シャローム!
伝道者の書は、読み進めていくときに少し混乱しそうになります。あまりにも地上の事に目が向けられているからです。この書はソロモンの晩年に書かれました。多くの妻をめとり、そのことによって異教の神がもたらされ、ソロモンの信仰が落ち込んでしまったときの書簡です。あらゆる事を経験し、その中で得た結論はすべてがむなしいので、ただ主を恐れて歩むということでした。
私たちは、この書簡からイエス様の恵みという宝を見つけさせていただかなければなりません。この書をそのまま読むと、まるで仏教の教えのようになってしまいます。人の目からではなく、神の目、聖霊様の助けを持って伝道者の書を読み進めていきましょう。
今日の通読箇所:伝道者の書 7章〜9章
■アウトライン
●神のみわざに目を留めよ:7章(1-29節)
●従う事の報い:8章
・知恵ある者にふさわしい:1節
・王の命令を守れ:2-5節
・快楽を賛美する:6-17節
●武器よりも強い知恵:9章(1-18節)
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【7章】神のみわざに目を留めよ
みことばを読み、それを行うときに一つの迷いが出てきます。自分の肉によって歩んでいるのか、それとも神様の召しに従って歩んでいるのかです。
1-5節を読むと、よくわからないことが出てきます。喪中の家の方が祝宴の家よりも優っているというのです。私たちの価値観とは逆です。どうしてかというと、死は今まで自分が築き上げてきたものを超えて、人の手の届かない領域であり、その人を神様がどのように導かれたかを見ることができるからです。
召された人は話すことができません。しかし、葬儀に集まった人がはっきりとその人と神様との関係を見ることができます。私の義父は長年教会で長老として仕え、小さきものを憐れみ、人知れず多くの人を助けてきました。葬儀に集まった誰もが「長老はあのとき、私にこのような良いことをしてくれた」と口々に言っていて、私たちの全く知らないところで沢山の宝を天に積んでいたんだと言うことを知ることができました。
どんなに医療が発達しても、死の前に人の力は及びません。経済や努力で永遠のいのちを得ることはできません。ただ、主の恵みです。
すべての人類が死を経験しますが、私たちは二度の死を経験します。実際的な死とキリストにある死です。私たちはキリスト共に自分に死に、また復活することができます。もはや私たちが生きているのではなく、キリストが私の内に生きています。
7-9節、事の終わりを意識することが書かれています。人生設計をするときに「ゴールベース」という考え方があります。「いつまでに、いくらの資産を形成するか」ということを先に決定して、それに向けて資産形成をしていきます。
結婚生活においても「あのときは良かった」と結婚当初を振り返って言う人たちがいます。私はそのことは良くわかりません。確かに、結婚当初は良かったのですが、今はもっと良いのです。愛が深まっています。お互いの様々な所を見て、受け入れ、赦しあい、共に涙し、共に笑って今があります。その一緒に歩んだ時間はかけがえのないものであります。おそらく、生涯の終わりはもっと良くなっているでしょう。事の終わりは、その始めにまさります。
10節にもそのことが書かれています。確かに過去のことが良かったという事が一時的にはあるでしょう。しかし、長期的に見るなら、必ず今の方が良いはずです。知識や知恵が増し加わっていくからです。確かに、今はアダムから始まって悪くなる一方のように思いますが、終わりにはイエス様の回復があります。ここを見て生きることが信仰的な生き方です。11-12節では、今あるもので満足する事が書かれています。
13節、私たちのいらだちの理由はここにあるかも知れません。神が曲げたものをだれもまっすぐにはできません。私たちが人の力でそれをまっすぐにしようとするからストレスがたまります。神様が曲げられたものは曲げられたもの、まっすぐにされたものはまっすぐなまま、それを受け入れ、従うのが従順な心です。
14節にはとても大切な事が書かれています。順境の日には喜びます。逆境の日には反省します。一日の終わりにはこの両方があるかも知れません。このように自分を省みることは大切です。
15-18節にはバランスを取る大切さが書かれています。何かにこだわる事は大切ですが、それに執着することは気をつけなければいけません。16節にありますが、正しくあることは大切ですが、正しすぎてはいけません。イエス様の時代の律法学者を見たらそのことがわかるでしょう。私たちは「自分こそが正しい」と思いたいかも知れませんが、正しいのは神様だけです。しかし、愚かすぎてもいけません。信仰はバランスが大切です。
21-22節、人の語ることばにいちいち心を止めてはならないとあります。これは陰口や、のろいのことばです。最近はインターネットで「エゴサーチ」と言って、自分に関することを検索して確認するという文化があります。その大半は批判的なことでしょう。ここから反省点や改善点が見えるかも知れませんが、私はそれほどメンタルが強くないので見ないようにしています。もちろん、自分の間違いを指摘する叱責はへりくだって聞く必要がありますが、いわれのないことを勝手に言っていることにいちいち心を病んでいては疲れてしまいます。主は知っていてくださっています。主に目を向け続けましょう。
【8章】従う事の報い
・知恵ある者にふさわしい:1節
ソロモンは知恵が顔を輝かし、表情を柔らかくすると言っています。神に従う生き方、従順な生き方は私たちの表情を明るくします。自分の顔は輝いているでしょうか?モーセは神様と顔と顔を合わせて語り合った後、はだが光りました。知恵と会い、話したからです。
