シャローム!
今日からダニエルという人物が記した書簡の通読が始まります。ダニエルは知恵の人でした。エゼキエル14:14では、義人としてノア、ヨブそしてダニエルの名前が挙げられています。ノアとヨブは昔の人ですが、エゼキエルとダニエルは同じ時代の人物です。それほど、当時でも神の正しさを歩んだ人物です。しかも、時代はバビロン捕囚まっただ中です。
ダニエルの人格を通して、信仰を通して、彼が生きている時代だけでなく、主は終わりの時代の幻を見せて下さっています。ダニエルの生き方を通して、今の混迷の時代をどのように生きていけば良いかを教えていただきましょう。
今日の通読箇所:ダニエル書 1章-3章
■アウトライン
●ダニエルと友人:1章
・教えるにふさわしい少年:1-7節
・王のごちそうと野菜:8-16節
・十倍の知恵と悟り:17-21節
●王の夢の解き明かし:2章
・王の夢:1-11節
・知者をすべて滅ぼせ:12-16節
・神のあわれみを請う:17-23節
・王の前に出るダニエル:24-30節
・ダニエルの夢の解き明かし:31-45節
・ダニエルにひれ伏すネブカデネザル:46-49節
●火による試練:3章
・金の像:1-7節
・金の像を拝まない者:8-12節
・拝まないなら火の炉に投げ込む:13-15節
・そうでなくても:16-18節
・燃える炉に投げ込まれる:19-23節
・火の中から出てくる:34-30節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】ダニエルと友人
・教えるにふさわしい少年:1-7節
次代はバビロン捕囚のまっただ中です。その中でもダニエルは第二回の捕囚の時にバビロンに連れて行かれました。
エホヤキムが治世を取っていました。エジプト軍はカルケミシュの戦いでバビロンに敗れました。それまでエホヤキムはエジプトに仕えていましたが、この戦いを機にバビロンに仕えるようになります。
そこでネブカデネザルがユダの支配者であると言うことを示すために、神の宮の道具を取り出し、王や貴族を捕らえ移しました。
ここで覚えておかなければならないのは、バビロンが強かったから子のことが起こったのでは無いと言うことです。すべて主が許されたことです。
バビロンの王、ネブカデネザルは捕囚したユダの民を治めるのはおなじ国民が良いと考えました。そうした方が、長くバビロンに従う国として存続するだろうと考えたのです。なので、おもだった人を先に連れてきました。その中にダニエルもいました。
その優秀なユダヤ人たちにまず行ったのはカルデア人の文学とことばを教えました。カルデア人とはバビロンの大本の民族です。このようにまず知者にバビロンの教育をたたき込みます。
続いて行うのは食事です。王と同じ物を食べさせました。これは王と同じ恵みに預かることを同時に、「王に決して逆らわない、王の所有とされている」という意味もあります。昔の日本の恐いお兄さんたちが出てくる映画で「同じ杯を酌み交わした仲」と同じ感覚かも知れません。
4節にダニエルたちの特長があります。容姿が優れているだけでなく知性も飛び抜けています。それだけではなく霊性も優れています。神の選びの器です。
6節に彼らの名前が出てきます。ユダ族です。礼拝者の家系です。ダニエルは「神はさばき主」、ハナンヤは「ヤハウェは恵み深い」、ミシャエルは「神である方は誰か、そしてアザルヤは「主は助けられる」という意味です。どれも信仰深い預言的な名前です。
イスラエルの人々の教育の中心は家庭です。幼い頃から母親が徹底的にみことばからの人格教育を施します。これが教育です。私たちは教育というと学校で習うことを思い浮かべるかも知れませんが、それは教科学習です。教え育てるのは家庭でしかも両親の役割です。学校や教会にそれを過度に求めてはいけません。
そのように、ダニエルと友人たちもしっかりと信仰教育、人格教育がなされた状態でバビロンに送り出されていました。
考えてみると、モーセもパロの元で育ちましたが、乳離れするまでは実の母のところで育ちました。その間、みことば教育がなされていたのでしょう。それが後のモーセを支えました。
話をダニエルに戻しましょう。ダニエルと彼らの友人は名前をつけられます。ダニエルはベルテシャツァルです。「バビロンの神のご加護を」と言う意味です。ハナンヤはシャデラク(バビロンの太陽神の光を受ける)です。ミシャエルはメシャク(異教の神アクである方は誰か)、そしてアザルヤはアベデ・ネゴ(バビロンの神ベルの息子のしもべ)と言う名前と意味です。
