聖書通読クラブ Day 87

聖書通読クラブ Day 87【サムエル記 第一 25章~27章】

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シャローム!

ダビデは誠実であり、勇敢でもあります。しかし、実に人間味を帯びています。苦しみ、葛藤し、心が揺れ動きます。しかし、変わらないのは主への信頼です。
ダビデはどんなときにも神様を一番としていました。それが神に愛される者としての秘訣です。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:サムエル記 第一 25章~27章

■アウトライン

ダビデの葛藤

●賢い女によってとどめられる:25章
  ・申し出を断られる:1-13節
  ・賢い女:14-22節
  ・アビガイルの説得:23-35節
  ・主のさばき:36-44節

●サウルに対する二度目の誠実:26章
  ・幕営に侵入する:1-12節
  ・ケイラから逃れる:6-14節
  ・ダビデの苦悩の吐露:15-20節
  ・サウルの改心:21-25節  

●一時避難:27章
  ・敵の中での居住:1-7節
  ・偽りの報告:8-12節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【25章】賢い女によってとどめられる

士師記では、イスラエルの霊的な暗黒期を見ました。それを打開したのが主の霊が注がれたサムエルです。そのサムエルが地上での生涯を終えます。ひとつの時代が終わりました。

2節から、ナバルという人の話が出てきます。愚かな夫と賢い妻の物語です。ここでは非常に裕福であったと書かれています。彼は頑迷で行状が悪い者でした。一方、妻のアビガイルは聡明で美人だと書かれています。どうしてこの二人が結婚できたのでしょうか?お金の力でしょうか。
4節からは、羊の毛を刈るという事が出てきます。これはお祝いです。そしてナバルは裕福でした。気持ちが大きくなっているタイミングだと言うことをダビデは知っていましたので、若者をナバルの所に遣わします。
ダビデと600人の者は移住生活をしていたので、食料にも困ることがあります。そこでナバルを頼りました。
今まで祭司アヒメレクはダビデにパンをくれました。アヒメレクはダビデが誰かも知らずにパンを与えました。
まして、同じユダ族のナバルはダビデの事を知っているはずです。それであれば食事を与えて当然です。当時のイスラエルには困っている人を助けるという文化がありましたから。
では、ナバルはどうしたでしょうか。9-11節を見てみましょう。
ひどい答えではありませんか?先の6節では、ダビデは若者を遣わして丁寧な挨拶と祝福をしています。それに対してナバルはひどいことばで返事をします。ナバルはダビデを知っています。それであえてさげすむ言葉を使っています。「主人のところを脱走する奴隷が多くなっている」と言っていますが、これはダビデを指した皮肉といえるでしょう。しかし、これは真実ではありません。
また、ナバルの特徴は難でしょうか。いつも「私」と言っています。矢印が自分を向き続けているのです。
12節から、ダビデの若者はその事を報告します。ダビデが13節のような行動をするのも当然です。
ここで興味深いことに気がつくでしょうか。ダビデはサウルに対しては敬意を払っていますが、ナバルに対しては剣を持って行こうとしています。神に伺うこともしていません。サウルは油注がれた王であり、ナバルは単なるお金持ちの人でしたから、そうなるのも当然かもしれませんが、主はすべての人を愛を持って創造されました。王であろうと、なかろうと、すべての人を公平に接することができたら素晴らしいですね。

14節からを見てみましょう。若者がナバルの妻、アビガイルに事の次第を告げます。17節最後を見ると、若者はナバルのことを「よこしまな者」と呼んでいます。僕が主人の妻にこのように言うのですから、よっぽどなのでしょう。
18節から、アビガイルは夫のナバルにだまってダビデに与えるべきものを用意します。
ダビデは神に伺わず、自分の手でナバル一族を打とうとしています。ダビデには十分その力がありました。しかし、サウル王が用をたしに穴に入ってきたとき、その力をあえて使いませんでした。自制の実を結んでいます。しかし、このところでは自制の実が見られません。そこにアビガイルがやってきてダビデのしようとすることを止めます。神のダビデに対する憐れみです。

