シャローム!
現代の社会はとても便利になりました。私が子どもの頃と比べても、今は何でもすぐ手に入る時代です。
コンビニもあるし、インターネットで何でも注文することができます。まるでインスタントラーメンのように何でもすぐにおいしいものが手に入る時代です。この時代に生かされていることを感謝します。
しかし、その事に反比例して私たちが失った物があります。それが忍耐です。現代で忍耐と言うと古くさく感じるかもしれませんが、聖書ははっきりと忍耐について様々な箇所で教えています。これは失われた物ではなく、私たちが聖書の正しい理解を持って回復していかなければならない大切な品性の一つです。ヨブとエリフの会話の中で忍耐について語れます。
今日もみことばから知恵そのものであられる聖霊様に教えていただきましょう。
今日の通読箇所:ヨブ記 34章~36章
■アウトライン
忍耐
●エリフのことば:34章
・一つの定めを選び取る:1-9節
・神は決して不正を行わない:10-15節
・神の御目が人の道の上にある:16-30節
・ヨブが最後まで試されるように:31-37節
●エリフのことば:35章
・天を仰ぎ見よ:1-8節
・神を待て:9-16節
●エリフのことば:36章
・造り主に義を返す:1-4節
・神は…:5-12節
・神を敬わない者:13-14節
・悪に向かわないように注意せよ:15-21節
・神は力に優れておられる:22-33節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【34章】エリフのことば
・一つの定めを選び取る:1-9節
ここからエリフは、ヨブと三人の友人に向けて話します。あなたたちなら、これから話すことを聞き分け、何が良いことか見分けられるだろうと言っています。
5節からを見ると、エリフもヨブが悪人と交わっていると責めています。しかし、他の友人たちとエリフの論点は少し違っています。友人たちは自分の経験から、また自分は何も行っていないのに知識だけを持ってヨブを判断し、責めていましたが、エリフは「神が私の義を取り去った」という点と「神と親しんでも役に立たない」という二点に対して責めています。
・神は決して不正を行わない:10-15節
エリフは彼らを一刀両断することなく、「分別のある人々よ」と尊敬しつつ、誤りを指摘します。ヨセフやダニエルなどの信仰者にも見ることができる人格です。
エリフは神が悪を行ったり、不正をすることは決して無いと言うことを述べます。その通りです。神様こそ義の中心なるお方です。そして、もし悪いことが起こったのであればそれは神からのものではなく、人がもたらしたものだと言います。
神様はすべてを治めておられ、私たちが生きるのも死ぬのもすべて主の中で行われている事を述べます。人が息をするのも、それを止めることができるのも主です。その主に対して、あなたがたの口が主を非難していると言いたいのでしょうか。
・神の御目が人の道の上にある:16-30節
ここからはエリフはヨブに話しかけます。もし、神様が義なる肩でなければ、誰が義なのかと言っています。唯一の義なる方が神様だからこそ、正しく治めることができます。
まことの義なる方は首長たちをえこひいきしないと言っています。悪いことをする政治家がいるから神様が悪いお方であるという理論は成り立ちません。エリフはそう主張します。もしそのような悪意を持って権威を振るう者がいたら、神ご自身が彼らを滅ぼされます。
だから、もし神様が正しく治められていないのであれば、神様の目は節穴のように何も見ていないに等しいと言うことになります。
どんなに優秀な裁判官であったとしても、被告人の生まれる前からすべてを知っているわけではありません。ですから誤ったさばきをする可能性があります。しかし、神は違います。すべての人を生まれる前からご存じのお方です。このお方はかならず正しい義において正しいさばきをしてくださいます。
28節では、神様は寄るべのない者、悩める者の叫びを聞いてくださいます。しかし、ヨブはそのように思えません。今までの通読の中でも、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデなど、様々な人の叫びに応えてくださいました。
祈っても神様が沈黙されているように感じるのは私たちの側の都合です。そうではなく、神様のご計画を知る必要があります。
・ヨブが最後まで試されるように:31-37節
エリフは非常に具体的に悔い改めを勧めます。「私の見ないことをあなたが私に教えてください」と言っています。ローマ2:16にも「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。」とあります。確かに、私たちの中には隠れた罪があります。
ヨブがいくら反対したとしても、神様は自分の願うように報われる方ではないので、自分の願った通り、自分の願ったタイミングで主が応じてくださる訳ではないと言っています。そして、自分で選んで悔い改めなさいと言っています。
そして、エリフはヨブが苦しみに会っているからといって、神に言い返す権利は人にはないのだと主張しています。37節には「手を打ち鳴らす」とありますが、これは議論が白熱したときに取る行動です。このように言葉数を多くしてヨブと三人の通人は議論していたことが伺い知れます。
【35章】エリフのことば
・天を仰ぎ見よ:1-8節
ヨブは9:29で「私はきっと、罪ある者とされましょう。ではなぜ、私はいたずらに労するのでしょうか」と言いました。この事が気になっていたエリフはヨブに答えていきます。
また、ヨブだけでなく三人の友人に向けても語ります。空を見上げたら高い雲が見えるが、それを見るだけで神の偉大さを知ることができるだろう。だから、人がひとり義を行っても行わなくても神には影響がないと語ります。
例えば、子どもに振り回される親がいます。おもちゃ売り場でだだをこねる子どもを制することができず、おもちゃを買ってあげたり、子どもが不機嫌になるとすぐに機嫌を取ろうとする親がいます。これは完全に子どもに親がコントロールされています。神様はそのような事はなさらないお方だと言っているのです。
