聖書通読クラブ Day 286

聖書通読クラブ Day 286【マタイの福音書 10章-12章】

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シャローム!

今日の通読箇所は、イエス様の奇跡が続きます。その奇跡の動機はいつもイエス様のあわれみの心でした。目の前にいる肉体的にも霊的にも傷ついている人をご覧になり、いてもたってもいられなくなるほどでした。それで、弟子たちに宣教を託されます。
また、安息日の本質を教え、悪霊に関しての奇跡と教えをして下さいます。人々はこのようなダイナミックな、目に見えるしるしを求めます。しかし、それは悪い時代だからだだとイエス様は言われます。
本質は目に見えない事にあります。風は目に見えません。しかし、風に揺れる木々を見て、風を知ることができます。この場合、本質は風でしるしは揺れる木々です。私たちはこの本質をみことばの中から今日も教えられて行きたいと願います。

今日の通読箇所:マタイの福音書 10章-12章

■アウトライン

●十二弟子と宣教への派遣:10章
  ・十二弟子に権威を授ける:1-4節
  ・十二弟子の派遣:5-15節
  ・遣わされる時の心構え:16-23節
  ・恐れるな:24-33節
  ・自分の十字架を負う:34-39節
  ・受け入れる報い:40-42節

●本当の安らぎを得るには:11章
  ・立ち去るイエス:1節
  ・ヨハネの弟子:2-6節
  ・バプテスマのヨハネについて:7-19節
  ・悔い改めない町々:20-24節
  ・わたしのところに来なさい:25-30節

●安息日と悪霊の追い出し:12章
  ・安息日の麦畑:1-8節
  ・安息日のいやし:9-14節
  ・イザヤの預言の成就:15-21節
  ・口のことば:22-37節
  ・しるしを求める者:38-45節
  ・母と兄弟:46-50節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】十二弟子と宣教への派遣

・十二弟子に権威を授ける:1-4節
イエス様は弟子たちに何をお授けになりましたか?その目的は何ですか?また、十二弟子の名前を見つけてみましょう。

・十二弟子の派遣:5-15節
イエス様が弟子たちに与えられたのは、すべての名に勝る「イエスの御名」を行使する権威でした。この御名にはすべてが従わなければなりません。それで、弟子たちは今度は実際に宣教の地へと派遣されます。その時にイエス様はとても具体的に指示を出してくださっています。どこの誰の所に行き、何を伝えるよう言われていますか?
また、9-10節では、何を持っていくように言われましたか?それは神様に完全に信頼するためです。
11節を見ましょう。彼らは適当に宣教をしているのではなく、祈り、御霊の導きを求め、その上で綿密に調査をしています。
その宣教の拠点となる所を見極める時のあいさつがあります。それは何で、どうしたらそこに留まるというしるしになりますか?その事が彼らにふさわしくなければ、どうなりますか?
平安の子を受け入れないのは、ソドムとゴモラよりも悪いとイエス様は言われています。

・遣わされる時の心構え:16-23節
今度は、派遣されるときの心構えです。この派遣は何の中に何を送り出すようなものだと言っていますか?その状況を想像してみましょう。そのときには、何のようにさとく、何のようにすなおでありなさいと言われていますか?それを自分の生活に当てはめるとどうなるでしょうか?
17節では、何に注意しなさいと言われていますか?しかし、その時、何を言うべきかを心配しなくて良いと言われています。話すべき事はどうなると19節に書かれていますか?20節では誰がそれを話すと言っていますか?
福音を伝えるとき、迫害が起こります。山上の垂訓でもそれは幸いであることが約束されていました。このような迫害の中、私たちの取るべき態度が示されています。22節にはいつまでにどうすることで救われると書かれていますか?そして、迫害されたらどうするように書かれていますか?

・恐れるな:24-33節
イエス様はこのようにあらゆるものを弟子に惜しみなく流し出してくださいました。その結論は、「恐れるな」です。主がヨルダン川を渡ろうとするヨシュアに語られたことばです。
イエス様は何を恐れるなと良い、何を恐れなければならないと言われていますか?
恐れてはならない事の具体的な例が29節にふたつあります。何と何でしょうか。そこからなにが学べますか?私たちと雀、どちらが優れていますか?
22-23節で、もし、人々を恐れてイエス様を隠してしまうならどうなると書かれていますか?