しかし、そのような名前が付けられようとも、彼らの信仰は変わりませんでした。家庭でのみことばの教育、つまり主を恐れることをしっかりとたたき込まれていたので、異教の地でも揺るぎませんでした。
・王のごちそうと野菜:8-16節
ダニエルは二つの選択ができました。今自分の置かれている状況に対して怒り、嘆き、文句を言うことです。もう一つの選択は、感謝し、すべて神の御手の中にあるという信仰です。もちろん、ダニエルは後者に生きています。
そこで、ダニエルは食事によって自分が汚れたくないと考え、王の食事を断ります。異教の神にささげられた肉、もしくは血の付いたままの肉、または汚れた動物が食事に出てきたと考えられます。また、強い酒も禁じられていました。彼らは律法の食物規定を厳格に守っていました。
そのような信仰に神が答えられます。9節にそのことが書かれています。宦官の長はダニエルの考えを理解してくれますが、その意見を通すと、今度は宦官の首が飛んでしまいます。王の命令は絶対命令で、逆らうならすぐに殺されてしまうからです。
そこで、ダニエルは神からの知恵によって語ります。12-13節を読んでみてください。ダニエルの知恵を見ることができます。また、人格、優しさと宦官に対する配慮を見ることができます。異国の支配者に対して、とてもへりくだって、丁寧なことばと柔和な心で話しています。このように話すなら、人は話を聞いてくれるのです。そして、感情論ではなく、事実として話を進めています。十日間、野菜と水だけを食べ、顔色を見比べるというものです。10は試みの数です。
十日後、どうなったでしょうか。主が彼らの健康を強めてくださいました。こうして、彼らは食事によって身を汚すことが無かったのです。この事をもって、「野菜しか食べない」というのは少し間違っていると思います。もちろん、その様な主義の方が居られることは尊重します。しかし、野菜を食べたからダニエルのようになれるかと言えばそうではありません。これはこの時、主からダニエルたちに与えられた知恵です。ですから、その時、その時に神様に祈り、それに従う必要があります。
・十倍の知恵と悟り:17-21節
ダニエルと友人たちは王の前に連れてこられます。彼らはどのような物だったでしょうか。他の知者たちの十倍もまさっていました。この当時のバビロンは世界一の学問や占星術が発達していました。世界中の知者が集まっていました。それなのに彼らよりも十倍も知恵があったというのですから、彼らの知恵はどれ程だったのでしょうか。
21節を見ると、ダニエル書は第二歴代誌とエズラ記をつなぐ書物であることがわかります。激動の時代を生きた神の器です。
【2章】王の夢の解き明かし
・王の夢:1-11節
ネブカデネザルは何度か夢を見ます。そのために心が騒いで眠れなくなっています。そこで、王はバビロン中の知者を呼び寄せます。沢山の著名な占い師などがいたでしょう。彼らに夢のときあかしを命じます。ダニエル書はとても不思議な書簡ですが、ここから突然言語が切り替わります。1章から2章3節まではヘブライ語、その後はアラム語、そして8章から最後までがまたヘブライ語で書かれています。ダニエルはこの二つの言語を意図的に切り替えてこの書物を書きました。ヘブライ語はイスラエルの人々が使うことばで、アラム語は当時の公用語でした。つまり、ヘブライ語で書かれている所はユダヤ人に、アラム語で書かれている箇所は世界に対するメッセージなのです。
そのことを考えて読み進めると、ネブカデネザルの夢は全世界に関わることでした。世界の動きを記し、その後8章からその様な世界情勢の中でユダヤ人がどのように神様に取り扱われるかを書いています。ですから、後半はユダヤ人に読んで欲しいのでヘブル後で書きました。非常に知恵のある人です。
そして、大きな救済史的な視点で見るなら、このヘブライ語→アラム語→ヘブライ語というのは聖書全体の救いの計画だということがわかります。神様ははじめにイスラエルの人々を選ばれましたが、彼らは救い主イエス・キリストを拒み、救いは異邦人に及びました。しかし、最後にイスラエルも悔い改め、イエス・キリストを信じる新しい一人の人、キリストの花嫁として完成されます。
