聖書通読クラブ Day 193

聖書通読クラブ Day 193【箴言19章〜21章】

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シャローム!

箴言の中心は知恵です。そして、主を恐れることです。また、それには口のことばと心を治める事が密接に関わっていることがわかるでしょう。今日の箇所は、お酒に関することであったり、働くことであったり、私たちにとってより身近な事が書かれています。
これらすべてを同時に行うことは難しいでしょう。しかし、一つでも自分の心に残ることがあったなら、まずそれを実行してみましょう。みことばを読んで、このコラムを読んで満足しているだけでは片手落ちです。それを自分の生活の中で実行していかなければなりません。その道は平坦でないでしょう。しかし、祈りを持ってみことばを行うことを求めていくときに、主に対する飢え乾きが起こされ、自分の無力さを認めさせられます。それがみことばに対するへりくだりです。今日もみことばを読み、その中から最低一つは実行していって見ましょう。

今日の通読箇所:箴言19章〜21章

■アウトライン

●社会生活の教え:19章(1-29節)

●心の中が明らかにされる:20章(1-30節)

●正しいものの支配:21章(1-24節)

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】社会生活の教え:19章(1-29節)

私たちは一生ひとりで生きていくことはできません。必ず、誰かのお世話になるはずです。家にこもっていても、家を建ててくれた人がいます。家具やスマートフォンを作ってくれた人がいます。通信手段を確保し、守ってくれる人がいます。電気を作り送ってくれている人がいます。たったひとりで、誰にも頼らないで生きていくことはほぼ不可能です。ですが、同時に人と関わると様々な問題が生じてきます。ここでは、人との関係を悪化させる原因がいくつか書かれています。
2節には、熱心だけで知識が無いのは良くないと書かれています。一生懸命なのは素晴らしいですが、的外れの事をしている状態でしょうか。それなら、じっとしていてくれる方が助かります。知識を持った熱心さが人に祝福をもたらします。
3節には、自分の愚かさが生活を滅ぼし、主に向かって激しく怒るとあります。まるで、朝寝坊した子どもが親に「どうして起こしてくれなかったんだよ!」と言っているようです。起きるのは自分の責任なのに、親に怒りをぶつけています。これは甘えです。知恵は私たちの生活を立てあげます。
4節、財産は多くの友を増し加えるとあります。財産の使い方を教えています。財産は持っているだけではさほど意味がありません。使って価値を発揮します。例えば、自分はロケットを開発する技術はありませんが、財産があればロケット開発の技術者を雇うことができます。お金で解決できない問題も存在しますが、お金さえあれば解決してしまう事ともあります。何のために使うか、それが大切です。この財産を友の為に使うなら、多くの友を増し加えます。
11節、前にもお伝えしましたが、怒りをコントロールすることです。そのためには思慮が必要だと、みことばは教えます。怒らないというのは愛の特長の一つです。それは同時に赦すことでもあります。怒りよりも赦しを優先するというのはとても難しいことです。しかし、思慮があるものはそれができるとみことばは言っています。
まして、王が怒ればその影響は大きいです。若い獅子がうなるようだと書かれていますが、恵みは草の上に置く露のようだと書かれています。
17節に、興味深いことが書かれています。被造物である私たちが主に貸しを作ることができると書いてあります。どのようにしてでしょうか。寄るべのない人に施すことによってです。それが善行であると書かれています。困っている人を助けることは、主に対して行っていることでもあります。
21節、人の心には多くの計画があるとあります。しかし、主の働きだけがなります。計画を与えて下るのも主です。その思いも与えてくださるのも主です。
22節、人の望むものは、人の変わらぬ愛であると書かれています。世の中の音楽やドラマは「好きになった、ふられた」というものがベースです。人はいつも人からの変わらない愛を求めています。愛を受けることができれば、心が満たされ、安心します。そして、争いは収まっていくでしょう。問題は相手の愛を求め続けるか、自分が先に与えるかです。正解は後者です。まず私たちから愛を示していきましょう。26節、今の世の中は子どもが一番大切にされているように感じます。例えば、おじちゃんたちと親と子どもの三世代が集まって、食事に行くとします。誰の意見が一番優先されますか?おじいちゃん世代はお寿司が食べたいといます。子どもはハンバーグが良いと言います。おそらく、子どもの意見にみんなが合わせるでしょう。しかし、聖書の教えはそれは間違っています。年長者の意見が尊重されるべきです。
まして、父に乱暴し、母を追い出すようなわがままな子は恥を見、辱めを受けます。どうして父に乱暴するのでしょうか。母を追い出すのでしょうか。愛して欲しいのです。その表現がわからないのでそのような方法をとります。仕事が忙しくて子どもに愛を注いであげられ名語ったでしょうか。教会の働きだと言って家族をないがしろにしてきたでしょうか。そうであるなら、今からでも遅くはありません。これ以上無いほどの愛を子どもたちに注いであげましょう。徐々に子どもの心はほぐれ、健全な形になっていくでしょう。

