聖書通読クラブ Day 287

聖書通読クラブ Day 287【マタイの福音書 13章-15章】

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シャローム!

イエス様の奇跡は続きます。多くのいやし、空腹の人への給食、湖の上を歩く、様々な力ある御業を行われます。このことは、イエス様を信じる者ではない人々には理解できないことでしょう。しかし、私たちの信仰はこの聖書にあります。自分の常識の範囲で神様を見てしまうなら、神様を小さな箱に閉じ込めてしまうことになります。その様な状態は、神様よりも自分の方が大きくなっている状態です。
そうではなく、私たちはいつでも聖書が自分よりも正しいという姿勢を持っていたいものです。神様は神様です。私たちを創造されたお方です。この方の偉大さを、今日もみことばから教えられましょう。

今日の通読箇所:マタイの福音書 13章-15章

■アウトライン

●天の御国:13章
  ・種まきのたとえ:1-9節
  ・見ている聞いているから幸い:10-23節
  ・麦と毒麦:24-30節
  ・からし種:31-32節
  ・パン種:33節
  ・たとえで話す:34-35節
  ・毒麦の解説:36-43節
  ・畑、真珠、地引き網:44-50節
  ・天の御国の弟子となった学者:51-52節
  ・尊敬されない預言者:53-58節

●さみしい所:14章
  ・バプテスマのヨハネの死:1-12節
  ・五つのパンと二匹の魚:13-21節
  ・湖上を歩くイエス:22-33節
  ・ゲネサレでのいやし:34-36節

●信仰の行い:15章
  ・神のことばを無にする:1-20節
  ・食卓から落ちるパンくず:21-28節
  ・多くのいやし:29-31節
  ・四千人の給食:32-39節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【13章】天の御国

・種まきのたとえ:1-9節
この13章は「天の御国」についての特集のように、さまざまなたとえで天の御国のことが書かれています。ここから、私たちの国籍のある天の御国がどのようなものであるかを見ていきましょう。
イエス様のところにはいつも大勢の人が押し寄せます。ここで、イエス様は大勢の人に対応するため、どうされましたか?
そこでイエス様は多くのことをなにで話されましたか?これはイエス様が群衆に語られるときにいつもされる話し方です。
最初は何についての話でしょうか?そこの四つのパターンが出てきます。それぞれどういうものでしょうか?9節には「耳のある者は聞きなさい」とあります。これはどういう意味だったでしょうか?

・見ている聞いているから幸い:10-23節
弟子たちはイエス様がたとえで話されるのを不思議に思って質問します。私たちも同じ気持ちでしょう。イエス様の答えはどのようなものでしたか?誰に許されていて、誰に許されていないですか?その違いは何でしょうか?
13節で、結論が書かれています。つまり、彼らはいくら語っても理解しようとする心がないので、あえてたとえで話していると言うことです。事を隠すのは神の誉れであり、事を探るのは王の誉れです。私たちはイエス様のたとえに隠された真理を、知恵と啓示の御霊によって示していただきましょう。
そして、イエス様はイザヤの預言が成就したことを宣言されます。これはパリサイ人の姿でもありますが、私たちの姿でもあります。私たちも「知っている」という思いから、弟子たちのようにイエス様を一心に見つめる信仰をいつも持っていたいものです。
さて、18節から、イエス様は群衆ではなく、弟子たちだけにたとえの意味を明かされます。それぞれ、何が何にたとえられているでしょうか。これは、数学の代入のように、他のみことばにもおおまかてはまるものです。イエス様ご自身が解きあかしをして下さっている重要な箇所ですので、何が何に例えられているかを覚えておきましょう。

・麦と毒麦:24-30節
続いては麦と毒麦のたとえです。人々がどうしているとき、誰が来て何をしたでしょうか?
28節を見ると、これは誰の仕業ですか?しもべの提案に主人はどう答えますか?これは世の終わりの時を預言したことでもあります。また、これが天の御国の姿の一つです。

・からし種:31-32節
続いてはからし種です。天の御国はからし種のようだと言われています。からし種はどのような特長があるでしょうか?種の時と成長したときの違いは何でしょうか?先にあった種まきのたとえとリンクして考えてみましょう。このからし種はどこに蒔かれるときにこのようになると思いますか?また、私たちはどのような姿勢でいる必要があると言うことをこの事から学べますか?

