聖書通読クラブ Day 239

聖書通読クラブ Day 239【エレミヤ書 43章〜45章】

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シャローム!

聖書は創世記から黙示録まで、一貫して聞くことが語られています。今、書店などでも話の聞き方に関する本をよく見かけるようになりました。人は話すことよりも聞くことの方が難しい生き物です。また、聞けてもその通りに行動できるかというと、さらにハードルが上がります。
自分の考えていることと同じ事なら聞き従うことは容易ですが、自分の考えていることと反対の事を言われたとき、その人の本当の資質が問われます。葛藤を覚えますが、そのことを通してへりくだることを覚えます。
今日のみことばを通して、人の心の奥にある陰険さを悟らせていただきましょう。

今日の通読箇所:エレミヤ書 43章〜45章

■アウトライン

●エジプトへの逃亡:43章
  ・主の御声に聞き従わなかった:1-7節
  ・隠された石:8-13節

●あきらめない神の情熱:44章
  ・それでも聞き従わない民:1-14節
  ・誰のことばに従うか:15-19節
  ・悪い行いに耐えられない主:20-23節
  ・神と民のどちらのことばが成就するか:24-30節

●主のために働く報い:45章
  ・求めるな:1-5節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【43章】エジプトへの逃亡

・主の御声に聞き従わなかった:1-7節
アザルヤとヨハナンと共にいた人たちは「高ぶった人たち」と呼ばれています。彼らはエレミヤに対して、「あなたは偽りを言っている」と言います。そして、書記役のバラクまで引き合いに出して、「彼の影響であなたはおかしくなっている」と言います。高ぶった人たちは自分の意見を通すために手段を選びません。それは無意識かも知れませんが、偽りを正当化して言っています。
そして、残念なことに繰り返し「主の御声に聞き従わなかった」と書かれています。ヨハナンと将校はすべての人とエレミヤもバルクも連れてエジプトの国に連れて行きます。そしてついにエジプトとの国境、タフパヌヘスまで来ます。

・隠された石:8-13節
ここで、主はエレミヤに預言的な行動を促します。パロの宮殿はもちろんエジプトにもありますが、タフパヌヘスにもありました。「その宮殿の入り口の敷石の下に大きな石を隠しなさい」と主は仰せられます。この場所はちょうど、バビロンの王ネブカデネザルが本営を張ると行っていた場所です。
ちなみに、考古学者によってタフパヌヘスのパロの宮殿が発見され、敷石の下に大きな石があるが発掘されたそうです。
そして11節からを見ると、エジプトでのバビロン捕囚を見ることができます。エルサレムで起こったことがエジプトでも起こります。エジプトでは太陽神があがめられていました。もちろん、偶像礼拝も盛んでした。しかし、バビロンはエルサレム神殿にしたように、エジプトの偶像も神殿も破壊します。
ユダの人々はエルサレムでの崩壊を見ました。その前に何度もエレミヤに語られた主の声を聞きました。それでも主のことばを信じず、従おうとしない姿勢があります。この事を見てどう感じますか?これは他人事でしょうか?祈ってみましょう。

【44章】あきらめない神の情熱

・それでも聞き従わない民:1-14節
エジプトの地で、エレミヤはいのちをかけて愛した同胞に最後の預言をします。そして、主はなぜエルサレムにバビロンが攻めてきたか、なぜ破壊されたかと言うことをもう一度はっきりと語られます。もしかしたら彼らはエルサレムが廃墟となったという現実しか受け止めていないかも知れないと思ったからです。必ず、起こることには原因があります。
エレミヤは丁寧に、わかりやすくエルサレムの荒廃はほかの神々に行き香を焚いたからだと言います。それで、彼らが神のことばを聞いても悔いあらためなかったからだと言います。
彼らは神のことばを聞かなかったのでしょうか。エレミヤ以外にも預言者は遣わされました。確かに彼らは神のことばを聞いていました。しかし、それを自分の事として受け止めていませんでした。ヘブル4:2には「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったのです。」とあります。
それなのに、彼らはエジプトでも同じ偶像礼拝の罪を犯していました。それを率先して行っていたのは女性たちのようです。
彼らはエジプトに下り、そこで定住しようとは考えていませんでした。「寄留しにエジプトの国へ行こうと決心した」とあります。もしエジプトに何かあったらユダの地に変えることも考えていたのでしょう。
ところが、エレミヤは「帰れる所はない」とはっきりと言います。わずかに残った者は帰れますが、多くはエルサレムで体験した恐怖をエジプトでももう一度体験するのです。
彼らは物理的に、実際の災いから逃れようとエジプトに逃げてきましたが、変えられなければならないのは場所ではなく、彼らの心でした。