・王の命令を守れ:2-5節
王の命令を守ることは、国民の義務です。この時代、王は神様からの召しと油注ぎで立てられました。ですから、王のことばは神の声を聞いて発したことになります。
王は民を守ることが使命です。そのために多くの知恵ある家臣が様々な情報を持ち寄ります。その上で様々なことを判断します。ですから、王は考えた上で宣言をします。これに従うことは祝福です。王に「あなたは何をするのですか」と聞くことは愚問です。王の言った事はそのまま従うのです。その様なものはわざわいを知りません。
・快楽を賛美する:6-17節
悪を行えば、必ずその報いがあります。しかし、そのさばきは神様に委ねられています。悪者がいつまでもさばかれないように思えるときもあるかも知れません。そのことを見るときには、私たちの心は騒ぎます。その時こそ、主を信頼しましょう。
このような状況で、いつまでもさばかれないことを「しめしめ」と思うかも知れません。しかし、それは悔い改めるための神様からの恵みの時です。さばきが遅らされている事を感謝し、悔い改めましょう。
15節からは、「快楽を賛美する」とあります。これだけを聞くと、快楽主義者のように聞こえるかも知れません。そうではなく、悪者がいつまでもさばかれず、不法がはびこっているのであれば、食べて飲んで楽しむ事がこの地上での喜びだと言っています。
そして、ソロモンは昼も夜も眠らず、人の仕事を見ようとしていますその時一つのことを見いだしました。それはすべては神の御業であること、そして、人は地上で行われる主の御業を見極めることができないということです。つまり、神の知恵は人の能力をはるかに超えているということです。この神の知恵を求め続けることは大切です。しかし、すべてを知ったと思ったなら、それは過ちであることを覚えておく必要があります。
【9章】武器よりも強い知恵
これは前の章の続きです。ですから「というのは」ということばで始まっています。
人の働きの動機は愛かもしれません。憎しみかもしれません。それは人にはわからないものです。確かなことはすべてが主の御手の中にあるということです。
2-3節を見ると、すべての事はすべての人に同じように起こると書かれています。地上では確かにうまくいっていると思ったら病気になったり、成功したと思ったら事故にあったり、正しい人にも悪い人にも同じような災いが起こります。同様に、正しい人にも悪人にも太陽は注ぎ、雨は降ります。そして、結局人は死を迎えます。これは地上の歩みだけ、肉の部分だけを見た事です。イエス・キリストを信じる者は死んでも永遠に生きます。正しく歩むものは天で報いがあります。4-6節、人は死んでしまったら何も残らないという事が書かれています。しかし、これは日の下、つまり地上だけに注目した見方です。神様を知らない人は死んだらそれで終わりだと思っています。ところが私たちは違います。復活のイエス様を知っています。医者や科学者はこの事を信じることができないかもしれません。復活を証明できないからです。理解できないからです。もし、神の復活を理解することができたら信仰は必要ありません。人の考えを超えた事をされるのが神様です。このお方に永遠のいのち、まことの希望があります。
伝道者の書では、地上の事に目が向けられており、そこでは労苦する事が書かれています。ですから、7節以降を見るときに、少し混乱するかもしれません。ソロモンは快楽に溺れろと言っているのではありません。この地上で主が与えてくださった楽しみを楽しみなさいと言っています。そして、10節は大切です。自分の手もとにあるなすべことは「みな」、自分でしなさい。とあります。「みな」です。神様のして下さる領域と、自分が行わなければならないことを主に教えてた抱きましょう。自分は何もしないで神様にだけ働かせるという図を見るなら、どちらが神かわからなくなってしまいます。神様だけが働かれるのではなく、自分たちだけで働くのでもなく、主と共に働くことが大切です。
11節以降を見ると、時と機会について書かれています。これは伝道者の書のテーマでもあります。自分の努力ではどうしようもない領域があります。自分のタイミングではなく、神様のタイミングがあります。ちょうど、サーカスの空中ブランコのように、お互いのタイミングが合ったときに信仰を持って手を離すなら、向こうのブランコに飛び移ることができます。
13節以降は知恵者が自分の町を開放したことが書かれていますが、誰もその知恵者を覚えていないと書かれています。知恵の方が力に勝っていますが、貧しいということでさげすまれています。
知恵は武器に勝ります。しかし、ひとりの罪人が多くの良いことを打ち壊すとあります。この一節を読んで、祈りが沸き起こりました。「主よ、私を罪人にさだめないでください。知恵を与えてください」と。ある宣教師の話が印象に残っています。彼とチームのメンバーは、伝道が難しい地域に入っていき、長い時間をかけて地域の人と関係を築き、だんだんと心が打ち解けるようになってきたそうです。その時間と労力は考えられないほどです。その地域の人たちが、もう少しで福音に対して心を開きそうになったとき、外から宣教団体が入ってきて強引な伝道をし、今までの事が台無しになってその地域を追い出されてしまったそうです。正義とはなんでしょうか?福音を伝えさえすれば良いのでしょうか。何が愛の行いでしょうか。私たちはみことばを通して、深く考える必要があります。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
復活のイェス様に感謝します。
主と共に働くことができるように祈ります。