・パン種:33節
続いてはパン種のたとえです。天の御国とパン種、どのような関係があるでしょうか。パン種は別の箇所では悪いことのたとえとしても使われています。それは律法学者、パリサイ人のパン種になります。ここでは、天の御国のパン種です。私たちはどちらのパン種を持つべきでしょうか?

・たとえで話す:34-35節
イエス様はなぜこれらの天の御国をたとえで話されたのでしょうか?35節が答えです。

・毒麦の解説:36-43節
ここでイエス様は先ほどの種まきと同様に、毒麦のたとえの解説をされます。何が何にたとえられていますか?それぞれは、やがてどのようになると言われていますか?

・畑、真珠、地引き網:44-50節
続いては三つのことが天の御国にたとえられています。
一つ目は宝の隠された畑です。ここでは宝の価値と土地の価値、どちらが価値があると思いますか?その宝とは何かわかりますか?
二つ目は良い真珠を探す商人です。先ほどの畑の宝と共通することは何でしょうか?
三つ目は地引き網です。ここでは選別がされています。世の終わりに起こることです。何がどのように選別されていますか?

・天の御国の弟子となった学者:51-52節
イエス様はこれらのたとえを群衆に語り、弟子たちにはその解きあかしをして下さいました。それで、イエス様は弟子たちに「わかりましたか」と質問し、弟子たちは「はい」と答えています。これは私の想像ですが、弟子たちの「はい」は本当の「はい」ではなかったのではないかと思います。彼らが本当にこの奥義を知るのは、イエス様の十字架の後、聖霊が注がれる時です。
そこで、イエス様は天の御国の弟子となった学者の姿を語ります。それはどのようなものですか?そのためには管理する能力が必要です。何がどこにしまわれているかをよく知っていなければ、この事は実現できません。これはみことばの事を言っています。私たちはみことばを蓄え、それを忠実に管理することでこの者になれます。小さな事に忠実なものは大きな事にも忠実です。

・尊敬されない預言者:53-58節
イエス様はご自分の郷里に戻られます。そこで同じような働きをされますが、人々は違った反応をします。それはどのようなものでしたか?これらの出来事を57節で一言でまとめています。彼らは「イエスにつまづいた」とあります。この「つまづいた」とは、「彼に憤慨した、すなわち、彼らは反発し、彼の権威を認めることを妨げられ、そしてつまずいた」と言う意味になります。その結果、イエス様は58節でどうされたとありますか?
今までいやしを受け取った人々は彼らの何によって癒やされたでしょうか。イエス様の奇跡を体験するために何であることがわかりますか?

【14章】さみしい所

・バプテスマのヨハネの死:1-12節
話は変わり、ここではバプテスマのヨハネの話になります。ヘロデはイエス様のことを何と思っていましたか?彼の言っていることは正しいですか?
また、ヘロデはなぜバプテスマのヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのですか?ヨハネの言ったことは正しいことですか?間違っていますか?ヘロデは誰を恐れていたかわかりますか?
6節からはバプテスマのヨハネの最期が書かれています。彼らはこの時に至るまで、預言者にひどいことをし続けています。

