聖書通読クラブ Day 232

聖書通読クラブ Day 232【エレミヤ書 22章〜24章】

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シャローム!

今日も偽預言者への警告が語れています。現代は誰でも手軽に情報を発信できる時代です。便利である反面、信憑性も大切になってきます。動画サイトなどで沢山のメッセージを聞けます。海外の神の器のメッセージも聞くことができます。本当に素晴らしい時代です。
しかし、それと同時に注意しなければいけません。彼らは私たちの霊的な覆いではないからです。私たちは所属している牧師の覆いの下に入れられています。それは大いなる祝福です。
しかし、時にはそのことが窮屈に感じるかも知れません。家でいつも同じ味の食事ばかり出されるように感じるかもしれません。そうしたら、よその家の食事が食べたくなり、友だちの家に行きたくなるでしょう。しかし、そこはその人の本当の家ではないのです。
自分に都合の良いメッセージを語ってくれる器を求めて右往左往することと、一所に留まり、そこでじっくり成長すること、どちらが幸いでしょうか。今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:エレミヤ書 22章〜24章

■アウトライン

●無責任な王:22章
  ・なぜ主は大きな町をこのようにしたか:1-12節
  ・目と心が自分の利得だけに向けられる:13-19節
  ・若い頃からのあなたの生き方:20-23節
  ・地よ地よ地よ:24-30節

●偽預言者の特長:23章
  ・主は私たちの正義:1-8節
  ・ぶどう酒に負けた男のよう:9-10節
  ・預言者も祭司も汚れている:11-14節
  ・自分の心の幻を語っている:15-17節
  ・去らない主の怒り:18-20節
  ・もし彼らがわたしの会議に連なったら:21-24節
  ・主の宣告と言うな:25-40節

●いちじく:24章(1-10節)

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】無責任な王

・なぜ主は大きな町をこのようにしたか:1-12節
ここでもユダの王に対して語っています。門はこの当時はとても重要な役割がありました。今で言う市役所や簡易裁判所的な役割がありました。ルツ記でもボアズが親類の者と話し、くつを渡したことでもそのことがわかります。
そこで困っている人立ちを救済することが言われています。イエス様は正にこの公儀と正義のお方です。
王たちはこれを忠実に行う必要がありました。自分の都合を超えて、主の戒めにしたがう心が大切です。
そして、6節からにあることですが、王の宮殿は杉材に囲まれたとても高級な所でした。しかし、そこが荒野となります。異邦人でさえ、エルサレムの廃墟を見て神をあがめるようになります。「なぜこのような大きな町が廃墟となったのか」と質問すると「彼らが神の契約を捨てて他の神に仕えたからだ」と答えています。

・目と心が自分の利得だけに向けられる:13-19節
ここではヨシヤ王の息子、エホアハズに対しての預言です。エジプトはエホアハズを捕囚した後、金銀をエホヤキムに要求しました。その上、無休で自分の宮殿のために働かせていました。
父ヨシヤも豊かな富を得ていましたが、それは彼の努力もありましたが、彼が主を恐れ、公儀と正義を行ったからです。神に対するへりくだりが彼に祝福をもたらしました。
エホヤキムは罪のない者の血を流したとありますが、エホヤキムが悪いことをしたわけではありません。むしろ、何もしなかったのです。王として何もしないなら、それは民に罪を犯させ、血を流させるのと同様です。
そして、エホヤキムは家族からも嫌われます。さみしい人生です。

・若い頃からのあなたの生き方:20-23節
バシャンはイスラエルの北端、いまのゴラン高原あたりです。アバリムはヨルダン川の東の山々です。そしてレバノンが出てきます。
ユダ王国はこのような周辺諸国と同盟を結んでいたので主は「あなたの恋人」と呼んでいます。そのような国々に、エジプトに変わってバビロンが攻め入り、国々を倒していきます。
それはまた、エホヤキンの生き方でもありました。若いときから主に聞き従わない生き方でした。その生き方が結実し、このようになっています。人は自分の蒔いた種を刈り取ります。

