聖書通読クラブ Day 280

聖書通読クラブ Day 280【ゼカリヤ書 7章-10章】

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シャローム!

今日の通読も、主の強く熱い愛を感じることができます。主は私たちが弱い存在であることをご存じで、失敗することもご存じで、その上で私たちを受け入れ、愛し、赦し、ご自身の恵みと祝福を私たちに与えてくださいました。
厳しいみことばで戒められても悔い改めに導かれますが、むしろこのような神の大きな愛を知るとき、より深い悔い改めに導かれます。「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ2:4)
今日も神の愛を受けて、みことばを通して悔い改めへと導かれていきましょう。

今日の通読箇所:ゼカリヤ書 7章-10章

■アウトライン

●誰のための働きか:7章
  ・わたしのために断食したのか:1-7節
  ・金剛石の心:8-14節

●エルサレムへの激しい愛:8章
  ・彼らを連れ帰る:1-8節
  ・祝福とならせる:9-13節
  ・真実と平和のさばき:14-17節
  ・断食は楽しみ喜びとなる:18-19節
  ・私たちもあなたがたといっしょに行きたい:20-23節

●戦いの中での平和:9章
  ・わたしがこの目で見ているから:1-8節
  ・柔和でロバに乗られる王:9-10節
  ・なんとしあわせなことよ:11-17節

●贖い:10章
  ・後の雨の時に:1節
  ・主の名によって歩き回る:2-12節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】誰のための働きか

・わたしのために断食したのか:1-7節
時はダリヨス王の第四年の第九月です。神殿の工事が始まって二年後です。エズラ記を見ると、ダリヨス王の第六年に神殿が完成してますので、ちょうど神殿の建築のまっただ中です。
ここで8章にかけて、四回の主からのメッセージがあります。
2節からを見ると、ベテルの人々が主に願うために人を遣わしています。この代表者、サル・エツェルとレゲム・メレクはバビロンからの帰還者で、バビロンの影響をうけているようです。彼らは捕囚の地で第五の月に長年断食を行っていました。律法で断食が命じられているのは大贖罪日だけです。しかし、第五の月はエルサレムの神殿が壊されたときです。ですから、彼らはそれを忘れないために自主的に、第五の月にバビロンで断食を定期的に行っていたと考えられます。
彼らがエルサレムに帰還し、以前の偶像は確かに取り去られました。ところが、バビロンから持ち込んだものもありました。それは目に見えない偶像、富や肉の欲などでした。彼らはバビロン捕囚を通して、状況は一新していましたが、心の深い部分では相変わらずでした。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)とあるとおりです。
彼らは何を主に伺いに来たのでしょうか。それは、神殿が新しく建築されているのに、神殿が崩壊された時の断食を続けるべきかということでした。すると主はどのように答えられたでしょうか。
4節から主は意外な答えをされます。ベテルからの使者に対してだけではなく、イスラエルの全ての民と祭司に向かって語られます。彼らは第五の月だけでなく、第七の月にも断食をしていました。それは総督ゲダルヤをイシュマエルという人物が殺害したことを覚えての断食でした。
しかし、主はここで人々の心に刺さることを言われます。「このわたしのために断食したのか」と問われます。これは人に良く起こることです。手段と目的が入れ替わっていました。彼らは断食すること自体が目的となってしまっていたのです。主は続けて、食べるにしても断食するにしても、それは自分自身のためではないかと問われています。一見、熱心に見えてもその目的が主のためではなく、自分のためでした。これを宗教的行為と言います。
7節で、主はソロモンの神殿が破壊される前、あなたがたの先祖は自己満足のための宗教儀式を行っていたのではないか?と問われています。
私たちはどうでしょうか?すべてを主のために行っているでしょうか。よく考える必要があります。

