【神とひとつとされる心が与えられる】(エゼキエル11章)2022年8月6日(土)プチ・シャバット礼拝

【神とひとつとされる心が与えられる】(エゼキエル11章)2022年8月6日(土)プチ・シャバット礼拝

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詩篇の朗読による賛美:詩篇76篇〜詩篇80篇

主は私たちをより良いものへと作り変えられるため、あえて破壊されることを許される時があります。
預言者たちによって何度も警告がなされていましたが、それを聞こうとしなかったイスラエルの民。
彼らに主から与えられたのは彼らの国を追放され、異国の地で生活をさせられるバビロン捕囚でした。

しかし、主はバビロンの地でも主ご自身が聖所となられると約束してくださいました。
また、散らされたイスラエルの民を再び集め、連れ戻されるとも約束してくださいました。
その時、彼らの持っていた全ての忌むべきものが取り除かれます。
まるで、イエス様が再臨され、この地に千年王国を確立されるときの様子のようです。

そうして、主は彼らにひとつの心を与えられます。
それは主の心です。
新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなければならないように、新しい心は新しい霊によって刷新された器に与えられます。
それがイエス・キリストを自分の主として信じ、告白した者です。

主は石の心に替えて肉の心を与えられます。
石の心とは律法、かたくなさ、死んだ心です。
一方、肉の心とは、イエス・キリストであり、従順な心、いのちの通った心です。

参考のみことばとして、以下のものを確認してみましょう。

<マルコの福音書 2章21-22節>
だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」

<ローマ人への手紙 6章4節>
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

<ローマ人への手紙 7章6節>
しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

<コリント人への手紙 第一 5章7節>
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

<コリント人への手紙 第二 3章6節>
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

<ローマ人への手紙 12章2節>
子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

しかし、肉の心、新しい心が与えられるだけで満足してはいけません。
それは目的を達成するための手段だからです。
どうして主は新しい心を与えられるのでしょうか?
それは、その心をもって、主の御旨を歩んでいくためです。

<ルカの福音書 22章20節>
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。

<ヨハネの福音書 13章34節>
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

このように、私たちは第二の戒め、互いに愛し合うために新しい心が与えられるのです。
そのことで神とひとつとされ、この戒めを全うすることができると信じます。

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