聖書通読クラブ Day 127

聖書通読クラブ Day 127【歴代誌 第二 16章~18章】

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シャローム!

人の人生は決して軽いものではありません。特に、葬儀に参加するとそことがわかります。多くの人が死を悼みます。知らなかったような人から故人の生前の事を聞いたりします。(同時にもっと早く教えてくれたら生きていたときに本人に話せたりとも思ったりします)
もし、みなさんが自分の葬儀を見ることができたら、どのような人に集まって欲しいですか?そして、何と言って欲しいですか?
「ああ、俊介は途中まで神様に熱心に仕えていたけど、最後は残念だったね」と言われたら、私は本当に悲しいです。
集まる愛するみなさんから「俊介は最後の最後まで、立派に信仰を貫いていたね」と言われるなら、私は喜び踊りながら天へと凱旋していくでしょう。
今日の通読ではアサ王とヨシャパテ王が出てきます。二人とも最初は良かったのですが、晩年で残念な事になります。
その原因は何でしょうか。どうしてそうなってしまったのでしょうか。信仰のレースを疲れることなく、たゆむことなく走りきる秘訣は何でしょうか。
今日もみことばを朗読し、教えられていきましょう。

今日の通読箇所:歴代誌 第二 16章~18章

■アウトライン

何に信頼しているか

●最後に頼るもの:16章
  ・同盟:1-6節
  ・予見者への怒り:7-10節
  ・アサの業績:11-14節

●だれも戦いを仕掛けない:17章
  ・富と誉れが豊かに与えられるヨシャパテ:1-6節
  ・教えの徹底:7-9節
  ・王に仕えた人々:10-19節

●偽りを言わせる霊:18章
  ・アハブと縁を結ぶ:1-3節
  ・偽預言:4-11節
  ・偽りを言う霊:12-22節
  ・獄屋に入れられるミカヤ:23-27節
  ・何げなく放たれた弓:28-34節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【16章】最後に頼るもの

・同盟:1-6節
ここまで見てきたとおり、アサ王は本当に素晴らしい王様です。自分の母でさえ偶像礼拝を許さず、様々な分野で宗教改革を起こしました。しかし、晩年は残念な事になってしまいます。
アサ王の敵が出現しますが、それは異邦人ではなくイスラエルから出てきました。バシャ王がラマを築き、エルサレムに行って礼拝した者が出てこれないようにしました。
今までのアサ王なら間違いなく主に求めたことでしょう。しかし、一度勝利の美酒を味わってしまった彼は主ではなく、外国の敵を頼ってしまいます。金と軍事力、政治力で解決をしていきます。
この時点で神様からの怒りがアサ王に下れば悔い改める機会があったのかもしれませんが、なんとこの作戦がうまくいってしまい。実際にバシャはラマを築くことをあきらめました。
しかしその隙をついて別の敵が侵入してしまいます。
アサ王は大きな困難であったら、神様に求めたでしょう。しかし、バシャについては主に求めるまでもなく、自分でできると考えてしまいました。その事があだとなってしまいました。
このアサの晩年の行動を見て、私たちは何が学べるでしょうか。私たちは事の大小を問わず、何をするべきでしょうか。

・予見者への怒り:7-10節
この時、ハナニという先見者がアサ王の所に来ました。そして、アサ王が行ったことをはっきりとことばにして伝えます。
そして、アサ王が思ってもいないことを告げます。それは敵はイスラエルではなく、アラムだというのです。アサの失敗は、神様をあまりにも小さく見積もってしまっていたことです。
私たちも同じ事をしてしまわないでしょうか。「神様はここまではしてくださるけど、ここからは無理だろう」などと考えてしまわないでしょうか。神にとって不可能なことはないのです。
自分の考えの中に神様を押し込んでしまってはいけません。神様は偉大なお方です。
そして9節に目を向けましょう。主はどのような人に御力を現してくださるのでしょうか。そのために何をすれば良いでしょうか。みなさんならもうわかるはずです。もし、その事をしないのであれば、数々の戦いに巻き込まれてしまいます。
このハナニのことばにアサ王は10節でどのように反応していますか?どうしてこのような反応をしてしまったのだと思いますか?
おそらく、図星のことを言われたからです。多くの人は本当の事を言われると腹を立てたり、怒ったりします。真実は冷たいものです。
だから、私たちは愛と神の知恵を持って人にアドバイスしたいと思いますが、アサ王から学ばなければならないことは何でしょうか。
それは、ダビデの心です。ダビデはナタンからバテシェバ、またウリヤのことを指摘されたとき、直ぐに自分の過ちを認め悔い改めました。アサ王と正反対です。
晩年になってアサ王の心の底に眠っていた主への反抗心が表に出てきてしまいました。もっと早くこの問題に気づき、処理しておけば良かったのにと思ってしまいます。実はそれはアサ王の問題ではなく、私の問題です。私の中にもこのような性質があります。でもなかなか認められないこともあります。だから聖霊様の助けが必要です。