・自分の十字架を負う:34-39節
ここは衝撃的なみことばかも知れません。私たちが思っていることと逆のことをイエス様は言われています。表面的に読むと混乱してしまいます。これは、家族をないがしろにしろと言っているのではありません。文脈から見るなら、家族であっても人を恐れるのではなく、神を恐れなさいという意味で書かれています。
そのために、私たちがしなければならない具体的な事が書かれています。38-39節を読み、その意味をよく考えて祈ってみましょう。

・受け入れる報い:40-42節
イエス様の弟子を受け入れる者は何に等しいと書かれているでしょうか。41節では具体的な受け入れとその報いが書かれています。同じように、イエス様の弟子だと知って、その者に施す者には報いがあると約束されています。

【11章】本当の安らぎを得るには

・立ち去るイエス:1節
イエス様は弟子たちにすべてを伝え、立ち去られます。これがリーダーの姿勢です。自分で実際に模範を示し、具体的に教え、あとは部下を信じてリーダーはその場を立ち去ります。それで部下(弟子)たちは悩みますが、そこで自分で考え、祈り、成長します。そして、何かあったらリーダーが責任をとってくれます。イエス様は最高のリーダーです。
ところで、イエス様は別の目的がありました。それは何のためにそこを立ち去ったのでしょうか?ここに書かれている「宣教」とは、言語の意味では「宣言する」という意味になります。これがイエス様の目的です。

・ヨハネの弟子:2-6節
バプテスマのヨハネが捕らえられています。その獄中でイエス様の活躍を聞きます。イエス様はバブテスマのヨハネを今までの中で最高の預言者だと評価しました。しかし、そのヨハネをもってしてでも、獄中の孤独の中で不安になっています。本当にイエス様が救い主なのか、疑いが出てきたので弟子を遣わしました。
イエス様は遣わされた者たちにどのように答えられましたか?そして、「だれでもわたしにつまづかない者は幸いです」と言われました。この「つまづく」とは、腹を立てると言うことです。

・バプテスマのヨハネについて:7-19節
イエス様はヨハネの弟子たちが去った後、彼についてのイエス様の見解を群衆に話されます。9節、11節でイエス様はヨハネをどのようにご覧になっていたことがわかりますか?
また、12節ですが、ここは様々な意味合いで理解できると思います。このマタイの文脈からこの「天の御国は激しく責められている」ということを見てみると、天の御国は激しい攻撃を受けてきて、激しい人々がそれを高価な報酬として力ずくで奪い取っているということです。つまり、律法学者たちが自分たちのために、なんとかして天国に入りたいとあらゆる人間的な努力をしていると言えるのではないかと思います。
そして、イエス様はこのバプテスマのヨハネを何だと結論づけていますか?14節を見てみましょう。マラキ4:5の成就です。
この事を「耳のある者は聞きなさい」と言われています。これは「聞いて、よく考え、悟って、理解しなさい」という意味です。このみことばに従ってこれを実践してみましょう。
人々はバプテスマのヨハネやイエス様の事について、自分の事を基準にして好き勝手を言います。しかし、イエス様はそれに対してどうなると19節の最後で語られているでしょうか?

・悔い改めない町々:20-24節
イエス様は悔い改めない町々を嘆かれます。ツロはエルサレムが陥落したときにエルサレムをあざ笑いました。また、シドンはその王の娘、イゼベルを排出した地です。
イエス様は、さばきの日にはどちらが罰が軽いと言われていますか?
また、カペナウムとソドムはどちらが罰が軽いと言われていますか?それはどうしてだと思いますか?それは、罰が重い町々は実際にメシヤを見て、またその力ある御業を見ています。しかし、それでも悔い改めなかったからです。
私たちにもすでにみことばが与えられています。それでもなお悔い改めないなら、私たちもこのような町々になってしまいます。

・わたしのところに来なさい:25-30節
世の中の常識であれば、奥義は賢い者や知恵のある者に与えられると考えますが、イエス様はどのような者に隠し、また与えられると言われていますか?それは父の御心です。
27節には、天の父を知るために大切なことが書かれています。この「知る」は単なる情報として知るのではなく、完全に知る事、関係性を持つという意味合いの知ると言うことです。
そこでイエス様は28節からのみことばを語られます。これは多くの人は、はげましのことばとして好みます。しかし、本当の意味はそれ以上のものです。今までの文脈から見ると、人々は自分の力で天の御国に到達しようとしました。そして、神様がことばを語っても、しるしを示しても悔い改めようとしません。そのように、自分の力で神の国に入ろうとすることに疲れた人は、イエス様のところに来なさいと招いています。そうするなら、主の救いと平安が与えられると言われているのです。
また、29節にイエス様の特長がありますが、それはどういうものですか?どのようにすればたましいに安らぎがきますか?誰から学ぶ必要がありますか?イエス様のくびきは役に立ち、益になり、有用なものです。決して荒く、堅く、とがった締め付けるようなものではないのです。本来は快適で、ゆるやかで、気持ちの良い軽く負いやすいくびきです。

