聖書通読クラブ Day 27【出エジプト記28章~30章】

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シャローム!

今日の通読箇所の主役はアロンでしょう。このアロンが最初の大祭司であり、その子どもたちが祭司となります。
祭司、また大祭司は普通の人とは違う生活をし、違う着物を着ていました。それは不自由に見えますが、神に最も近いところで仕えることができました。

私たちも信仰を持った故に不自由に感じることがあるかもしれません。しかし、それは神に仕えている証拠となるでしょう。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:出エジプト記28章~30章

■アウトライン

祭司

●祭司の装束:28章
  ・装束の概要:1-5節
  ・エポデ:6-14節
  ・さばきの胸当て:15-30節
  ・青服:31-35節
  ・かぶりもの:36-38節
  ・長服:39-43節

●祭司の聖別:29章
  ・祭司職の任命:1-9節
  ・任職のための贖いのいけにえ:10-14節
  ・残りの任職ののための羊:15-22節
  ・任職のパン:23-25節
  ・食用の羊:26-34節
  ・七日間の任職式:35-37節
  ・日ごとの捧げ物:38-44節

●幕屋の器具と油:30章
  ・香の壇:1-10節
  ・贖いの金:11-16節
  ・洗盤:17-21節
  ・注ぎの油と香料:22-38節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【28章】祭司の装束

ここからは祭司の衣装に関して書かれています。その着物は他の人々と明らかに異なっています。その一つひとつに神様のメッセージがあります。

2節にこれから作られる着物の様子が書かれていますが、それはどのようなものですか?
3節では、その装束を作るのはどのような人だと言われていますか?
4節には6つの装束が書かれていますが、それは何でしょうか?書き出してみましょう。

6節からはエポデというものが作られていきます。これはチュニックのようなものといえば想像できるでしょうか?
そこに肩当てがつけられます。そこには12部族の名前が記された石がつけられます。方は権威の象徴です。祭司はいつも人々を背負ってとりなしています。

15節からのさばきの胸当ての奥には、ウリム(光)とトンミム(完全性)という二つの石が入れられ、それをもって神様の御心を求めました。
16節からの胸当てを図に書いてみましょう。どの場所にどの宝石が配置されているでしょうか?
そこには何が記されると書かれていますか?
続いて、胸当てと肩当てが鎖でつながれます。胸当てと肩当てに共通しているものはなんでしょうか?天と地が一つとされるようです。

その下には青服が着せられます。袋に首と手を通す穴を開けたような装束です。
その裾にざくろと鈴が交互につけられます。これらはおそらく裾がめくれ上がらないよう、重りの代わりにつけられていたのでしょう。
また、鈴は祭司が誰も入れない至聖所で働きをしているとき、神に打たれて動かなくなっていないかどうかを知るためでした。

続いては「主への聖なるもの」と刻まれたプレートをかぶり物につけます。神の印が刻まれる場所にこのプレートを掲げることはとても興味深いものです。

39-40節は下着とターバン、飾り帯について書かれています。

この衣装を子どもたちにも着せます。

これらの衣装は祭司としてのアイデンティティーをあらわします。
例えば、警察の制服を着ている人がいたらその人は警官として認識されますし、白衣を着ていたら医者や研究員だと認識するでしょう。
神から見ても、人から見ても、また、自分自身にも今仕えているのは誰のためか、何のためかを絶えず確認できるよう、主はこのような特別な服を祭司に与えてくださっています。

【29章】祭司の聖別

前の章で装束が指示され、作成されました。しかし、これで終わりではありません。それには仕上げが必要です。7節にはどのように書かれていますか?

10節からは任職の雄牛を罪の贖いのためにいけにえとしなさいという命令です。
ここで雄牛の頭に手を置く行動が書かれています。これは罪の転嫁を魅しています。人の中にある罪を傷のないいけにえに移し、自分の代わりに屠られるというわけです。
頭に手を置くといえば、按手の祈りがあります。この祈りは権威者が執り行う祈りです。ですから不特定多数の祈りではこのような祈りは避けた方がいいのではないかと思いますが、詳しくは所属教会の牧師先生の指示に従ってください。

20節では面白いことが書かれています。血が右の耳たぶと右手の親指と右足の親指の三点に塗られます。
この意味は書かれていませんが、私の考えでは耳は主の御声を聴くため、手は主の働きを行うため、足は主の道を歩むために血が注がれるのではないかと思います。