・地よ地よ地よ:24-30節
エコヌヤはエホヤキンのことです。右手の指輪の印とありますが、これは王が文書を書き、それが王の書であることを示すために押される印です。エステル記でもハマンが王の印を使って文章を書いていたことを覚えているでしょうか。
つまり、主にとってそのような大切なものでも、主は抜き取ると言われています。主に聞き従わないことが続くとこのようになります。
そして、ついに、なんとユダ王国でダビデ王朝が途切れてしまいます。しかし、主は別の所からダビデの子孫を起こされます。

【23章】偽預言者の特長

・主は私たちの正義:1-8節
主はついに指導者たちについて、主が言及されます。主の大切な作品、すなわち民が牧者に委ねられています。指導者は彼らをかばい、守らなければならないのですが、逆に散らしてしまいました。
彼らが危険が迫っているにもかかわらず「平和だ」と言って何もしなかったので、民は殺され、捕囚されました。
しかし、3節からを見てみましょう。主語が「わたし」となっています。指導者にはできなかったので、主が働かれます。このあと、多くの指導者が出てきますが、誰も民を解放できません。ただ、指導者の中の指導者、イエス・キリストだけが解放することができます。
5節に若枝、つまりメシヤのことが書かれています。エレミヤの時代に正義はことごとく失われていました。その最中にあって、主は「主は私たちの正義」と言う方を立てられることを約束してくださっています。このお方はすべてを満たしてくださるお方です。
7節からは、人々は出エジプトの主という言い方からバビロン捕囚から解放してくださった主と言うようになります。
人々は新しい贖いの中に入れられます。私たちも罪の束縛から、イエス様によって解放されました。肉の誕生が出エジプトだとすると、イエス様を信じて、自分が死に、たましいが新しく生まれ変わることがバビロン捕囚からの解放かも知れません。

・ぶどう酒に負けた男のよう:9-10節
ここからは、偽預言者に対する預言です。ここを見ると、エレミヤはあまりの国の堕落の様子に心が砕かれ、骨が震えています。
国は酔っ払い、姦通する者で満ちています。

・預言者も祭司も汚れている:11-14節
預言者の汚れが指摘されています。彼らが偽預言を行う大きな理由は「自分たちの行いが悪い」ということです。本当の預言者だったら、国が汚れていても自分たちはしっかりと立つはずです。しかし、彼らは自分たちがそこに溶け込んでいるばかりか、積極的に堕落へと導いています。
自分の欲で目がくらみ、神のことばが聞けなくなっています。そして、神のことばをまっすぐに説き明かすことができなくなり、生ぬるいメッセージになります。どうしてでしょうか?神のことばをストレートに語るなら、自分が一番にさばかれてしまうことを知っているからです。その様な者は毒水を飲まされます。

・自分の心の幻を語っている:15-17節
さらに、偽預言者は心の中の幻を語ります。人は主に三つの心の声があると言われます。一つは神から、もう一つは悪魔から、そして三つ目は自分の肉の声です。彼らは正に自分の肉の声を聞いていました。「主はあなたがたに平安があると告げられた」と言っていますが、主はそのような事は言われていません。その逆で、破壊があると言われています。
そして、彼らのことばは、むなしいものとします。むなしいものとは偶像と同じ意味があります。

・去らない主の怒り:18-20節
そのようにならないためには、「主の会議」に連なる必要があります。主が議長で、そこに人々が集います。主が語り、その意味がわからなければ質問し、祈り、また主のことばがありと言うことを繰り返す議会です。言い換えるなら、みことばを読んでそれを反芻し、祈り、またみことばを読みという生活です。
そうするなら、聖書を私的解釈することなく、主のことばをそのまま聞き、たましいへと悟らせることができます。

・もし彼らがわたしの会議に連なったら:21-24節
偽預言者は人の顔色ばかり伺います。人の深い所は見ようとせず、表面的な部分だけを見ます。しかし、神の前には何も隠すことができません。
表面的な励ましのことばは一時的に人を元気づけるかも知れませんが、長続きはしません。ところが、神のことばは一度、士に渡されるかも知れませんが、キリストと共に復活し、人々を悔い改めへと導き、御霊の更新によって私たちを日々新しくして下さいます。