・金剛石の心:8-14節
彼らは帰還して、神殿を建築していました。それはとてもエキサイティングな事ですが、最も大切な事を忘れていました。それは第一の戒め、第二の戒めです。つまり、神を心から愛すること、そして自分を愛するように隣人を愛することです。
旧約聖書では613もの律法があります。それが上の二つの戒めに集約されますが、新約聖書ではさらに「隣人を愛する」ということが最高の律法だと書かれています。(ヤコブ2:8)神殿を建築することはすなわち、隣人を愛することにつながります。礼拝をささげるという事は素晴らしいことです。しかし、イエス様はこのように言われます。「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイ5:24)
私たちが人の目に立派に行っていることを、みことばによってとがめられたら、誰だって良い気分はしません。隠れた動機がみことばで明らかにされたとき、「どうしてこんなに一生懸命しているのに責められるのか」と言う反応と「気分は良くないけど、みことばに従います」という反応をすることができます。イスラエルの人々は前者の反応を取りました。それを「金剛石」と呼んでいます。金剛石とは、当時の中東地域で最も硬い鉱物でした。
このような頑なさは、最初小さなものでも、やがて麻痺してしまい、自分が間違った事をしていても正しいことをしていると思い込んでしまいます。どんな悪い人にもその人なりの正義があることからもわかります。
イエス様は姦淫の女性や病を持っているものに福音を語ったとき、彼らは悔い改めました。しかし、律法学者・パリサイ人に福音を語っても彼らは悔い改めませんでした。主は何度も何度もイスラエルの民を呼びますが彼らはそれに答えようとしません。しかし、なおも主は忍耐をもってなおも恵みを注いでくださいます。

【8章】エルサレムへの激しい愛

・彼らを連れ帰る:1-8節
ここから、もうご自分の怒りを示すときは終わり、新しい契約に入ります。神の怒りが十字架によって満たされました。ですから、祝福、アブラハムに与えられた約束が与えられます。
主がゼカリヤに語られた八つの幻の中にもこの思いがありました。主hじゃ妬むほど激しくシオンを愛されます。それゆえに、シオンを回復されます。
また、2節の主が帰ってきてくださることも幻で語られていました。人々はメシヤの到来を待ち望んでいました。今は私たちは再臨の主を待ち望んでいます。
4,5節を見てください。絶えず攻撃の対象になっているエルサレムがこのような状態になります。これは人の手ではできないことです。主がこれを行われます。
まだ神殿も完成していないときに、主はこのような事を語られます。にわかに信じがたい事で、人々には不思議に思えますが、主にはそのようには見えません。確かなご計画があります。
主が中心となられるエルサレムに人々を住まわせてくださいます。そして、主との関係も親密なものとされていきます。「彼らはわたしの民となり、私は彼らの神となる」と言われていることが実現します。そして、石の板に書かれていた律法が彼らの心の中に書き記されていきます。御霊によって心の一心がなされていきます。

・祝福とならせる:9-13節
主はハガイに語られたことをここでも繰り返されます。かつて、人々は王の家を差し置いて、自分たちのための家を杉の木で建てていました。その時には不作が続きました。しかし、主は「よく考えなさい」と言われます。立ち止まって彼らが悔い改めるなら、そこに祝福があります。
ここで興味深いのは、「わたしがすべての人を互いに争わせたからだ」とあることです。人は神が見えなくなったとき、自分に注目します。そして互いに争いが起こります。ですから、私たちは自分のために生きている以上に、主のために生きているのだと言うことを忘れないようにしなければなりません。
11節には神の愛があります。「しかし、今は」とあります。悔い改めるとき、その過去を主は意思を持って忘れてくださいます。主の新しい契約です。主の赦しです。悪のサイクルはイエス様の十字架によって断ち切られます。今までは今までです。今日という日に悔い改め、主に立ち返り、新しい日々を生かされていきましょう。
そして、12節では平安の種が蒔かれています。そこから実るものは何でしょうか。考えてみましょう。答えはヤコブ3:17-18を見てみましょう。
13節ではユダの家だけでなく、イスラエルノイエに対しても主が語られています。彼らは諸国の民の間で呪いとなってしまいましたが、ソロモン以降分かれた北イスラエルと南ユダの和解を通して、主は彼らを祝福とならせてくださいます。詩篇133にあるとおりです。

・真実と平和のさばき:14-17節
主は、イスラエルの人々を見て、心を変えてくださいました。今までは御怒りを表されていましたが、これからはさいわいの計画を立ててくださいます。そのために主は「恐れるな」と何度も励ましてくださっています。
そして、その中でしなければならないことが語られています。16-17節です。互いに真実を語ることです。さばきを行うときには真実と平和のさばきを行うことです。

・断食は楽しみ喜びとなる:18-19節
主はようやくここで、ベテルからの使者に対する答えを語られます。断食を続けるかどうかと言う伺いでしたが、第四、第五、第七、第十の断食は楽しみとなり、喜びとなります。