この後、何度も七日間が出てきます。完全性を表す数です。

45-46節、とても重要なみことばです。

【30章】幕屋の器具と油

1節からは香の壇の作り方です。祈りを象徴する器具です。黙示録などに「祈りの香」と書かれているからです。(黙示録5:8)
また、香の壇は他の器具と違ったところがありますが、わかるでしょうか?
他の器具は棒を入れて担ぐための金環が4つありますが、香の壇は2つが対頂角に配置されます。担ぎ、運ぶときとても不安定になります。
これはどこに置かれていると書かれていますか?ヘブル9:4にはどのように書かれていますか?
もし、香の壇が至聖所の中にあったら、7節のみことばは実行できますか?
至聖所は年に一度、大祭司しか入ることができませんから、香の壇は聖所と至聖所を分ける幕の手前、聖所にあったと考えられます。
しかし、本来は至聖所に属するものです。
祈りは主のご臨在のある至聖所と聖所をつなぎます。

11節からは税金について書かれています。集められたものは何に使われますか?16節前半を見てみましょう。
ここに「贖いの銀」と書かれていますね。ですから、銀は贖いを象徴することがあります。

17節からは洗盤が出てきます。これは自分が何者であるか、アイデンティティーの回復を象徴します。
青銅は女性の鏡としても使われていました。そこに水が張られるので、のぞき込んだ者は自分の顔と天を同時に見ます。自分と天を同時に見ることで、自分は神の子であるというアイデンティティーの確認をします。
また、この水によって祭司は洗われます。20節には、この水を浴びないとどうなると書かれていますか?聖書で水はみことばを意味します。

22節からは香料に関することです。この香料は適当に作っていいものでしょうか?25節を見てみましょう。また、32節にはどうのように書かれていますか?

34節からは香油に関して書かれています。37節、38節はとても大切です。心に刻みましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。

 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。

 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。

 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?

 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?

 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?

 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 兄弟姉妹を覚え、肩(神の力、権威をもって)に担い、
    胸(神の愛で)に抱き、とりなすのですよ
    あなたがたは、宝石のように高価で・・・いとおしい者たちなのです。
    わかりますね。私が命をかけたほどの者達です。
    祭司の装束は、祈るときの心構えです。
    私に習うものになりなさい。
    私は天で、祈っています。
    私が選んだ者、私の花嫁になる、あなたがたには必ずできます。
    そのために私は十字架にかかったのです。
    聖霊様が助けてくださいます。
    兄弟姉妹を愛するのですよ。
    と励ましの声が聞こえてくるようです。

    十字架の力に頼るとともに、
    主イエスが天で祈っていることをも信じなければならないと思いました。
    私たちの祈りが神の前に香として届くのも、主イエスの祈りがある為なのだから。

    29:46 彼らは、わたしが彼らの神、【主】であり、彼らのただ中に住むために、彼らをエジプトの地から導き出したことを知るようになる。わたしは彼らの神、【主】である。

    私たちのただ中に住み、私たちの神となってくださる。
    神がエジプトより民を導き出されたのも、
    彼らの中に神が住まわれるために外ならなかった。
    どんなに神は神の民との交わりを求めておられるかを
    聖書という神様からの分厚いラブレターで知らされた思いです。

    30:38 これと似たものを作って、これを嗅ぐ者は、自分の民の間から断ち切られる。」

    これを嗅ぐというところに 悔い改めを感じました

    今日の礼拝は恵まれたとか、何度も聞いた話だよねとか
    今日の賛美は恵まれたとか良かったとか・・・悪かったとか
    ついつい思ってしまうし、よく聞く言葉なのですが、
    それは自分が香を嗅ぐ立場に、
    礼拝を受ける神の立場に立っているということだと思います
    前に出る奉仕者だけではなく、自分も参加して礼拝を捧げていなければ、
    ともすれば神が受けるべき礼拝の香を、
    自分が受け、嗅いでしまっている誘惑に陥ってしまします。
    また奉仕者も、自分の為の礼拝になってしまう誘惑があります。
    そうではなく、今日の礼拝を主よ、お捧げします。
    お受けくださいましたか?
    どの礼拝も、あなたに受け取っていただけないものがありますならば
    私はとても悲しいです。
    受け取っていただけるものでありますように、
    あなたにふさわしい礼拝をお捧げすることは自分の力ではできません。
    あなたの助けが必要です
    聖別して油注いでください。

    祭司たちは立てられて、その奉仕をする前に、
    まず油を注がれなければならなかったとあります。
    出エジプト記30章30節

    主の力なしでは、何もできないし
    1日も生きていけない者です。
    まず、神様の奉仕をする前に、アロンが油注がれたように
    今日も主の力を素直にそして、大胆に求めます。
    私たちに、あなたからの力を与えてください。
    アーメン

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