【20章】心の中が明らかにされる:20章(1-30節)

ここは、お酒に関する教えから始まります。教派によってお酒の教えは様々でしょうが、みことばが何を言ってるかに注目したいと思います。聖書には主に二種類のお酒が出てきます。ひとつはヤーウィンというものです。これはぶどう酒と訳されています。もう一つはシェカルと言います。こちらは強い酒と訳されています。ヤーウィンはもちろんぶどう酒も含まれますが、どちらかと言えばアルコールはほとんど入ってないものを指します。ぶどうから絞られた液体全般を指すことばです。ぶどう汁と訳した方が元々の意味に合うかも知れません。テモテへの手紙5:23にも、少量のぶどう酒が体に良いと勧められていますが、これはヤーウィンです。イスラエルの人々はこのぶどう汁を煮詰めて、ジャムのようなとろみのあるような状態にして保存していたそうです。そして、実際に飲むときには水で割って飲んでいたそうです。イエス様もこのヤーウィンを過越の時に飲まれていました。ですから、イエス様が大酒飲みといわれた事は事実では無いことがわかります。
一方、強い酒はアルコールが入った飲み物全般です。ことばを選ばないで言えば、アルコールは何かが発酵したものです。イスラエルの人々は発酵したものを忌み嫌います。ことばを選ばないで言えば、腐っているからです。
エペソ5:18には「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」とあります。詳しくは後に見ていきますが、とにかく、聖書は酒に酔うことを勧めていません。満たされない思いがあるなら、御霊に満たされましょう。
5節、人の心にあるはかりごとは深い水とあります。英知のある人はこれをくみ出すと書かれています。もし、水を汲み出すのであれば、水が必要です。空っぽの所からはなにもくみ出せません。みことばはいのちの水です。これをいつも心の奥にためておきましょう。
12節、沢山ある体の器官で、ここでは耳と目が限定されています。これは主が創造されたと強調されています。どうしてでしょうか。私たちの人格、心、内なる人を形作るのは私たちが何を聞き、何を見るかによってだからです。耳を、目を、きよく保つことを心がけましょう。17節、その通りですね。箴言ではこのような今の刹那的な喜びや快楽、欲望を満たすこととその報いが書かれています。今は良いが、後に大変な事になることがあらかじめ警告されています。賢い者はこれを聞いて学びましょう。
18節、19:21には、人に多くの計画があるが、主のはかりごとだけがなるとありました。ここでは、その計画は相談して整え、その上で優れた指揮のもとに戦いを交えよとあります。無計画に戦いをするなら損失しかありません。どのように守り、その上で責めるか、十分な議論と計画が必要です。それを主に委ねます。主が最もすぐれた指揮者であることを感謝します。
22節、これはダビデの生き方を通して学びました。ダビデは自分から復讐をしませんでした。敵対する者に対して悔しい気持ちを持っていましたが、いつも葛藤し、もだえ苦しみ、主に祈り叫び、心を主に注ぎだしました。すると主がさばいてくださいました。悪に悪で報いてはいけません。すべての人が良いと思うことを図ることが大切です。
27節、30節、共に腹の底ということばが出てきます。これは人の深い部分です。ここに主の王座があるのでは無いかと思います。人間の息が主のともしびと書かれています。主は人を創造され、鼻から息を吹き込み、人はいきたものとなりました。私たちも息をします。主がデザインしてくださった人の機能です。息をしなくなれば、いのちが無くなったと言うことになります。私たちは息を吐く度に自分の中の罪の性質が主によって贖われ、息を吸う度に主の聖さと喜びが私たちの中に入ってくることを知りましょう。そして、腹の底に居座る、主に王座を渡さない者があるなら、それらを打ちたたいて追い出さなければなりません。みことばを腹の底奥深くに入れるとき、悪はそこにとどまれなくなります。その時、腹を打ちたたいて悪を洗い落としましょう。