・誰のことばに従うか:15-19節
彼らは大胆にも、はっきりと主に従わないことを表明しています。明確な背信です。そもそも彼らは本当にエジプトに下ることを主に求めていたのではなく、自分の意見の確証を得るために主に伺いました。それで、自分たちの意見と違ったので開き直ってこのような行動に出たのです。
彼らの主張の特長は「わざわいは、天の女王にいけにえをささげるのをやめた時から起こった」ということです。ヨシヤ王による宗教改革によって、偶像礼拝はストップしたので、おそらくそのことを指していると考えられます。しかしその後、ヒゼキヤの子マナセが再びアシェラ像の礼拝を取り入れました。この事が原因でエルサレムの破壊を招いたのです。
罪の中にいると、心が鈍くなってしまいます。そして、自分の事を正当化しようとして、過去の事実を曲げてしまうことを平気で行います。ある人は無意識でそのことを行います。
また、この時天の女王に積極的に関与していたのは女性たちでした。パン菓子も作っています。彼女たちは夫に相談せずにこの事を行っていました。しかし、民数記20:7には「夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。」とあります。妻の行動には夫の同意が必要です。つまり、この行動は妻が悪いのではなく、それを治めることのできなかった夫に責任があります。

・悪い行いに耐えられない主:20-23節
肉の欲望に従う性質を見ることができます。罪の性質は隠すことです。そして、真実を曲げてしまうことです。
例えば、「イエス様を信じたら良いことがあると言われたのに、信じたら次々と不幸が起こる。イエス様を信じてから私の人生は苦難ばかりだ」と言う人がいます。しかし、実際はそうではありません。他に原因があるはずです。手放すべきものを手放していなかったり、頑なな自分の主張を変えることができなかったりということなどです。
様々な良いわけを使用とする彼らにエレミヤははっきりと「あなたが主に仕えることをやめて、生活がおかしくなったのだ」と教えます。私たちは大丈夫でしょうか。

・神と民のどちらのことばが成就するか:24-30節
主は憐れみ深いお方であり、あきらめることなく情熱を持って私たちを呼んでくださいます。しかし、あまりにも頑なだと、主の呼びかけは終わってしまいます。
主は彼らに戻ってくるように何度も語りかけられましたが、ここまでしても彼らは主に立ち返らない決断をします。主は私たちに自由意志を与えてくださり、それを尊重してくださいます。それで、彼らが主を選び取らないとはっきり言ったので、主はこのように彼らを明け渡されます。しかし、自分たちの選択の刈り取りはしなければなりません。
残念ながら、このようにして彼らは神を知らない異邦人のようになってしまいました。
ところが、神様はここまでなっても憐れんでくださいます。ここまで神様を裏切る民をも主は見守ってくださっています。加えて残された者に対して、ご自分の真実なことばを明らかにされ、神に立ち返る道を用意してくださっています。なんという神の憐れみでしょうか。

【45章】主のために働く報い

・求めるな:1-5節
ここではエレミヤに仕えてきたバルクに個人的に主が語られます。このエレミヤを書き留めた事を考えるなら、彼の苦労はどれ程だったでしょうか。私もこのコラムを書くのに書くだけで2時間ほどを要します。それに加え、何度もみことばを読んだり、調べたりしていると膨大な時間になります。ほんのすこしだけですが、バルクの大変さがわかります。
バルクがエレミヤの預言を書き記したからこそ、私たちも今、こうしてエレミヤ書を読むことができます。そして、この当時、神様がいないかのような混迷の時代ですが、その中にあってしっかりと神のことばを記すことはとても意味のあることです。この文章によってダニエルはエルサレムの荒廃が70年であることを悟りました。私たちも沢山の恵みを受けています。
ところが実際は大変です。自分の働きに意味を見いだせなくなっていますが、主はバルクに対して、自分のために大きな事を求めるなと仰せられます。主が災いを下されるからです。そして、主が彼の行く所どこにおいても、自分のいのちを分捕り物として与えると約束してくださっています。主のために働くなら、主が報いてくださいます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主のみことばに従うことは本当に難しいです。いつも聖霊様の助けが必要です。主の憐れみに感謝します。

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