【12章】安息日と悪霊の追い出し

・安息日の麦畑:1-8節
ここからは安息日がテーマで話が進められていきます。安息日は金曜の日の入りから土曜の日の入りまでを指します。この日には自分の生きていくための仕事をストップして、神様を礼拝することに集中する日となります。
その日に弟子たちは何をしていたでしょうか?また、誰がそれを見つけ、何を言いましたか?それに対して、イエス様は何と答えられていますか?
さて、問題は弟子たちの行動が律法の規定に反するかどうですが、みなさんはどう思いますか?麦の穂を摘むというのは律法違反になるでしょうか?申命記23:25には「隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。」とあります。つまり、貧しい人に分け前を施すと言うことで、麦の穂を摘むことは許されています。問題はそれを安息日に行ったということです。
そこでイエス様はダビデを例に出します。そして、安息日に神聖を冒しても罪にならないと説明されます。ですから、神殿より大きなまことの宮であるイエス様と共にいる弟子たちの行為は律法に違反しないと言われます。この流れを見た上で、7節を見てみましょう。8節の意味は「人の子(イエス様)は安息日においても主なのである」と言う意味です。律法を守る「こと」よりも、律法の本質を知り、それを行うことが大切です。

・安息日のいやし:9-14節
今度は、イエス様は安息日にいやしを行われます。これらを見ると、イエス様は安息日を破ることを教えているように見えますが、そうではありません。神の戒めを本来の意味から勝手に変えてしまった人の教えに対して「これがわたしの言いたかった本当のことだ」ということを示されているのです。
安息日にいやしを行うことは律法違反ではありません。しかし、律法学者たちはこれを拡大解釈し、医療行為が労働にあたると勝手に決めてしまいました。けがをした人に包帯をしても良いのですが、治療は翌日まで待たなければならないとしていました。イエス様はそうではなく、人のいのちを救うことが安息日の本質だと語られます。
イエス様がこのように安息日の本質を示されたとき、パリサイ人はどうしましたか?そもそも、10節で、パリサイ人はどような動機でこの事をイエス様に質問したのでしょうか。彼らの心情、動機は何だったか想像してみましょう。

・イザヤの預言の成就:15-21節
イエス様はパリサイ人が自分を殺そうと相談している事を知り、その場を立ち去りました。どうして立ち去ったのでしょうか?イエス様は逃げたのでしょうか?そうではなく、パリサイ人と無駄な言い争いを避けるためでした。私たちはこのように、人から何か言われてもそこから黙って引き下がると言うことも上からの知恵であると知りましょう。そして、イエス様はこれらは、イザヤのメシヤ預言が成就するためであったと言われました。

・口のことば:22-37節
ここで悪霊につかれている人はどのような状態でしょうか?これは実際的な状態かも知れませんが、私たちも霊的にこのような状態になるかもしれません。イエス様はその人をどうされましたか?また、それを聞いたパリサイ人はどのように反応しましたか?それに対してイエス様はどのように返されましたか?
イエス様はパリサイ人が言っているような方法で悪霊を追い出しの多のでしょうか?それとも神の御霊によって悪霊を追い出しているのでしょうか?それならどうであると28節に書かれているでしょうか?
29節はイエス様が盗みを勧めているわけではありません。これは霊的な事を言っています。私たちは神の家、神の宮です。そこに悪霊がいるという状況をここで説明しています。ですから、私たちの悪の根を追い出し、それから神の国が訪れるのです。
30節に見分け方が記されています。それはどのようなものでしょうか。そして、31、32節は重要な事が書かれています。何が赦されると書かれていますか?だからと言って積極的にこの事を行ってはいけません。そして、何が赦されないことだと言っていますか?
33節を見ると、木の善し悪しは何によって見分けられると書かれていますか?それを人に適応したのが34節です。どこに満ちている物がどこから出てくると書かれていますか?もし、心が良ければ良いものが出てくるはずです。それが実です。
私たちのこの地上での人生が終わるとき、私たちはすべてのことばの申し開きをしなければなりません。ですから、37節をよく見て祈りましょう。

・しるしを求める者:38-45節
ここで律法学者、パリサイ人はイエス様に何を求めていますか?これは別訳では「証拠としての奇跡」と書かれています。そのことに対して、イエス様はどう答えられましたか?また、誰を引用して語られていますか?この人物とイエス様の生涯を照らし合わせてみましょう。また、この人物とイエス様、どちらが優れていますか?
そして、42節では別の人物が出てきます。この者を訪れた人は信仰を持って行動しました。福音を聞くために地の果てから彼の所に尋ねてきたのです。この王である人物とイエス様、どちらがまさっていますか?
そして、ここは悪霊の追い出しから話がつながっています。43節からを見ると、もし、悪霊を押し出しただけだとどのようになると、例え話で語られていますか?そうなると前の状態とくらべてどうなると書かれていますか?空っぽになった家(私たちの内なる人)に何を入れる必要がありますか?考えてみましょう。

・母と兄弟:46-50節
イエス様が説教をしていると、母マリヤと主の兄弟たちが外に断っていました。それを伝えた人にイエス様はどのように答えられましたか?イエス様は家族に対して無慈悲な人なのでしょうか?どうしてこのようなことを言われたのでしょうか?そうではなく、イエス様は律法に従って父母を敬っていました。また、兄弟たちを愛していました。しかし、ヨハネの福音書7章を見ると、兄弟たちはイエス様を信じていなかったようです。ここでイエス様が言われたかったのは、実際の家族以上に、神の御国を求めるものがイエス様にとって家族であるということでした。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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