【21章】正しいものの支配:21章(1-24節)

箴言の中で繰り返し書かれていますが、すべては主の御手の中にあります。どのような権力者であっても、それは主が彼らを水の流れのように御心のままに切り替えられていることを覚えましょう。
2節には、人は自分の道はみな正しいと思うと書かれています。すべての人の行動は正義に基づいています。決して赦されることではありませんが、殺人犯も彼なりの正義があります。「自分が正しい」と思うから、人の目には良くないことでも行動することができるのです。また、「主のため」と言って奉仕を熱心にしていても、それが主の目に正しいかどうかはわからないのです。恐ろしいことですね。自分のしたいことを教会で実現しようとしているのか、主の願われることを行おうとしているのか、自分の働きを吟味することは大切です。
5節は、私がいつも心に刻んでいるみことばです。勤勉な人の計画は利益をもたらします。すべてあわてる者は欠損を招くだけです。あわてて良いことは何もありません。出かける直前、何も準備しておらずあわてて大切なものを忘れた経験があるかも知れません。あわてないためには何をすれば良いでしょうか。事前の準備です。先を読む力が必要です。私もそうなのですが、それが苦手な人もいます。わかっているのですが、その時がくるまでピンと来ないのです。人に言われてあわてて準備したりします。それで何度も失敗したので、最近はできるだけ事前に妻に聞いたりして、紙にチェックリストを書き出して漏れがないようにしています。そうするなら慌てることがありません。それぞれで慌てない工夫をしましょう。なにより、取り返しのつかない慌てる時は主が私たちを迎えに来られるときです。その時に慌てることがないように、今から毎日みことばによって備えをしていきましょう。
9節、19節には争い好きな女が出てきます。聖書では女は教会とも例えられています。教会の中で争いはないでしょうか。また、教会間で争いはないでしょうか。集まる度に「私の教会は何人になりました」と報告を受けるのは喜びですが、一方で人数によって大きさを比較しているようにも聞こえます。(受け取る私の心が良くないのかも知れません)「あの教会は○○だから。」「私の教会は○○だ」と比べることがいつしか争いになってはいけません。いつでも人を、お互いの教会を自分よりも優れたものとして見る目を求めます。
23節、そのために大切な事が書かれています。自分の口と舌とを守ることです。そうするなら、苦しみに会うことはありません。自分の良さを語る口から、相手の素晴らしさを言い表す口に変えられていきますように。
25節、聖書は繰り返してなまけ者を叱責します。働くことは大変で辛いことです。しかし、喜びでもあります。働くことは誰かの役に立つことです。誰かの「ありがとう」が対価として賃金になります。これは主が与えてくださった特権です。一人ひとり得意分野は違います。野菜を育てたり、漁に出たり、プログラミングをしたり接客や営業、企画、経営など数えきれないほどの職業があります。私たちはそのどこかで働くことができます。もしくは、全く新しい仕事を作り出すこともあるでしょう。それらはとてもエキサイティングなものです。働くことは喜びです。主と人に喜ばれます。では、なぜなまけてしまうのでしょうか。様々な原因があるでしょう。ひとつは目標が無いということでしょう。その様なときは、何からでもいいので初めて見ることです。だめなら、すぐにあきらめて次に移れば良いのです。自分に合わないことを一つ発見できたことを喜びましょう。もう一つは、過去の傷かも知れません。同じ失敗をするのが恐いので、働く気力がないのかも知れません。その時は祈りましょう。そして、場合によっては全く違うことにチャレンジしてみるのも良いかもしれません。それまで身につけたスキルと相まって、さらに良い仕事ができるかも知れません。主から与えられた能力を土の中に隠すことなく、これを大いに用いて主のために、人のために一生懸命働きましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 自分の口と舌とを守ることができるように祈ります。
    主がさばいてくださり、救ってくださることを感謝します。

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