23節から、アビガイルの聡明さが光ります。とにかくダビデの怒りを静め、短時間で決着をつけなければ自分の一族はめちゃくちゃにされます。アビガイルはどのような方法をとったでしょうか。
自分を低くし、自分をはしためと言っています。アビガイルは、はしためではなくナバルの妻です。その上、夫の罪を自分の罪としています。そして夫を名前の通り、つまり愚かな者だと言っています。
妻としてはひどいことですが、ある意味正しい行いです。
26節、これは預言となっています。このことばの通りになります。
28,29節ではアビガイルの信仰の姿が見えます。彼女は主を信頼しています。
そして続く30-31節ではダビデの今後まで心配しています。王がこのようなところで傷物になってしまわないように配慮しています。その上で自分をあわれんでほしいと言っています。
32節からはダビデが答えます。彼女の判断をたたえます。
ここから何が学べるでしょうか。私たちは怒りにまかせて行動しないようにしましょう。怒りは神の義を実現する者ではありません。忍耐が必要です。神様は怒るに遅い神です。このご性質をいただきたいです。自分の感情にまかせて行動することのない、自制の実を求めます。

36節から、ここを読むときに終末を覚えます。食べたり飲んだりめとったりとついだりしているとき、突如として終わりが来ます。ナバルはその事を私たちに思い出させてくれます。
37節、なんとアビガイルの言ったとおり、ナバルは主に打たれて死んでしまいます。ダビデは一切手を出していません。主を恐れます。
39節で、ダビデはやもめとなったアビガイルを召し入れます。箴言31章に書かれているような賢い妻を得ました。
早速ダビデのしもべたちはその事をアビガイルに告げます。その時のアビガイルの反応はどのような者だったでしょうか。41節を見てみましょう。これが大切です。神からのものなら、「すぐ行動」です。
44節を見ると、サウルが娘のミカルを他の男に与えています。おそらく、サウルの中ではダビデは死んだ者として見ていたのでしょう。

【26章】サウルに対する二度目の誠実

以前にサウルはダビデの優しい対応で悔い改めました。しかし、ここを見るとその事を忘れてしまい、またダビデを追いかけています。ジフ人がサウルにダビデの居場所を告げます。
前にもジフ人がサウルにダビデの居場所を告げ、サウル軍がやってきますが岩一枚のところでペリシテ人が侵入してきて、サウルはその対処でダビデの前から去りました。
2節、前回のエン・ゲディの時と同じようにサウルは三千人の精鋭を連れてきます。
3節からはとても興味深い事が書かれています。なんとサウルの陣営にダビデとアビシャイの二人で入っていくのです。特攻隊どころの騒ぎではありません。しかし、時は夜、サウルたちはみんな眠りこけているときでした。

7-9節、前回は洞穴の中に入ってきたサウルの裾を切り取りました。今回は幕営の中に入ります。こんなチャンスはありません。しかし、前回と同様、ダビデは油注がれた器に手を下してはならないと言って、眠っているサウルから槍と水差しを取っていきます。
10節、ダビデはサウルの終わりを預言します。ここに至るまで、ダビデはどれほど葛藤し、どれほど苦しみ、どれほど忍耐したでしょうか。同時にその間に沢山の詩篇が書かれました。苦しみに会ったことは、ダビデにとってしあわせでした。
それゆえに、11節に続きます。主はサウルの陣営に深い眠りを送られます。聖書の中で何度か、深い眠りに導かれる箇所があります。それは圧倒的な主の臨在が臨まれるときか、霊的に眠らされているときです。おそらく、みなさんがメッセージ中に眠ってしまうのは、圧倒的に後者の方だと思います。気をつけましょう。

13節から、ダビデは十分な距離を取った後、アブネルに呼びかけます。アブネルは眠りから覚め、一体何が起こったのか理解できなかったでしょう。
17節から、エン・ゲディの時と同じような内容をもう一度サウルに言っています。ダビデの関心は難でしょうか。自分の潔白でしょうか。それともサウルの非でしょうか。その両方とも違います。ダビデの関心はサウルが主に対してどう思っているかでした。繰り返し「主」ということばが出てきます。
19節から、少し難しい言い方ですが、ゆっくり読んでみてください。ダビデは自分の非によってサウルに追われているなら、それは甘んじて受けるといっています。しかし、それがサウル自身から出てくるなら呪われるようにとはっきり言っています。その理由は続くことば、「主のゆずりの地にあずからせず」「行って他の神々に仕えよ」ということばにあります。ダビデはこの二つが最もつらいことでした。
これが背後で働く悪の力であることがわかるでしょうか。悪魔は私たちの目を神様からそらそうとします。そして、私たちから聖書(かみのことば)と教会(集まること)を奪い取ろうとします。
私たちはいつでも主を意思を持って選び取っていきましょう。

