シャローム!
長い人々の名前の列挙はユダとレビの部族にフォーカスされていました。それはこの歴代誌が王のいなくなったイスラエルにまことの王を待望する気持ちがあることを物語っているようです。
彼らは捕囚から帰ってきて、異邦人の支配の中王もおらず、細々と信仰を保っていました。しかし、その中でも彼らは救い主の訪れに対する情熱を増し加えていっています。
私たちもまだ見ぬイエス様が来られる事に期待しているでしょうか。イエス様はいつ来られるかは決してわかりません。しかし、今来られても、100年後に来られても良いように、霊的な生活と実際的な生活のバランスを保ちつつ、主をお迎えする準備をしていきたいと願います。そのために欠かせないのが通読です。
それでは、今日もみことばに教えられていきましょう。
今日の通読箇所:歴代誌 第一 10章~12章
■アウトライン
武功よりも大切な忠誠心
●サウル王の最期:10章
・サウルの死:1-7節
・サウルの葬り:8-12節
・サウルの死の理由:13-14節
●ダビデと仲間たち:11章
・油注がれるダビデ:1-3節
・ダビデの町:4-9節
・ダビデの勇士の頭:10-14節
・アドラムのほら穴:15-19節
・アブシャイ:20-21節
・ベナヤの手柄:22-25節
・勇士たち:26-47節
●ダビデを助ける者たち:12章
・ツィケラグに来た勇士:1-7節
・ガド人から離れて来た者たち:8-15節
・ベニヤミンとユダから来た者たち:16-18節
・マナセから来た者たち:19-22節
・武装した者のかしら:23-37節
・ダビデを王とする:38-40節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【10章】サウル王の最期
・サウルの死:1-7節
長い系図の後はサウルの死からはじまります。
サウルは射手立ちに狙い撃ちにされ、痛手を負います。しかし、当時は誰に殺されたかが重要な時代でした。このままでは異邦人に殺されてしまいます。王としての恥です。
それで、道具持ちに「殺してくれ」と願いますが道具持ちは拒否します。それで、サウルは自分の次を取り、そこにうつ伏せになり、道具持ちもそれに続きました。1サムエル31章と同じ箇所です。
聖書では剣はみことばを意味します。みことばの上に倒れたら、肉体の性質は死にます。
・サウルの葬り:8-12節
この日、サウルと三人の息子たちは殺されてしまいます。ペリシテ人が来て剥ぎ取っていきます。その中、ヤベシュ・ギルアデの人々が来て、いのちがけでサウルを盗みだし、丁寧に葬っています。
・サウルの死の理由:13-14節
ここにサウルの死の理由があります。見た目は非常に素晴らしい人物でしたが、中身が伴っていませんでした。「人はうわべと見るが、主は心を見る・」(1サムエル16:7)というサムエルのことばは本当です。
主がサウルを殺された理由は何でしょうか?13節に二つあるので、見つけてみましょう。そして、それが自分の人生に、家族の人生に起こらないように祈りましょう。
【11章】ダビデと仲間たち
・油注がれるダビデ:1-3節
サウルからダビデに王権が移されることは主の御心でした。ここからはダビデを慕って集まってきた者たちが書かれています・
まずはダビデが王とされる場面が書かれています。ダビデのもとに集まってきた者はダビデにとって自分たちはどのような者だと行っているでしょうか。
そして、サウルが王であったときもイスラエルを動かしていたのはダビデだと言っています。人々は何も知らないようでリーダーの事をよく見ています。裸の王様状態だったサウルもサウルで少しかわいそうな気がします。
こうしてダビデは全イスラエルの王となります。
・ダビデの町:4-9節
王が誕生しただけでは片手落ちです。王の住む場所が必要です。ダビデはエルサレムに王宮を建てたいという願いがありました。しかし、そこには強敵エブス人がいました。エブス人は高ぶりの象徴です。
ダビデはどのようにこのエブス人を討ち取ったか覚えていますか?ギホンの泉から地下水路を掘り、そこから要害の中に侵入して打ち倒しました。(2サムエル5:8)
みことばを掘り下げ、それに従い通すこと、これがへりくだりです。ダビデが高ぶりの象徴であるエブス人に打ち勝った方法を通して、私たちは自分の中の高ぶりに打ち勝つ方法を学ぶことができます。みことばを読み、それに従うことです。
ダビデはどうしてそのような事ができたのでしょうか?9節にあるように、「万軍の主が彼と共におられた」からです。この主は私たちと共にもおられます。ですから、私たちもできます。
・ダビデの勇士の頭:10-14節
これ以降はダビデを支えた影の立役者たちが出てきます。王は一人ではなれません。多くの支えてくれる人たちがいて王として立つことができます。
神の国でも同じです。牧師先生や賛美の司会者だけが大切なのではなく、神の家族は全員等しく大切な存在です。その一人ひとりが「主のために」といのちをかけるからこそ、神の国は前進していきます。
ここではまずダビデの三勇士が出てきます。役割は違いますが、三人ともそれぞれも持ち場で大勝利を収めています。しかし、それは彼らの武力や知力だけではありません。14節の最後には「主は大勝利を収められた」とあります。主がしてくださったことです。
・アドラムのほら穴:15-19節
アドラムの洞穴とは、ダビデがサウルからの逃亡中に留まっていたところです。そこにごろつきどもが集まって来ましたが、ダビデに従う内に彼らは変えられ、訓練され、後にダビデ王朝で重要な役割を担います。
ここではダビデの三勇士が行った事が書かれています。彼らの武功よりも多くの文字がここに書かれています。実は、ダビデの三勇士の最も賞賛されることはこの事でした。どういった内容が書かれていますか?