・アサの業績:11-14節
アサ王は晩年に足の病気にかかりました。12節で彼が病の中で取った行動はどのような者だったでしょうか。
これは、病気でも医者に行ってはならないと言っているのではありません。私たちは大いに医療の力をも借りて、健康な体になることを求めていきましょう。そうではなく、神様よりも医療の力を上に置いてしまったということです。
無知から、頭ごなしに薬は悪いと言う人もいます。それはその人の信仰なので私はどうも思いませんが、それを人に押しつけてくるとき、少し残念に思います。
現代の医療と信仰、どのようにこのバランスを取っていけば良いのでしょうか。それぞれが祈って考えてみてください。
私は、医療も薬も用います。そして、処置してくれる先生、看護師さんを祝福してくださいと祈ります。受付の事務の方に笑顔でありがとうございますと声をかけます。薬を飲むときにもイエス様のお名前によって祈り、この薬を用いて私の体を早く完全にしてくださいと祈り服用します。これは私の信仰です。それぞれが考えてみてください。
しかし、これだけは気をつけたいのはアサ王のように主に頼らずに医者だけを求めることです。主は私たちの創造主であり癒やし主であられるお方です。この方に私たちは大胆に求めることができます。
人生の大半を神の目に正しい行いをしてきましたが、最後に残念なことになってしまったアサ王でした。私たちも最後まで信仰を持ち続けることができるよう、互いに祈り合いましょう。

【17章】だれも戦いを仕掛けない

・富と誉れが豊かに与えられるヨシャパテ:1-6節
アサの後を引き継ぐのはヨシャパテです。さらなる純粋な礼拝を求めて改革は続きます。
3節、本当にうらやましいようなヨシャパテの評価が書かれています。「主はヨシャパテと共におられた」この理由は何でしょうか。どうして主はヨシャパテと一緒にいてくださったのでしょうか。3-4節を見てみましょう。
ひとりの王の決断によって、この国に祝福がもたらされます。主が王国を彼の手によって確立させてくださっています。
それに加え、富と誉れが豊かに与えられたと書かれています。その結果、ヨシャパテはどうなったでしょうか。益々主を求める者となっています。主の道にいよいよ励んだとあります。
私たちも神様の愛を受けたとき、同じような行動に出るのではないでしょうか。「主が私たちを愛してくださったから、その愛に応えたい」と言う思いがわき上がって来ます。これが主への感謝と礼拝の心です。まず主が先に私たちを愛してくださったことを感謝します。

・教えの徹底:7-9節
ヨシャパテはアサよりもさらに突っ込んで改革に取りかかります。それがこの箇所です。ヨシャパテは何をしたのでしょうか。みことばを見てみましょう。
彼は教師を整え、民に律法を教えました。教育です。これが本当に重要です。
なぜイエス様に出会った人が教会から離れてしまうのでしょうか。しっかりとした福音が教えられていないからです。自分で自分のたましいを養う方法を教えられていないからです。
教会に主の心を持った教師がいる教会は祝福された教会です。逆に教師が建てられていない教会はどれだけ人が集められても、ざるのように教会から離れていってしまうでしょう。
神学ではなく、自分の主張でもなく、また政治学でもなく、純粋にみことばを教える教師がすべての教会に配備されていきますように。

・王に仕えた人々:10-19節
このような歩みをしたヨシャパテですが、軍隊以上の守りがありました。主の守りです。主の恐れがユダの回りの地のすべての王国に臨みました。
ヨシャパテは権力以上に主の権威が与えられていました。主を第一とする彼の歩みが彼をこのようにしたらしめました。
ヨシャパテは多くの軍備を強固にしますが、それに頼り切ってはいませんでした。
彼が並外れて強大になったのはなぜか、もう一度みことばを思い返して、自分にあてはめてみましょう。

【18章】偽りを言わせる霊

・アハブと縁を結ぶ:1-3節
列王記でも触れましたが、ここは本当に謎です。あれほど主を慕い求めていたヨシャパテが晩年に突然凶悪なアハブ王と縁を結ぶのです。
アハブはどのような王だったでしょうか。ヤロブアムの罪に歩んだ者でした。ヤロブアムの罪とは金の子牛を拝む罪です。それだけではなく、アハブはあの凶悪なシドンの王の娘、イゼベルを妻として迎え、バアルの信仰を取り入れた張本人です。
ヨシャパテは富と誉れが豊かに与えられていました。アハブはそれを目的に近寄ってきたのかもしれません。アハブはヨシャパテ自信を求めていたのではなく、ヨシャパテが持っている物が欲しかったのです。アハブは尋ねてきたヨシャパテに沢山のいけにえをほふってもてなします。しかし、これはパフォーマンスです。人の良いヨシャパテ王はアハブの腹黒さに気づきませんでした。
そうして、アハブはヨシャパテをうまく誘い込み、自分の魂胆であるラモテ・ギルアデの戦いに誘います。
ヨシャパテはユダとイスラエルの一致を願って縁を結んだのかもしれませんが、2コリント6:16の前半には「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。とあります。一致を願っても相容れないものもあるのです。

