聖書通読クラブ Day 328

聖書通読クラブ Day 328【コリント人への手紙 第一 7章-9章】

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シャローム!

私たちは福音を生きる者です。それであれば、福音にふさわしい生き方が必要です。それでは、どのように福音に生きていけば良いのでしょうか?何もしなくても、恵みがあるのだから、ありのままでいいのでしょうか?神様は無条件に私たちを愛して下さっているから、何をしても良いのでしょうか?
それは神様の本当の愛を理解していない人たちです。私たちは、以前は悪い物でした。神に敵対していたのです。ところが、そのような私たちをイエス様は先に愛して下さいました。そして、返すことのできない罪の負債を身代わりになって返して下さいました。そのために、ご自身のいのちをささげられたのです。この事を本当に知るなら、自分のすべてをささげて生きていきたいと願うはずです。
今日もみことばを通して、イエス様の愛を受け取りましょう。そして、祈りによってもっとイエス様と深い関係を築きたいと求めていきましょう。

今日の通読箇所:コリント人への手紙 第一 7章-9章

■アウトライン

●結婚生活:7章
  ・不品行を避けるために:1-7節
  ・未婚の者へ、結婚した者へ:8-16節
  ・召された時のまま:17-24節
  ・処女について:25-35節
  ・処女の婚期:36-40節

●偶像にささげた肉:8章
  ・偶像にささげた肉:1-6節
  ・弱い者:7-13節

●自由と奴隷:9章
  ・使徒:1-2節
  ・さばく人に対して:3-18節
  ・すべてを福音のために:19-23節
  ・賞を受ける:24-27節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】結婚生活

・不品行を避けるために:1-7節
パウロは男女の関係について、具体的に書いています。現代からすると時代錯誤のように感じるかも知れませんが、キリスト者は聖書の基準で生きていきたいと願います。1節には男性は女性に対して何が良いことと書いていますか?
しかし、性欲というのは人間の三大欲求の一つです。不品行を避けるためにどうすることを勧めていますか?2節を見ましょう。
人は結婚すると一体になると聖書に規定されています。ですから、結婚後はお互いの体に対して義務を負い合っています。結婚するなら、自分のことばかり考えていてはいけません。妻が「話して欲しい」と求めてくるとき、夫がボディタッチを求めてくるとき、それを拒むのではなく、受け入れていきましょう。もちろん、毎回受け入れることは難しいかも知れません。その時には正直にその理由を言って、話し合うことを重ねましょう。自分の気持ちはことばにしないと妻や夫であっても伝わりません。それが夫婦円満の秘訣です。お互いを拒まないようにしましょう。
しかし、例外があります。祈りのためにお互いが合意の上でしばらく離れると言うことは許されています。これを勝手に行ってはいけません。「合意の上で」とあるので、やはり話し合いが必要です。
考え方によっては、人はひとりの方が楽だと感じることがあるでしょう。しかし、夫婦となったのに別々にいることは、自制心を欠いてしまいます。たとえば、妻が夫を拒み続けるなら、夫は別の女性に愛情を求めてしまうでしょう。逆に、夫が妻の話を一向に聞かず、スマホやゲームばかりしていたら、妻は別の男性に愛を求めたくなるでしょう。そのような誘惑から守られるためにも、夫婦は話し合い、一緒にいると言うことが祝福の原則です。ここまではパウロの命令ではなく容認だと言っています。しかし、これはパウロの願いです。この当時はこのことばはパウロの手紙に書かれていたことですが、今はこれが聖書のみことばとなっています。ですから、私たちはこれに従いましょう。

・未婚の者へ、結婚した者へ:8-16節
ここからはまず、未婚の男女について書かれています。自制することができなければ、どうしなさいと書かれていますか?9節を見ましょう。人それぞれに召しがありますが、未婚の方は、できることなら結婚を求めて祈ってみましょう。
続いては結婚した人へのことばです。これを命じるのは誰ですか?妻はどうしてはいけないと書いていますか?もし、そうなったら二つの道があります。みことばを見てみましょう。
また、夫は妻を離別してはいけないとあります。当時はお見合い結婚がほとんどでした。それで、自分の妻を気に入らないのなら、簡単に離婚状を出していたようです。今の時代もある意味、そのような状態かも知れません。よっぽどのことではない限り、一度主の御前で誓約した夫婦の関係を、人の力で解かないようにしたいものです。そのために、信頼できる人に相談できるようにしておきましょう。霊的なリーダー、もしくは専門医やカウンセラーに頼るのも良いと思います。
続いては他の人々に向けてです。今度は主ではなくパウロの意見です。信者の男性に未信者の女性が妻としている場合です。また、その逆もあります。その場合、どうすることがすすめられていますか?その理由はどうしてですか?14節を見ましょう。
しかし、未信者の方が離れていってしまう場合はどうしなさいと15節にありますか?パートナーの救いを祈り、願いますが、人は人を救うことはできません。救いは神の領域です。妻も夫を、夫も妻を救うことはできないのです。ですから、そうならないように主に祈り願い求めましょう。