・私たちもあなたがたといっしょに行きたい:20-23節
ここに隣人の実践があります。互いに憐れみを示し、平和のさばきを行い、真実の交わりをする所に人々は引き寄せられます。イスラエルの人々だけでなく、異邦人もやってきます。
かつて、ソロモンのうわさを聞いてシェバの女王が訪れてきました。ソロモンはシャローム(平和)という意味です。主の恵みに人は引き寄せられます。
そして、23節には十人の異邦人が一人のユダヤ人のすそを堅くつかみ、「一緒に行きたい」と言っている姿があります。あまりにも恵みが満ちあふれるので、このようになるのでしょう。

【9章】戦いの中での平和

・わたしがこの目で見ているから:1-8節
この時代は神殿が建築されている最中ですが、ここからはペルシヤの次の時代、ギリシヤ、そして続くローマについての預言があります。ダニエルと同様です。
ここで「主の目は人に向けられる」とりますが、言語では「人の目は主に向けられる」という意味合いの方が強くなっています。アレクサンドロス大王がイスラエルに攻め込んでくるとき、いったいエルサレムはどうなるのか注目されるということです。
また、3,4章はツロに対することが書かれています。以前にエゼキエル26章で見た所です。ツロは貿易で富を得ていましたので、「銀をちにように積み、黄金を道ばたの泥のように積み上げ」とあります。しかし、アレクサンドロスによってだんだんと沖にある島に追い詰められ、土手を海の中に作らせ、結局はそこを倒しました。主はそのような富を蓄えるツロを嫌っておられました。
ツロとシドンを倒した後はペリシテの町です。
このようなイスラエルの周辺は慌ただしいことになっていますが、主は「わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ」とあるように、イスラエルを守ってくださいます。

・柔和でロバに乗られる王:9-10節
シオンの娘、エルサレムの娘に喜び叫べと言われています。王が来られるからです。この王はどのような方でしょうか?みことばを見てみましょう。
この王は立派な軍馬ではなく、ロバに乗って来られます。へりくだりの象徴です。そして、ロバの背中を見たことがあるでしょうか。そこにはなんと十字架の模様があるのです。これはイエス様がロバに乗ってエルサレムに入場される事の預言です。このお方はエルサレムだけでなく、全世界に平和をもたらしてくださるお方です。

・なんとしあわせなことよ:11-17節
ここからはギリシャの時代に関することですが、その先のことも含まれています。まずは捕囚の人が帰還する所から始まっています。
「あなたとの契約の血」とは、アブラハムと結んだ契約です。「水のない穴」はもともと地下水があった所を収監所にしている所ですから、とらわれから解放されると言うことになります。それで「望みを持つ捕らわれ人」と書かれています。契約の血があるので、捕らわれていても必ず解放されるという約束です。その報いは二倍です。
13節からは、マカバイの反乱を預言していることではないかと思われます。「ヤワン」とはギリシャ人のことです。
16節からは、「その日」と書かれています。終わりの日に主の民の群れとして救われます。なんとしあわせなこと、麗しいことでしょう。

【10章】贖い

・後の雨の時に:1節
主は終わりの日に起こることを後の雨に例えています。これは春の雨で、植物に実りをもたらす雨です。後のものは先の栄光に勝ります。そのような霊的な大収穫が終わりの時代に起こります。その後の雨の時に、雨を求める必要があります。時にかなって捧げられる祈りは大切です。

・主の名によって歩き回る:2-12節
主は彼らに戦うための力を下さいますが、その前に偽預言者や指導者に対して怒られます。主が彼らを罰し、主がユダの民を強くしてくださいます。
4節に様々な表現が出てきますが、これはすべてイエス様を指しています。
主が戦われるので、ユダも敵の戦いに勝利していきます。これはイエス様が再臨される前の戦いです。その戦いを通して、人々は救われ、世界中に散らされている人々が戻ってきます。ですからそこに喜びがあります。主にある楽しみがあります。
主は離散した人々を集めるときに合図をされます。御使いによるラッパの音です。マタイ24:31には「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方から選びの民を集めます。」とあります。彼らは少ない人数で出てきましたが、子どもたちと共に大勢で帰ってきます。
10節からを見ると、主は南北の強国、エジプトとアッシリヤから彼らを贖い出すと約束して下さっています。イザヤもこの事を預言しました。
そして、この章は次のことばでまとめられます。「彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る。」何をしても、歩くときも、彼らは主の名によって歩くようになります。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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