・五つのパンと二匹の魚:13-21節
イエス様はバプテスマのヨハネの死を聞いて、どのようにされましたか?イエス様はどのようなお気持ちだったでしょうか。この「寂しいところ」とはエレモスと言われる所です。イエス様が毎朝、天の父にひとり祈りを捧げていた「いつもの」祈りの場所です。そこで何を祈られていたのでしょうか。
私は、かつてイスラエルに行ったときに、このエレモスと言われる場所を訪れました。ガリラヤ湖から山に向かって少し上った丘の上にあり、ひっそりと小さな石碑が建っていました。そこで祈りを捧げたとき、特別な油注ぎを感じました。私たちも「いつもの」場所、寂しい場所を設けようではありませんか。イエス様は祈るとき、どこで祈るようにと言われていましたか?そのことと、このイエス様の祈りの場所の様子は一致しています。
その後、イエス様はどうされたでしょうか。普通なら悲しみに打ちひしがれ、家にこもりそうですが、イエス様はどうされましたか?14節を見てみましょう。今までと少し違う表現があります。「深く」ということばが加えられています。
そして、この後、信じられないようなことが起こります。人々は後先を考えず、イエス様について寂しい所に来ていました。時は夕方です。弟子たちは人々の何を心配していましたか?15節の最後にどう書いていますか?
それに対して、イエス様はどのように答えられましたか?この時、この場所にはコンビニはありません。どのように人々を養うのでしょうか。弟子たちが持っていたものは何でしょうか?18節で、イエス様はそれをどうしろと言われましたか?
イエス様はそれを受け取り、どうされましたか?そして、誰が群衆に配ったと書かれていますか?その結果、人々はどうなりましたか?その数はどれほどでしたか?
注目すべきは、イエス様が全てのものを分けられたのではないと言うことです。イエス様は分けて、それを弟子たちに託しました。そして、弟子たちが群衆に配るときに、弟子たちの手の中でそれらは増えていきました。
また、余ったものを集めるとどれ程の量になりましたか?弟子たちは何人いましたか?彼らは自分のことを後回しにしました。しかし、彼らに必要十分の報いは取っておかれていました。イエス様の愛です。私たちも同様の事が起こると信じます。

・湖上を歩くイエス:22-33節
バプテスマのヨハネの死を受けて、イエス様は寂しい所に行こうとされましたが、人々を見て深く憐れまれ、いやし、また給食の奇跡を行われました。そして、ここでようやく祈ることができます。
22節でイエス様は弟子たちをどのようにされましたか?群衆をどのようにされましたか?リーダーの姿勢を見ることができます。
その後、イエス様は何をされましたか?そのとき、他に誰かいましたか?
一方、弟子たちはどうなったでしょうか?24節を見てみましょう。イエス様は何時頃、どうされましたか?この時間はギリシャ語では「第四の夜回り」と書かれています。これは大体午前3時から6時頃を指します。つまり、夜明け前の時間です。おそらく、空も白み始めた頃では無いかと思います。
26節、イエス様を見て弟子たちは「何だ」と言って、どうなりましたか?彼らは子どもでしょうか?大の大人がこのようになっています。そのような彼らに、イエス様はどのように話しかけられましたか?
それを聞いたペテロはイエス様に何と言っていますか?29節でイエス様はどのように言われ、ペテロはどうなりましたか?なぜペテロは沈んでしまったのでしょうか?
ペテロは水の上を歩いたのでしょうか?人目にはそう見えるでしょうが、実際には「来なさい」と言われたイエス様のみことばの上を信仰によって歩いたのです。しかし、ペテロは風を見て恐くなりました。主の信仰から水の上に足を踏み出してしまいました。その時沈んだのです。ここから何が学べますか?イエス様がペテロに言われた事は、私たちに言われたことでもあるかも知れません。
これらの一連の出来事を見た弟子たちはどのように反応しましたか?彼らはイエス様を知らなかったのでしょうか?なぜこのような態度を取ったのでしょうか?おそらく、彼らの考えもしないようなことを行われたのを見て、本当にすごいと思ったのでしょう。それは一度ではなく、イエス様を側で見てきた期間、何度も彼らに訪れたと思います。私たちも日々、イエス様の素晴らしさをみことばから思い出し、この弟子たちのようになりたいと願います。

・ゲネサレでのいやし:34-36節
湖を渡ると、どうなりましたか?おそらく朝早い時間だったと思います。ひとびとはどのような信仰でイエス様に近づきましたか?イエス様にさわった人々は、どれほどいやされましたか?そのうちの何人かですか?少しですか?みことばには何と書いていますか?信仰によって、私たちもここに加えられると信じます。