・召された時のまま:17-24節
ここからは主に割礼についてです。ユダヤ人は割礼を重んじます。それが彼らの民俗としてのアイデンティティのひとつだからです。だからといって、異邦人がイエス様を信じた後、割礼を受ける必要はありません。19節には、割礼も無割礼も取るに足らないことだとあります。重要なのはなにですか?
ですから、召された状態のままで大丈夫なのです。私たちはいのちの代価をもって買い取られました。ですから、私の所有権は今、神にあります。それを人の奴隷としてはいけません。
近年、行き過ぎたヘブライ信仰があると思います。ヘブライ語を学んだり、イスラエルの文化を学ぶことは聖書の学びを大きく深めてくれます。しかし、いくら原語を学んでも、信仰がなければ何の意味もありません。実際、世界中の誰よりもヘブライ語の原語に詳しいユダヤ人は、救いから一番遠い所に置かれています。バランスが大切です。

・処女について:25-35節
この事に関しても、パウロのおすすめです。ここでは未婚の者はそのままの状態にあり、結婚している者もそのままの状態に留まることが勧められています。結婚しても良いけれども、身に苦難を招くとあります。また、富も用いすぎないようにとも語られています。全般的に、今の状態を維持し、慎ましく生きることをすすめているようです。これは、コリントのこの時の状況が背景にあるのかもしれません。それは度々起こっていた飢餓の問題かも知れません。しかし、この事を通してパウロはコリントの人たちを心から心配すると同時に、世の終わりの生き方を指し示していたのかも知れません。

・処女の婚期:36-40節
婚期の女性に対してのことです。36節のようなことがあるなら、結婚させなさいと言い、もし、心に堅く決め、そのままでいるなら、もっと良いことをしていると言っています。
結婚することにより、情欲から守られます。それは素晴らしいことです。しかし、そのままでいるなら、主のために、もっぱら奉仕に専念できるでしょう。ですから、それはもっと良いことなのです。
また、やもめの人は自分の願う人と結婚できると書かれています。これは姦淫を犯すのではありません。律法でも約束されていることです。しかし、もし、そのままでいられるのであれば、もっと幸いだと書かれています。
パウロの意見をまとめると、誘惑にあうのであれば結婚した方が良いということ。しかし、もし、そのままでいることができるならそれはもっと良いことだと語っています。

【8章】偶像にささげた肉

・偶像にささげた肉:1-6節
ここからは偶像にささげられた肉についてです。そこでパウロは冒頭で知識に関して宣べています。知識はどうするとかかれていますか?また、愛はどうでしょうか?2節は「無知の知」と言われる箇所です。何かを知りつくしたと思っている者は、実は愚か者です。本当にその道を究めた人は一様にその分野に関して学ぶことをやめず、追求し続けます。突き詰めてもなおわからないことがあるからです。これが本物のプロフェッショナルです。
ここでパウロが語っている知恵とは、コリントの人が持っていた知恵です。彼らは唯一神を信じており、神々は存在しないと考えていました。それなので、偶像にささげた食物もそれは単に食物なのだから、食べても何の影響もないと考えていました。その実、コリントの人たちは偶像礼拝に関して無知だったのです。そのような彼らの間違った知恵が他の兄弟姉妹をつまずかせていました。
しかし、ここでパウロは興味深いことを宣べます。人が神を愛するなら、神に知られていると言っています。これほどの喜びがあるでしょうか。誰から見捨てられても、神に知られていると言うことは何よりもうれしいことです。
4節でパウロは、彼らの考えが間違っていないことを宣べます。そして、その唯一の神はキリストであり、すべてのものはこの主によって存在し、私たちも主によって存在します。

