聖書通読クラブ Day 189

聖書通読クラブ Day 189【箴言7章〜9章】

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シャローム!

私たちは毎日知恵の書、箴言を読み進めています。みなさんはこの箴言の通読で何を受け取っているでしょうか。知恵は一朝一夕で得られるものではありません。毎日毎日みことばに親しみ、知識を蓄え、みことばを必死に聞き、それに従えるように自分の打ちたたいて従わせ、それでもだめなので祈って、祈って、自分に失望して主の恵みに拠り頼むということを繰り返して得られていくものではないかと思います。このような生き方はつまらない生き方のように思えるかも知れません。しかし、箴言ではこの世の快楽に対して多く忠告されています。それはこの世の考えでもあるかもしれません。
今の一時的な楽しさに身を任せるか、十字架の道を歩むか。みことばに聞き、聖霊様に聞いて選び取って生きましょう。

今日の通読箇所:箴言7章〜9章

■アウトライン

●誘惑に従うなら:7章
  ・女の家:1-23節
  ・よみへの道:24-27節

●はじめからおられたイエス様:8章
  ・真珠にまさるもの:1-11節
  ・わたしは分別:12-21節
  ・これを組み立てる者:22-31節
  ・いのちを見いだす:32-36節

●ともに食卓を囲む:9章
  ・家と食事:1-6節
  ・誰を責めるか:7-12節
  ・愚かな女:13-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】誘惑に従うなら

・女の家:1-23節
昨日も姦淫についての記事がありましたが、それは今日の箇所でも続きます。ここでは、ソロモンが姦淫の道に行った一人の若い男を見て、知恵を語ります。
冒頭では、知恵との親密さが書かれています。知恵を肌身離さず身につけ、知恵に向かって「私の姉妹、身内の者」と読んでいます。まるで、アブラハムが自分の妻をアビメレクに「私の妹です」と言ったときのようです。なぜ知恵をこのように親しく描いているのでしょうか。その理由は知恵が私たちを他人の妻から守り、ことばのなめらかな見知らぬ女から守るからです。
この思慮に欠いた者が6節から出てきます。彼は女の家に歩いて行きます。それは日の沈む頃でした。そもそもここが思慮に欠けています。知恵はこのような所から離れなさいと言っているにも関わらず、この人は自らそこに近づいています。「自分は大丈夫だ」と思う人ほど大丈夫ではないのです。
ほどなく、遊女がやってきます。心にたくらみのある女です。この女の特徴はどのようなものでしょうか。11節を見てみましょう。また、キリストの花嫁の性質と比較してみましょう。
この女は男をつかまえ、いきなり口づけします。そして、宗教的な行為を持って彼を誘います。もっともらしいことを言っていますが巧妙な偽りです。だまされてはいけません。
女には夫がいます。旅に出ていると言っています。その間に別の男を誘っています。立派な敷物と悩ましい魅力的な香りを漂わせ雰囲気を作っています。そして、朝になるまで愛し合いましょうと誘っています。男性がどんどん深みへとはまっていくキーワードをちりばめています。しかし、この愛は偽りの愛です。危険な愛です。
男をなめらかな舌でくどき続ける女はついに男を導きます。その男が導かれている様子は、ほふり場に引かれる牛のようだと書かれています。この後どうなるのか、知らないのは本人だけです。

・よみへの道:24-27節
まさにこのような誘惑は迷路です。対して、主の道はまっすぐです。覚えているでしょうか。この男は最初から曲がり角にいました。
ヤコブの手紙には神は誘惑される方ではないと書かれています。人が自分の欲におびき寄せられているだけです。このような情欲に対して、どのように対処すれば良いのでしょうか。一番は避けることです。逃げることです。ヨセフはポティファルの妻から逃げました。この勇気が必要です。
私たちに与えられている性は、神様の守りの中で用いるなら、最高のものとなり、いのちを生み出します。しかし、神様の守りの外で用いるならいのちを破滅させる事につながります。いのちを生み出す力があるからこそ、サタンは多くの攻撃、誘惑を仕掛けてきます。
もちろん、みなさんはこのような姦淫の場に足を運ぶことはないでしょう。しかし、実は身近にこの曲がり角があるのです。それがスマートフォンです。インターネットです。クリック一つでこの女の所に行くことができます。そして、一度訪れるなら少しずつ深みに導かれ、出てこれなくなるかも知れません。
海外の研究でこのインターネットのポルノに対する記事を読みました。端的に言うと、ポルノ中毒を続けると頭が悪くなるという研究結果があるそうです。みことばと一致しますね。
私は男性なので、男性の立場からしか忠告ができません。女性のみなさんは、おそらく自分を助けてくれる素敵な男性に憧れたり、韓国ドラマの主人公が自分の目の前に現れて声をかけてくれると言うことが誘惑なのでしょうか。とにかく、誘惑から守られますように。その道はよみへの道、死の部屋に下っていくことになります。

【8章】はじめからおられたイエス様

・真珠にまさるもの:1-11節
ここでも知恵が呼ばわっています。これはイエス様です。至る所で呼ばわっています。その内容はどのようなものでしょうか。
わきまえの無い者に「分別をわきまえよ」と呼び掛け、愚かな者に「思慮をわきまえよ」と呼び掛けています。イエス様は今でも私たちが誘惑に会いそうなとき、みことばを通してこのように呼び掛けてくださっています。
このお方の知恵に耳を傾けることは、真珠よりも価値のあるものです。