ダビデは三勇士にこの事を命令しましたか?17節には「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」と言っています。独り言のようにつぶやいたことを、三勇士は聞き逃さず、「ダビデのために」と思って敵の陣地を抜けていのちをかけて水を汲んできました。この忠誠心こそ彼らの最も賞賛されるポイントです。
ダビデも彼らの忠誠心を知り、これを「いのちをかけた人たちの血」と呼んでいます。この事は次の箇所を示したダビデの預言かもしれません。「あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。」(1ヨハネ5:7-8)
・アブシャイ:20-21節
ヨアブの兄弟アブシャイの事が書かれていますが、彼は実力的には最も優れています。ところが「あの三人には及ばなかった」と書かれています。どうしてだと思いますか?考えてみてください。
戦う事以上にリーダーへの忠誠心が大切と言うことでしょう。
・ベナヤの手柄:22-25節
エホヤダの子ベナヤも相当に強い者でした。ここで書かれている武功を見てください。ものすごいことをしています。三十人の中で最も誉れが高い者でしたが、三勇士には及びませんでした。理由はアブシャイと同じでしょう。忠誠心です。
・勇士たち:26-47節
ここからはダビデを支えた勇士たちが書かれています。彼らのそれぞれの働きがダビデを支えました。
【12章】ダビデを助ける者たち
・ツィケラグに来た勇士:1-7節
ダビデはサウルに追われて荒野に逃げます。一般的見るととても情けない状態です。ところがその様なダビデを見てついて行きたいと願う者が出てきます。見た目以上に、ダビデの中にある主への情熱が彼らを引きつけたのでしょう。
ダビデはサウルに追われているうちに絶えられなくなり、サウルの追ってこないペリシテ人の地に住みます。敵地で自分を偽りつつ住み、自分の国に戻ると王に追われるという立場で、ダビデは多くの詩篇を書きました。
そして、そのようなダビデに主は多くの賛同者を集めてくださいます。始めに書かれているのはベニヤミン人です。ベニヤミンというと、サウルはベニヤミンの出です。最もサウルに従わなければならない者たちの中からダビデに従う者を起こされました。士師記20章を見ると、ベニヤミンの精鋭部隊は左利き出あることが書かれていますが、ここを見ると両利きです。どちらの手でも攻撃できるのは大きなアドバンテージです。
彼らがサウルの側にいて、ダビデに敵対するなら苦戦したでしょうが、彼らはわざわざいのちの危険を冒してでもダビデを訪ねてきました。そして、ダビデに従うことを願いました。ダビデはどれほど慰められたでしょうか。同時に、サウルにとってはどれ程痛手でしょうか。
この世界、肉の世界だけで生きているあらゆる分野のスペシャリストがイエス様に立ち返る者はこのような人たちかもしれません。
主は必要な時に必要な助け手を送ってくださるお方です。
・ガド人から離れて来た者たち:8-15節
続いてはガド族から来た人々です。彼らの描写を8節最後に見ることができますが、どのように表現されているでしょうか。
この中の最も小さい、つまり力のないものであっても一人が100人に匹敵すると書かれています。正に百人力です。最も強い者は千人力です。
また、彼らの特筆すべき事はヨルダン川を渡った力です。春のヨルダン川はヘルモン山の雪解け水で水量が一気に増します。流れる勢いも強く、非常に危険な状態です。その中でも川を渡りきってダビデのところに来ました。それほどの情熱を持ち合わせていた人たちです。
私たちも突き動かされるような情熱を持って主に従いたいですね。
・ベニヤミンとユダから来た者たち:16-18節
続いてはベニヤミンとユダからもダビデのところに来た人たちがいます。この時にダビデにとっては詩篇31:13にあるように「四方八方みな恐怖だ」という状況でしょう。誰が敵で誰が味方かわかりません。
そこで質問をしますが、御霊がアマサイを捕らえ、御霊の話させてくださる回答をし、ダビデは彼らを受け入れます。
ここでは御霊の働きを見ることができます。御霊の導かれるままにアマサイは話しました。「言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」(ルカ12:12)とあります。
私たちは御霊の話させてくださることばを口からだしたいものです。そのためにはどうすれば良いでしょうか。心に満ちているものが口から出てきます。そのためにも私たちの内にみことばをたっぷりと蓄えておきましょう。
・マナセから来た者たち:19-22節
ここではマナセから来た者たちが書かれています。ツィケラグでダビデとそれに従うものたち絶望した略奪事件の時、ダビデは主によって奮い立ちました。そして、彼らをおっていくべきかを主に伺ったところ「行きなさい」との仰せがあり、それに従いました。
その時にマナセから来た者も同行しました。
22節にこれまでのまとめが書かれています。何と書いていますか?
・武装した者のかしら:23-37節
ここからは各部族の軍につく者の人数が書かれています。大切なのは23節にあるように「主のことばのとおり」です。
この列挙を見ていて、ひとつのことばが繰り返されているのを見ることができます。「完全武装」です。これは良く訓練された状態、また隊列を崩さないという意味があります。どんな状況でも、たとえ見方が目の前で殺されたとしても自分の使命を全うする者の姿です。完全なる一致の姿です。
また、エペソ5章の神の武具の姿も見ることができます。それらはキリストの愛によってひとつにされていきます。神の武具はすべてキリストを啓示しています。
私たちも完全武装をして、この地で生きていきましょう。
・ダビデを王とする:38-40節
ダビデが王となったときの人々はどのような状態だったでしょうか。「心をひとつにして」ダビデを王としました。彼らは誠実な心で並び集まっていました。ものすごい忠誠心の姿を見ることができます。
自分の都合を捨てて、キリストに従う心が一致をもたらします。そのためにみことばを通して自分の成すべき事は何かを主に教えていただきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
みことばを読み続け、主に従えるように祈ります。