・弱い者:7-13節
ところが、この事は全ての人に知られているわけではありません。コリントの人々は偶像礼拝の中で育ちました。ですから、その習慣や考え方を持ったままの人がいました。それで、偶像にささげた肉を気にせずに食べる人を見て、信仰の弱い人たちの良心が汚れてしまうことがあると言っています。
これに対して、パウロは8節で私たちを神に近づけるのは食物ではないと言っています。食べなくても損にならず、食べても益になりません。
気にしない人は気にしなくて良いのですが、隣人への愛と配慮を示す必要があります。自分は平気でも、それを気にする人が見ると気になることがあります。それを知っていて、わざわざ行うと言うことは愛の行動ではありません。もし、そのような事を行うなら、兄弟に対して罪を犯し、キリストに対して罪を犯していることだと言っています。パウロは、肉がつまずきを与えるなら、今後肉は食べないと言っています。箴言17:1にも「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いの満ちた家にまさる。」とあります。何が兄弟につまずきを与えているか、自分では知らないことが多いと思います。まわりの人や聖霊様に教えていただきましょう。

【9章】自由と奴隷

・使徒:1-2節
コリントの人たちは自分たちの自由を主張していました。しかし、パウロのことは考えていたでしょうか?コリントの人たちの中には、パウロを使徒と疑っている人もいたようです。確かに、パウロは十二使徒でもないですし、直接イエス様とも出会っていません。この事は後に詳しく見ていきますが、コリントの人々に足りなかったは自分たちを救いに導き、土台を築いてくれたパウロへの感謝でした。身近な人ほど、大切な人への感謝を忘れてしまうものです。
たとえ他の人がパウロを使徒と思わなくとも、パウロが開拓したコリントの人に対してパウロは確かな使徒です。

・さばく人に対して:3-18節
ここからは、パウロをさばく人に対して弁明します。パウロは様々な権利がないのでしょうかと主張しています。
5節からわかるのは、主の兄弟たち、またケパ、すなわちペテロには妻がいたと言うことです。彼らは献金によって支えられていました。パウロは自分のすべてをささげてコリントを立ち上げました。霊的な種を蒔きました。それなのに、彼らから物質的な祝福を受けることは行き過ぎなのかと言っています。パウロはそれらを受け取る権利が十分にあったにも関わらず、それを受け取りませんでした。その目的は何でしょうか?12節後半を見てみましょう。
主は福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定められました。私たちも持てる物で献身者をささえてきましょう。ところが、パウロはこれらの権利をひとつも用いませんでした。それは、彼が自分を誇りたいわけではなく、どうしてもしなければならないことだったのです。
パウロにとって、福音宣教の報いは何でしょうか?それは、何の妨げもなく、自然に福音が広がって行くことでした。

・すべてを福音のために:19-23節
パウロは誰に対しても自由な人でした。しかし、彼は全ての人の奴隷となったと書いています。どうしてでしょうか?それは、より多くの人を獲得するためです。どのような奴隷になったかを20-22節を見てみましょう。彼はどうしてそこまでするのでしょうか?福音のためです。パウロは福音の恵みを誰よりも知っていたので、これを伝えざるを得ないのです。そのためには何でもできるのです。これが主に対する愛の応答です。

・賞を受ける:24-27節
ここで、パウロは競技を例に出します。金メダルはその競技で一人しか取ることができません。そこを目指して走りなさいと言っています。そのためには大変な努力が必要です。金メダリストは何もせずになるのではなく、そこに至るまで全てをささげて、何度も挫折し、心が折れそうになりながらも立ち上がり、食事制限もし、ひたすらに同じ練習を繰り替えし、楽しいこともあきらめて練習に打ち込みます。それでもメダルを取れない人もいるほどです。そして彼らが受け取ったメダルはとても価値のあるものですが、永遠のいのちと比べたらそれは朽ちていくものです。
パウロは的を得た走り方、戦い方をしています。それは何でしょうか?イエス様です。このお方が私たちの目標です。
イエス様も十字架の死にまで従われました。パウロも自分の体を打ちたたいて従わせています。私たちのたましいに対してはみことばを命じる必要があります。そして、肉体に対しては、打ちたたいてでも従わせる必要があります。それは言ったことを実践するためです。有言実行をした人の説得力は普通の人のものではありません。
ですから、私たちは的を外した努力ではなく、的を得た努力、つまり狭い門に入るために、毎日の時間をささげてみことばを読み、そして祈りの生活を続けていきましょう。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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