・神を待て:9-16節
祈りが聞かれないときは、本当につらいです。神様は本当におられるのかわからなくなりそうな事があります。しかし、自然を見ると確かにそこに神様の姿があります。
主が見えないとき、主のことがわからなくなったときこそ、神の約束を強く握り、イエス様に信頼し、忍耐していきましょう。神は確かにおられ、報いてくださるお方です。
このような事を無視して叫んだとしても、答えは返ってきません。このことをエリフは「悪人がおごり高ぶっている」と表現しています。
14節を見てください。結局この事が大切なのです。忍耐です。ローマ5:3-5にはこのように書かれています。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
いつ答えられるかわからない答えを待つ時間は永遠のように長く感じます。いつ答えが来るのかを教えて欲しいと願います。それでも主を信じ抜くことができるか。私たちの信仰が試されます。
【36章】エリフのことば
・造り主に義を返す:1-4節
エリフはことばを続けますが、ここでも「しばらく待て。あなたにしめそう。」と言っています。エリフはずっと話し続けています。おそらく、ヨブか友人が何か言いたそうにしていたのかもしれませんが、それを制して自分の言いたいことを語ります。確かにエリフは賢い人物ですが、彼もまた自分の義を持っている者です。なぜその様に言うことができるのでしょうか。続くみことばには「神のために言い分があるからだ」と言っています。神の代弁者として自分を置いています。確かに神様は預言者を通して、人を介して語られますが、直接語られることもあります。エリフは預言者ではありませんでしたから、この一言にエリフの自己義がにじみ出ているのかもしれません。
・神は…:5-12節
ここに沢山の神様のご性質が書かれています。神様はどのようなお方ですか?何をされますか?ノートに書き出してみましょう。
神様は絶えず私たちを悪から立ち返らせ、神の愛へと導こうとされています。
そのような神様の戒めに対して、私たちは二つの反応をすることができます。一つは聞き入れることです。そうするとどうなると書かれていますか?また、もう一つは聞き入れないことです。そうするとどうなると書かれていますか?
・神を敬わない者:13-14節
ここでは苦しみにあったときの反応が書かれています。心で神を敬わない者はどうなると書かれていますか?また、悩んでいる者、つまり神様に飢え乾いている者はどうなると書かれていますか?
苦しみに会っているときは、神様が語られる御声を聞くチャンスです。荒野という原語は「ミ・ダバール」と言います。ダバールはことばです。ミは場所を示します。荒野は神様のみことばのある場所です。荒野の中で神様の声を聞きましょう。
・悪に向かわないように注意せよ:15-21節
ヨブには悪者の受けるさばきが満ちていると言います。ヨブが神を責めている姿を見て、エリフはヨブが益々悪の道へと向かっているのではないかと懸念しています。この苦しみの中から神様は語ってくださるのに、早々に神がいけないと結論づけたので、ヨブには滅びが訪れてしまうと警告しています。
・神は力に優れておられる:22-33節
23節は私たちの心に刺さります。なぜなら私たちが神様にこの事を行ってしまうことがあるからです。神様の方法よりも自分の方法の方が優れていると考えてしまうことがあります。「自分が神様だったらこんなことはしない」などと考えてしまうこともあります。「このように伝道したら、もっと多くの人が信じるのに」と考えたりもしてしまいます。
神様は、子どもにあれこれと指図される親のような存在ではありません。神様は絶対的な神です。私たちの知恵は神様にははるかに及ばないのです。その差すら知らない自分は本当に愚かだと思います。
26節にその事が書かれています。神はいと高く、私たちには知ることができないお方です。この事を私たちは本当に知ることがあります。私たちの信じている神様は私たちが知っているよりもはるかに偉大なお方です。神は神なのです。私たちがどんなに頑張っても到底届くことのできないお方が神様です。神様の偉大さに思いを向けてみましょう。
27節からは神様が造られた偉大なシステム、水の循環について述べています。誰がこのような素晴らしい循環システムを作ることができるでしょうか。この循環を通して地球のあらゆる生命が保たれています。神様は本当に偉大なお方です。
神様は雨を降らせたりやませたり、この地球上のあらゆる事に目を配られて治めておられます。このお方はどれ程偉大なお方なのでしょうか。
また、雷は神様の声だと言われています。モーセが山で律法を受け取るときも雷鳴の響きのような神様の御声が響きました。
雷はとても不思議な現象です。雲の中の水蒸気などの摩擦が原因で起こります。超巨大な静電気のようなものです。
そももそ、空気中を電気が流れると言うことが考えられないことです。雷の電圧はおよそ1億ボルトと言われています。家庭用の電気のおよそ100万倍の力です。電流は10万アンペアもあります。雷一発分のエネルギーは、なんと2200世帯の1日の電力をまかなえるほどのエネルギーです。
そして、雷は天から一方的に落ちるのではなく、実はわずかに地上からも迎えに行っています。この事から私は天と地が一つとなる祈りを思い起こしました。私たちが地上で祈る祈りはわずかな力しかないかもしれません。しかし、神様はそのわずかな祈りに向かって、天から驚くほどの力を注いでくださいます。祈りを通して天と地が一つにされます。いつも祈りましょう。祈り続けましょう。主は祈りに応えてくださると信じます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
私には知ることができない、いと高き、偉大な方、祈りに応えてくださる主に感謝します。