【15章】信仰の行い

・神のことばを無にする:1-20節
ここでは再び、律法学者、パリサイ人が出てきます。彼らは今度は何と言っていますか?彼らの言っていることは正しいです。しかし、イエス様はその上の本質を語られます。イエス様の返答はどのようなものでしたか?
この箇所は少し難解かもしれません。どういうことかわかるでしょうか?彼らは律法に書かれている事を守ることだけに集中しすぎたあまり、律法の本質を見失っていました。イエス様はそれを「神のことばを無にした」といい、彼らを「偽善者」と言います。そこで、8-9に書かれている預言が成就したことを語られます。
少し補足すると、律法学者やパリサイ人は元々はあのエズラたちの流れから来ていました。本来はみことばを純粋に守り行う人たちでしたが、いつの間にか時代と共に彼らは神のことばを破らないため、人の考えによって様々なルールを作りました。言うなれば、中心にある神のことばに誤って触れないように、周りに壁を作ってしまったようなものでした。それで、本来の神の戒めが見えなくなり、周りの壁を守ることに必死になっていたのです。
10節から、イエス様は人々を呼び寄せて、どのように言われましたか?そのとき、パリサイ人の反応を弟子が報告します。パリサイ人はみことばを聞いてどのような反応をしましたか?それは正しい反応ですか?どうして彼らはそのようになったのでしょうか?みことばがあまりにも真実で、彼らの中心は神ではなく自分自身になっていたからです。イエス様はそのような彼らに対して、どうしろと言われましたか?14節を見てみましょう。
ここで、ペテロが良い質問をします。この意味を教えて下さいとイエス様に質問します。イエス様ご自身が解き明かして下さる貴重な機会をペテロが作ってくれました。イエス様はこのたとえをどのように説明されていますか?
18節には何がどこから出てきて、それは人をどのようにすると書かれていますか?その具体的な事が19節に書かれています。これらはどこから出てきますか?それはどうしてでしょうか?私たちの中心がどうなっているとき、これらが出てくるのでしょうか?それに対して、どう対処すれば良いでしょうか?
20節が、言いがかりを付けてきたパリサイ人へのイエス様の答えです。私たちが気をつけるべき事、祈るべき事は何でしょうか?どことどこを主に治めていただく必要がありますか?

・食卓から落ちるパンくず:21-28節
イエス様はツロとシドンに立ち退かれます。するとカナン人の女性が出てきて叫びます。彼女はどのような事を叫ばれましたか?それに対してイエス様はどのような態度を取られましたか?今までとここでの態度の違いを見ることができますか?それはどうしてかわかりますか?24節に答えがあります。
その事を聞いて、女性は25節でどのようにしていますか?それに対してイエス様はどのように答えられますか?また、そのイエス様のお答えに対して、女性はどう返しますか?イエス様はその女性の返答に対して、どう答えられますか?イエス様は彼女におことばを下さいました。すると、彼女の娘はどのようになりましたか?イエス様のみことばにはすべてのものが服従します。

・多くのいやし:29-31節
イエス様はガリラヤ湖の岸を行き、山に登って座っておられました。すると、どうなりましたか?30節を見てみましょう。そこに集まった人々はどのような人たちですか?彼らをどうしたとき、彼らはいやされましたか?私たちも同じ事をするなら、いやしを受け取ることができると信じます。
この事を見た人々は、31節でどのような事をしていますか?これはイザヤ61章の預言の成就のように見えます。

・四千人の給食:32-39節
イエス様に従う群衆は何日イエス様といっしょにいましたか?彼らは食べ物をもっていましたか?イエス様は彼らを帰されるとき、何に気を配っておられましたか?
33節で、弟子たちが言っていることは当然のことに思えますが、少し前に五千人の給食を自らの手で体験していたはずです。人はすぐに忘れてしまい、自分の考えに戻ってしまいます。
この時、イエス様はどうされましたか?それは五千人の給食の時と同じですか?違っていますか?主はいつでも満たしてくださるお方です。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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