シャローム!
一つの小さな不安は私たちの想像中で大きなものに膨れ上がってしまうことがあります。同じように、一人の人の犯行が民族全体に広がってしまうということを今日のみことばから学ぶことができます。
私たちは自分の身にこのことが起こってこの事を学ぶのでしょうか。それとも、御言葉の中から先人の失敗を見て、それから学ぶのでしょうか。私たちは賢い選択をさせていただきたいものです。
それでは、今日もみことばに教えていただきましょう。
今日の通読箇所:民数記16章~18章
■アウトライン
反逆とその刈り取り
●反逆:16章
・コラ、ダタン、アビラムの反逆:1-35節
・つぶやく民への刑罰:36-49
●アロンの杖:17章
●祭司、レビ人の任務、分け前:18章
・祭司、レビ人の義務と権利:1-7節
・祭司たちの分け前:8-20節
・レビ人の相続財産:21-24節
・レビ人の十分の一:25-32節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【16章】反逆
ラグビーのワールドカップで「ワンチーム」という言葉がはやりました。人は力を合わせると大きな力を発揮します。
それが良い方向に向かえばいいのですが、悪い方に向かうと対j変なことになります。
このところでは、残念ながら後者の方に傾いたお話です。
1節はこれから起こる事件の首謀者が書かれています。レビの子ケハテの子と書かれているので、幕屋で仕える者で、聖なる器具を運ぶ部族であることがわかります。
彼は誰と共謀して誰を引き連れ何をしたのでしょうか?
これは一種のクーデターです。しかし、彼らの主張を見てみてみましょう。
3節を見ると「イスラエルの民は主によって聖別されているのに、どうしてモーセとアロンだけがリーダーとして立っているのだ」と言う内容です。これは確かにその通りです。申命記7:6にも書かれています。
それでは何が間違っていたのでしょうか。それは彼らの心です。動機です。
創世記4章で主はアベル(の心)とそのささげ物をご覧になりました。この事件の首謀者、コラはあらゆる事を知っていてこの事件を起こしました。
これを聞いたモーセはどのような反応をしましたか?みなさんが指導的立場にいて、このような場面に遭遇したらモーセのとった行動を即座に取ることができますか?
そして、モーセは彼らに火皿を持ってきて主の前で火を入れ、香を盛ることを命じます。
ちょっと待ってください。これは彼らに赦されていたことでしょうか?これは祭司にのみ許可された行動です。コラとそれに同調した人々は自分の欲望と嫉妬に目がくらんで、この事を行ってしまいました。彼らはレビ10-12でアロンの子ナダブとアビフが異なった火を捧げてどうなったのか知らなかったのでしょうか?欲望と嫉妬は私たちの目を暗くしてしまいます。
彼らはどうすれば良かったのでしょうか?冷静になり、主の前に香を捧げるのは誰かを思い出し、このことをしなければ良かったでしょう。
先ほどモーセはコラたちにチャレンジしましたが、8節からは彼らに与えられている主からの恵みを思い出して欲しいとこのことを語ります。私たちもすべてが供えられています。それなのにどうして私たちの内から不満が出てくるのでしょうか。
12節からはダタンとアビラムの問題です。13節で彼らは何と言っていますか?それは本当ですか?
14節までで、彼らの訴えをノートに書き出してみましょう。これは私たちが主に対して心の中で思ってしまうことに当てはまりませんか?
16節からは、モーセは5-7節で告げたことをコラとその仲間に実行するように言います。
ところがコラとその仲間がしたことは何でしょうか?19節を見てください。確かにモーセの言葉に従ってはいますが、全会衆をモーセとアロンに逆らわせようとしました。イエス様の十字架の時の律法学者やパリサイ人のようです。
彼らの矢印は主に向いていたのではなく、いつも自分に向いていました。
この事に対して、主は黙ってはおられません。モーセとアロンに彼らから離れるように言います。聖いものと汚れたものはいつまでも一緒にいることはできません。
こんなありもしないことを言われても、モーセとアロンは22節でどのような反応しますか?
神様はコラとダタン、アビラムの住まいから離れるように言われます。彼らの住まいは幕屋の南側でした。
27節、ここでイスラエルの民が分けられます。主は終わりの時、やぎと羊、また羊と羊をも分けられると仰せられました。
30節、モーセは信じられないことを言います。しかし、続く31節を見てみましょう。どうなりましたか?
神の審判です。あの大災害の時も私たちは自然の脅威にただ立ち尽くすしかできなかったのでは無いでしょうか。
この時も地面が生きているように割れ、モーセとアロンに逆らった者を生きたまま飲み込みよみに送りました。生きたままよみに送られたのは後にも先にもこの時だけだと思います。
これをそばで見ていたイスラエルの民はどのような気持ちだったでしょうか。34節を見てみましょう。もしみなさんがこの場所にいたらどのように感じるでしょうか?
これだけでも恐ろしいですが、続いて地に飲み込まれることを免れた香をささげようとしていた250人を主の火が焼き尽くしました。彼らは自分の家族が目の前で飲み込まれて行くのを目撃した後、直ぐに自分が焼き殺されるという目にあいました。
36節からは、アロンの息子エルアザルがまだ燃えている火の中から青銅を取り出し、それを幕屋の祭壇の被金(せきがね)とします。これはどういう意味なのでしょうか?
