古い革袋とは何でしょうか?また新しい着物、新しい革袋とは何でしょうか?

・会堂管理者の娘と長血の女:18-26節
ここは、会堂管理者の娘が死んでしまう話です。しかし、その途中に別の話が挿入されています。まずはその挿入された話から見てみましょう。
20-22節を見てみましょう。ここで一人の女性が出てきますが、彼女はどのような病を患っていましたか?そして、彼女はどのように考えていましたか?イエス様はこの女性に対して、何があなたを直したと言っていますか?
それでは、続いて会堂管理者の娘についてです。18節に、この会堂管理者はイエス様のところに来て、どのような態度で願いましたか?彼の切実な気持ちを想像してみてください。
イエス様は会堂管理者の家に行きます。その周りには笛吹く者や群衆がいました。死人を弔うために雇われている人たちです。イエス様は彼らに対して24節で何と言われましたか?それにたいして、彼らはどのような態度を取りましたか?そして、イエス様はどのようになさいましたか?

・盲人のいやし:27-31節
ここでは二人の盲人が出てきます。彼らは何を叫んでいますか?彼らの願いはどのようなものでしたか?それはいやしを求めるないようでしたか?何を求めましたか?
そこでイエス様は彼らの信仰をためされます。それに対して、彼らは明確に「そうです。主よ」と答えました。イエス様は彼らに何と言われましたか?何が彼らをいやしましたか?

・口のきけない者のいやし:32-34節
続いては悪霊につかれて口のきけない人が出てきます。イエス様が悪霊を追い出すと、その人はどうなりましたか?そして、人々は非常に驚きます。
ところが、それを見ていたパリサイ人はイエス様をどのように言いますか?なぜその様に言ったのでしょうか。考えてみましょう。ヒントは、パリサイ人はいつも神のことを思わず、自分の事を考えていたということです。

・収穫は多いが働き手が少ない:35-38節
イエス様が巡られた町や村はどれ程だったでしょうか。すべての町や村と書かれています。そこで何をしたでしょうか。三つのことです。それは何かみことばから見つけてみましょう。
また、群衆を見て、イエス様はどのように感じられたと書いていますか?そこで主は弟子たちに何といいましたか?この状況は今でも続いています。私たちがこの一人とされていることを感謝します。引き続き祈り続けていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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