・偽預言:4-11節
4節にヨシャパテの普段の歩みが現れています。「まず主のことばを伺ってみてください」これは本当に重要です。主のことば無しに生きていくのは、目隠しして東京の真ん中を全力疾走するようなものです。イスラエルの王は400人の預言者を集めますが、人数が多いだけでみな偽りの預言をします。考えてみてください。400人の人が口裏を合わせたように同じ事を言うのです。どう考えてもおかしいです。
ヨシャパテは他に預言者がいないかを聞きます。実はミカヤがいたのですが、イスラエルの王アハブはミカヤを嫌っていました。その理由は何であると書いていますか?いつも自分に悪いことを言うからと言う理由です。まるで子どものようです。預言者は神のことばを告げます。それを受け入れないのは彼の問題です。
聖書を読むとき「いつも私が責められているようで苦しいです」と言う人がいます。それは事実です。神のことばは私たちの肉の性質を殺します。神の厳しさが満ちていますが、それに勝る神の愛と恵みがあります。神からの叱責を聞かない者は愚かな者です。
9節からを見ると、ゼデキヤが出てきます。王のために鉄の角まで作って他の預言者たちと同じ事を言います。
みことばに立っていない人はこの鉄の角に目が惹かれて、ことばの内容に耳を傾けにくくなるかもしれません。そうではなく、何を言っているかをしっかりと聞かなければなりません。見分けの賜物が必要です。

・偽りを言う霊:12-22節
ここで彼らの裏事情がばれてしまいます。12節を見てみましょう。それに対してミカヤはどう答えましたか?私たちもこのような勇気が必要です。
単に人を喜ばせることばや、気を遣って心にもないことを言って励ましをすることは、逆にその人を苦しめることにつながるかもしれません。その人を喜ばせること以上に神様をお喜ばせする必要があります。神様が喜ばれればその人も喜ぶはずです。
14節からミカヤが預言しますが、その内容はどのようなものでしょうか。なんと、彼らと同じ内容です。しかし、これは王をからかって皮肉を言っているのです。その後に続くことが神様の心です。
18節からを見ると、驚くべき事が書かれています。アハブを惑わしたのは神様が許可された惑わしの霊によるというのです。
以前にも書きましたが、主は誘惑されるお方ではありません。ヤコブ1:13には「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」とあります。
次の節には「自分の欲に惹かれて、おびき寄せられて、誘惑される」とあります。このみことばの基準から言えば、アハブ王は自分でこれらを引き寄せたといえます。
終わりの時代には偽預言者が沢山出てきます。自分の気に入ることだけを言う偽教師を集め、自分に都合の良い教えだけ聞きたがる人もいます。
みことばは心地良いものだけではなく、時にはたましいの奥を貫かれるほど厳しい物もあります。しかし、そのようにして私たちの神に喜ばれないものが切り分けられていくのです。ですから、この事は神様の愛と憐れみであると言えます。

・獄屋に入れられるミカヤ:23-27節
神からのことばを告げたミカヤは捕らえられます。預言者は多くの場合孤独です。まことの預言者であるイエス様でさえ、ご自分の民に裏切られ、罵られ、むち打たれ、殺されてしまいました。神の国のために迫害される者は幸いです。

・何げなく放たれた弓:28-34節
アハブはどう考えてもやり過ぎです。ミカヤに対してひどい仕打ちをしました。その刈り取りの時がやってきます。
イスラエルの王、アハブはヨシャパテと共に戦いに行くとき、自分は変装していくがヨシャパテには王の服を着せたままで出て行きます。うまいことばでヨシャパテをだまし、自分だけ助かろうとする魂胆が見え隠れしています。
そして、列王記には書かれていませんでしたが、ヨシャパテが助かった経緯がここには書かれています。
なんとヨシャパテはこの時に主に助けを叫び求めたのです。考えてみてください。王の服を着て囲まれたのはヨシャパテでした。しかし絶体絶命のピンチの中でも主に助けを呼び求めるなら助けられるのです。一方、悪い心を持ってヨシャパテを陥れようとしたイスラエルの王は何げなく放った矢によって傷を負い、死んでしまいます。
最後にこの「なにげなく放った矢」について考えてみましょう。エペソ5章で悪魔の火矢というものが出てきます。様々な象徴があるでしょうが、矢はことばでもあります。私たちが何げなく放ったことばが相手の心の草摺の間から急所を突くこともあります。私も何度もそのような失敗をしてしまい、多くの人を傷つけてしまいました。本当に申し訳なく思っています。
自分は大丈夫だと思っていても、相手にとっては不快なことばというものがあります。心にあることが口から出てきますので、いつも心にキリストをいっぱいに満たしていましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 祈り、みことばを読むことが難しく妥協してしまう日もあります。事の大小に関わらず、人生の終わりの日まで、主に頼りたいと思います。

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