ここで、またサウルの目が覚めます。自分の非を認め始めます。しかし、このサウルの言葉を読んだとき、「悪かった」と言いますが実際は心を改めなかったエジプトのパロを思い起こしました。口で告白することは非常に重要ですが、それ以上に行動が大切です。生き方を通して主を明かしする必要があります。
22節からで、ダビデは王の槍を返します。サウルを打つことができるのに意思を持って打たなかったその証です。
そして、サウルは自分の家に帰りますが、ダビデは旅を続けます。ダビデにはまだ主のご計画がありました。

【27章】一時避難

ダビデは完全に近い王です。しかし、完全ではありません。生涯の中で何度か大きな失敗をします。もしかしたら、この箇所もそうかもしれません。
ダビデに恐れがやってきます。主を一瞬見失ったその隙を悪魔は見逃しませんでした。
いつも主に伺うダビデが自分の判断で600人を引き連れ、なんと敵の陣地に住み着きます。実際的な危険と偶像礼拝の危険のある地帯です。
ダビデの言い分は、敵の陣地だったらサウルが攻めてこないだろうというものです。
事実、ガテの王、アキシュの所にいたことがサウルの耳に入ってもサウルは追いかけてきませんでした。
その後、ダビデはペリシテ人の地に1年4ヶ月住まいます。ダビデはこの間、実際的な休息は得たでしょうが、霊的にも鈍っていたようです。調べてみると、この期間には詩篇を1篇も残していないということです。平和で安全に見えたこの生活ですが、実際は祈りのともしびが消えた期間でした。

8節から、少し複雑ですね。ダビデはこの時、ペリシテ人の地に住んでいます。それで、戦いに出ると言うことは同朋を、つまりイスラエルの民族を打たなければならないと言うことです。
しかしダビデはゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲って戦利品を奪い取り、それをアキシュの所に持っていっていました。
アキシュは当然、ダビデがイスラエルの民を打ってきたのだと思います。ダビデが虚偽の報告をしているからです。
これは明らかな嘘です。「嘘も方便」と言う言葉もありますが、ここでは自分を正当化するためにダビデは嘘をついています。
嘘つきは悪魔の性質です。自分では「全く嘘ではないから、これくらいは大丈夫だろう」と思って嘘とも本当ともとれる事を発言しているようなものです。
主はその事を喜ばれるでしょうか?どうして嘘をついてしまうのでしょうか。自分の心に聞いてみましょう。嘘をつくとき、矢印はどこを向いているでしょうか。多くは自分の保身のために嘘をつきます。そして、その嘘を正当化しようとしてまた嘘をつきます。最後にはつじつまがあわなくなってしまいます。
ダビデは自分の嘘の報告がばれる事を恐れ、襲った町で女や子どもまでも殺してしまいました。巧妙なやり方です。
人にどう思われようとも、私たちは主の御前に正直でありたいものです。報告するべき事はきちんと報告し、事実を説明しましょう。それを後伸ばしにすればするほど本当のことを言い出しづらくなってしまいます。最初の小さな嘘が雪だるま式に膨らみ、多くの人を傷つけることになってしまいます。
主は心の直ぐな人を愛されます。自分の中に嘘の性質があると思ったら、今すぐ主の御前に祈りましょう。主はその祈りを喜んで受け入れてくださいます。そして、罪の刈り取りという十字架の道を通されるかもしれませんが、その後は言い様もない軽い感覚を覚え、解放を体験することができるでしょう。さあ、悔い改めて祈りましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 霊的に眠っていることが時々あると感じました。主は心の直ぐな人を愛されることを改めて感じ、祈ります。

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