・わたしは分別:12-21節
知恵であられるイエス様は分別を住みかとされています。そこには知識と思慮があります。そして、主を恐れる事はどういうことかが具体的に書かれています。主を恐れることは悪を憎むことです。悪とは何でしょうか。その直後に書かれています。高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばです。神様が忌み嫌われることを私たちも忌み嫌うことができる敏感な心に変えられていきますように。
神様は力あるお方で、王の王なるお方です。神の知恵は国々の権力者をも動かします。上に立つ者の為にとりなして祈りましょう。
そして、大切な17節のみことばです。主が愛してくださる者の特徴が書かれています。それはどういう者でしょうか?その者は主ご自身の財産を継がせてくださり、財宝で満たしてくださいます。

・これを組み立てる者:22-31節
ここには、天地創造の様子が書かれています。そして、御子、イエス様がここで書かれています。どうしてそう言えるのでしょうか。これはソロモンが自分の事を言っているのではありません。主語が「私は」ではなく、「わたしは」になっています。新改訳聖書では、神様がご自分の事をいわれるときにはひらがなで「わたし」と書かれています。ですから、これは主ご自身のことです。
また、新約聖書からもそのことが証明できます。コロサイ1:15-17にはこうあります。「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです、御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」

・いのちを見いだす:32-36節
この天地を創造されたお方に聞き従うことは幸いなことです。訓戒を聞いて無視してはいけません。聞いたら行うことが大切です。
どれ程熱心に聞く必要があるのでしょうか。戸口のかたわらで見張り、戸口の柱のわきで見守ると表現しています。これは自分の好きなときに行うのでしょうか。ちがいます。日々行うことです。時が良くても悪くても聞くのです。これが幸いな者です。
主を見いだそうと熱心に探り求める者はいのちを見いだします。永遠のいのちです。そして主から恵みをいただけます。なんと素晴らしいことでしょうか。毎日通読を続けられている、みなさんにむけられている主からの励ましです。
それに対して、主を見失う者は自分自身を損なうことになります。

【9章】ともに食卓を囲む

・家と食事:1-6節
知恵はちまたで叫びます。また、街角で呼び掛けます。その呼び掛けに応じた者はどのようになるのでしょうか。そのことが書かれています。知恵であられるイエス様はご自分の家を建て、そこで食事を整え、なおもわきまえの無い者を小娘に言付けて「食べに来なさい」と誘ってくださいます。
黙示録のラオデキヤの教会に対して子のように語られています。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)
また、イスラエルでは男性は婚約を終えると、自分の家を建て、花嫁を迎える準備をします。私たちも主の声を聞いて、ともに食事をしたいです。

・誰を責めるか:7-12節
ここでは、責めることに関して書かれていますが、二種類の責めがあります。ひとつは悪者を責める事と、知恵のある者を責める事です。聖書はそれぞれどのようになると書かれていますか?
普通に考えたら悪者を責め、知恵ある者はそのままにしておきます。学校や会社でもそうではないでしょうか?しかし、聖書は全く逆を言っています。悪者は責めてはいけないと書いています。なぜでしょうか。もし悪者を責めるなら私たちが憎まれるからです。
一方、知恵のある者を責めると愛されるとあります。本当にすごい人と出会ったことがあるでしょうか。そのような人に共通してるのはとても話しやすいと言うことです。人との垣根が低いのです。そして、どんなつまらないように思えることでも真剣に興味を持って話を聞いてくれます。非常にへりくだっています。そして、間違っていたらすぐさまにそれを認めます。何かを指摘すると、むしろ感謝されます。彼は知っているのです。人からのお叱りが自分を成長させると。
知恵のある者が知恵のある者を責めるなら、そこには成長と愛があります。コロサイ3:16にはこのように書かれています。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌により、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」
人からの叱責は一時的には悔しさや失望を経験します。しかし、それを真摯に受け止めて、自分に非があるなら素直に認め、改善していくならそのような者の人格は豊かに成長します。みことばによって人生を改善していく生き方を目指しましょう。

・愚かな女:13-18節
ここには、愚かな女の特長が書かれています。先には知恵が呼び掛けました。ここでは愚かな女が呼び掛けています。その結果は何でしょうか。死です。
彼女はまっすぐに歩く人に向かって呼び掛けます。神様の道を求める者を選んで声をかけるのです。「盗んだ水は甘いよ。こっそり食べるのはおいしいよ。」と。これが悪者の特長です。隠します。カルトや異端の団体もこの手法をよく使います。「これはインターネットに書くとすぐに検索されて危険だから、ここにいるみなさんだけに話します。絶対に外では言わないでくださいね。」などと言って来ている人をたぶらかします。
何かを隠すというのは神様がされることです。もし、人が何かを各層としているのなら、それは自分が神になっているという証拠です。事実、アダムは罪を犯して神様から隠れました。
すべてのものは明るみにだされます。表裏のない、正直で直ぐな心を主から与えていただきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 力ある神様に感謝します。
    人からの叱責を素直に認め、改善出来るように祈ります。

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