・主の宣告と言うな:25-40節
ここでは偽預言者の夢が書かれています。これは主にある夢ではなく、感情や感傷的な心に訴えかける人間的な力です。
教会の中で「私はこんな夢を見ました」と言って、それを語る人がいました。興味深く聞いていると、その中にみことばは一つも出てこず、その人はみことばよりも、自分の夢を高く置いている様子でした。それで、私はすべての夢が神からのものではないと言うことをお伝えし、再度その夢に関して祈ることをお伝えしました。
夢は三つの種類があります。神からの夢、悪霊からの夢、しょうもない夢です。夢は科学的には、脳が一日の記憶を睡眠中に整理している課程で眠りが浅くなり、その記憶が断片的につながって見るものだと言われています。ですから、夢の内容を良く思い返してみると、前日話した事だったり、何げなく見た広告だったりすることがよくあります。しかし、その中に確かに主からの夢もあることは確かです。ですから、みことばによって吟味しましょう。
主は、偽りの預言をする者の敵となられます。神に勝てる者などいません。32節を見ると、彼らは偽りだけではなく、自慢話をしています。夢は人々を主の所に導くものではなく、自分のすごさを自慢するためのものになってしまっているのです。そのような話は枝葉が付いて、事実よりも大きく語られたりもします。
そして、主は「主の宣告」と言ってはならないと言われます。以前私の経験を分かち合ったと思います。その人は私に「個人預言してもいですか?」と聞いてきたので、あまり気は進みませんでしたが「どうぞ」といって祈ってもらいました。その人は一言ごとに「主は言われます」と言って、本当に当たり障りのないことしか言いませんでした。もちろん、悪い気はしませんが、それ以上に、みことばに基づく事が何もなく、主の権威を使って軽々しい事を言っているように聞こえたので途中で祈りを止めてもらいました。
もし、祈るときに口癖のように「主は言われます」と言ってしまうのであれば、33節以降を何度も読んでみましょう。そして、聖書全体を読んでみましょう。確かに主は語られますが、人に直接語られるときは私たちが思っているほど多くは語られません。
唯一、主の宣告、主が言われるといえるのはみことばだけです。預言の働きは素晴らしいものです。非常にパワフルです。それゆえに、使い方を気をつけなければなりません。人々を間違った道へと導くだけでなく、自分に滅びをも招いてしまいます。
たとえ、世界的な預言の器と言われる人であっても、必ずその内容はみことばによって吟味される必要があります。案外、主のみことばは私たちを興奮させたり、エキサイティングなないようではなく、非常に地味であり、当たり前のように感じることが多いのです。しかし、そこに本当のみことばのちからがあります。
まずはみことばを聞くことです。聞いて、聞いて、聞いていくうちに、主は少しずつ語りかけて下さるでしょう。
その時にはへりくだって「主よ、お語り下さい。しもべは聞いています」という姿勢で聞きましょう。そして、必ず語られた内容をみこばで吟味しましょう。

【24章】いちじく:24章(1-10節)

私たちは時に、主のなされることは理解できないことがあります。ここでは人々がいちじくに例えられていますが、捕囚された人が良いいちじくで、残された人が悪いいちじくのように見えます。残された人は「助かった、辛い思いをしなくてすんだ」と思うかも知れません。しかし、主のご計画はバビロンを用いて捕囚された人たちを貧しい思いにさせ、その中から主に対する激しい飢え乾き、初めの愛を思い出させようとされているのです。
残された人は、主の選ばれた場所で、今まで通りの事をしていれば大丈夫と思っていたかも知れません。ここにいれば安全だと思ったかも知れません。しかし、その時はそうではありませんでした。
苦しみに会っている時には、今が精一杯で、何も考えることができないかも知れません。しかし、そこから逃げることなく、主を信頼してその苦しみの杯を受けるなら、主はちょうど良いときに解決を与え、その者を幸いな道へと連れ戻して下さいます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主は私たちの正義です。感謝します。
    主に聞き従う生き方ができるように祈ります。

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