38節には「これをしるしとさせよ」と書かれていますので、おそらく、祭司が祭壇にいけにえをささげる度にこの青銅の被金を見て、この事件を思い出し、主への聖なる恐れを抱くためにそうしたのでしょう。
イエス様はどうでしょうか?復活されたとき、あれほどむち打たれ傷だらけになったはずが手と足と脇腹の十字架の傷は残されたままでした。その傷跡を見て、私たちが主の恵みを思い出すためです。
41節から、一難去ってまた一難です。今度はコラたちの死を見た民がつぶやき始めます。どうしてこうも彼らは文句ばっかり言っているのでしょうか。これは私の姿です。
主は45節でこの民を滅ぼすことを決断されます。これに対して46節でモーセとアロンはどのように反応しましたか?
アロンは主の祭壇から火を取り、神罰の中へと走って行きました。80歳を越えたアロンがこの事をしたのです。そして、死んでいる者と生きている者の間に立ったとき、神罰はやみました。
今、疫病が蔓延しているまっただ中に主の炎を持って走って行くことができるでしょうか?主が命じられたなら、信仰を持って行動したいと願います。
【17章】アロンの杖
イスラエルがめちゃくちゃになったように思えるとき、主はもう一度祭司は誰かを、しるしをもって明確にされます。
イスラエルの12部族からそれぞれリーダーを出し、杖を持ってこさせます。それを会見の天幕のあかしの箱の前に置きます。
8節、杖から芽を出したのは誰の杖だったでしょうか。一晩で何も無い杖からここまでになるでしょうか?これは主が行われた奇跡です。
桜にそっくりなアーモンドは目覚めを意味する花です。
火皿が祭壇の被金となり、それを見る度にコラたちの死を思い出すように、芽を出したアロンの杖はあかしの箱の前に戻されました。それは逆らう者への戒めであると10節には書かれています。
私たちはいつもイエス様の十字架を覚える必要があります。
【18章】祭司、レビ人の任務、分け前
17章の最後は「主の幕屋にあえて近づく者は死ぬ」という叫びで終わります。それに答えて18章ではレビ人がイスラエルの民に代わって幕屋に近づくことが語られます。
レビ族は祭司を助ける働きをします。しかし、できないことがあります。3節にはどこに近づいてはならないと書いていますか?それはなぜですか?
6-7節を見てみましょう。レビ人はまず誰にささげられますか?その後、祭司たちに贈り物として与えられます。
本来なら近づくと死んでしまいますが、神様からの一方的な賜物によってレビ人は幕屋で奉仕することができます。私たちもまたレビ人として呼ばれていると信じます。それであれば、聖なる緊張感を持って仕える必要がありますね。
8節からは、アロンと子たちが受ける分け前が書かれています。何が彼らの分け前となっているでしょうか?それぞれで見いだしてみましょう。
20節は相続地について書かれています。こんなにも一生懸命いのちをかけて主に仕えているレビ人ですが、彼らに土地は与えられますか?何が彼らの相続地ですか?みなさんならどちらの相続を受け取りたいですか?
21節からはレビ人の相続財産です。彼らの奉仕には報いがあります。それはイスラエルの人々がささげた十分の一がレビ人の相続財産となりました。
これは主がお定めになった戒めです。今でも主の働き人がささげ物によって支えられているのはこの原則によるのでしょう。
恥ずかしながら私も、昔は献金に対して抵抗がありました。どうせ捧げたものは教会の家賃やスタッフの人件費に使われるんだと思っていました。それは事実かも知れませんが、私には主に対する信仰がありませんでした。それは人や建物のためにささげるのではなく、主にささげるのです。ささげたのであれば、その用いられ方は主にお湯種しましょう。(だからといって教会は受け取った献金を無駄にするのはいけませんね)
イスラエルの民は主に十分の一をささげますが、レビ人も受け取った十分の一の中から主に十分の一をささげます。つまり、すべての部族は主に十分の一をささげるという意味では平等です。
まず初物を主に献げることが祝福の原則です。信仰を働かせて、思い切って主にお献げしましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
>今、疫病が蔓延しているまっただ中に主の炎を持って走って行くことができるでしょうか?主が命じられたなら、信仰を持って行動したいと願います。
アーメン 主が命じられたなら、アロンにならう者となることができますように。
一人の罪の影響のいかに大きいことか、
人に妬まれ大祭司職を奪われそうになったアロンが
妬みの罪の罰としての疫病に対して
その大祭司職をもって神と罪人との間の仲介者となり、
破れ口に立ちとりなし、災いは終わったのですね。
これはキリスト・イエスの祈りと、贖いですね。
人々が妬み、滅ぼそうと十字架に釘付けしてしまった、
まことの大祭司職にあるキリスト・イエスによって、
人々は命を得ました。
主イエスの血潮は私の咎の故に流されたことを信じます
主の血潮の力で、聖めることのできない汚れも背きも
世にはないことを感謝いたします。
主を離れたら、私はどこへもいけません。
主を離れたら、私は何ごとも成し得ません。
主イエスの十字架の血潮はこのわたしの為であったと信じ
感謝します。
幕屋の外に記念の青銅の火皿が打ち付けられたことは
十字架につけられるために、
主の手と足に打ち付けられた釘の跡を見て
主の十字架の愛を忘れないよう
自らの利己的な思いの故に
神に近づくことがないようにとの教訓ですね。
幕屋の内にある芽吹いたアロンの杖は、
神に受け入れられるまことの大祭司主イエスによって、
その尊い血潮によって神に近づく者には、
短時間に芽吹くはずのないアロンの杖が芽吹いた
生命の奇跡のように
デュナミスの力を持った
復活の主の命が与えられることを教えるものなのですね。
感謝します。