5節からを見ると、ネブカデネザルは意地悪のように思えます。夢を解き明かすのにその夢の内容すら教えてくれません。しかし、彼にとってこの夢はそれほど大きな物であることを直感的に悟っていたのでしょう。もし、自分が内容を語らずともその内容と解き明かしまで言うことができたなら本物だと確信できるでしょう。
しかし、実際は呪法師たちは内容がわからないので、時間稼ぎをしています。そして、ついに観念します。誰もその夢を言い当てることも解き明かす事もできませんでした。
・知者をすべて滅ぼせ:12-16節
そのことを聞いて王は怒り狂います。夢を解き明かせない呪法師は価値がないと考え、皆殺しを命じます。ダニエルと友人もその対象です。しかし、自分を殺そうとやってきた者にダニエルはどのように対応したでしょうか。14節を見てください。知恵と思慮深さを持って対応しています。箴言15:1「柔らかな答えは憤りを静める。しかし、激しいことばは怒りを引き起こす。」とあります。もし、殺意が満ちているアルヨクに対して、ダニエルが激しいことばで応じたなら、すぐに殺されていたかも知れませんが、ダニエルは神の愛を持って冷静に、そして思慮深く答えました。この事は私たちが生きていく上で非常に大切な対人関係の問題を解決してくれます。ダニエルの対応を注意深く見てください。ニュートラルな感情で、へりくだって素直に「どうしてそのような命令が出されたのですか」と事実を聞いています。へりくだって、相手に寄り添って、相手を尊重して質問しています。神からの知恵がこのようにさせました。私たちもダニエルのような心で人々に対応しましょう。
この知らせを聞き、ダニエルは王の所に行き、ときあかしのためにしばらく時間をもらえるように願います。
・神のあわれみを請う:17-23節
そして、戻ってすぐに信仰の共と一緒に祈ります。彼らが拠り頼んだのは神の憐れみです。
真実な心で求める者に主は答えてくださいます。主は夢の内容とときあかしをはっきりとダニエルに夜の幻の内に明かしてくださいました。王が倒れます。そして王が立ちます。これら全ては主の御手の中で起こります。それで、ダニエルは主をほめたたえます。主への感謝を忘れないのもダニエルの特長です。
・王の前に出るダニエル:24-30節
ダビデは主から答えを得たのでアルヨクの前に行きます。そして、知者たちを殺してはならないと言って彼らを救います。普通の人の考えだと、異教の神を信じる者を滅ぼすのだから都合が良いと考えるかも知れませんが、ダニエルは神の愛を持って人々を愛していました。
アルヨクは急いでダニエルを王の所に連れて行きます。そして、アルヨクは、あたかも自分がダニエルを見つけたように王の前に申し上げています。これもダニエルの素晴らしい部分です。自分の手柄ではなく、手柄を人に渡すのです。そのような者は信頼されます。
ダニエルは自分の手柄は一切求めていません。ただ、主の御名が高められることを求めています。王が「おまえが解き明かせるのか?」と聞いても即座に神がなしてくださったことだと答えます。
そして、自分のためでなく、「あなたの心の思いをご自身がお知りになるため」といって、王の立場に立ち、王の心の思いが何であるのかを知るために神が示してくださったことを語ります。
それは終わりの日に起こる出来事でした。一つの国に関わることではなく、全世界に関わる大きな出来事です。
・ダニエルの夢の解き明かし:31-45節
まず、夢の内容を正確に伝えます。頭から足に行くにつれ、鉱物が粗雑になっています。そして、人手によらず一つの石が切り出され、それが足にあたり像は崩れます。その意味を説き明かしていきます。このことは非常に勇気のいることでした。なぜなら、王の滅亡を告げるからです。もしかしたら王は気分を悪くしてダニエルを殺すかも知れません。しかし、ダニエルはこのような時も主に信頼して真実を愛と知恵を持って語ります。
この夢で見た像は人の統治、人間の国家を現していました。それぞれの素材は権力や栄光を現しています。バビロンは金です。頭です。金とは聖書で神を現します。また、キリストは私たちの頭です。つまり、バビロンはネブカデネザルのものではなく、神が統治しておられるということになります。
銀の両腕は何でしょうか。「あなたより劣る」とあります。メディア・ペルシヤです。この国は法治国家です。王の権力より法の方が力がありました。青銅の腹と太ももはギリシヤです。ダニエルはこのところで「全地」と言うことばを使っています。その通りに、ギリシヤのアレクサンダー大王は勢力を伸ばし、当時の全世界と言われる地域を制覇しました。
また、鉄のように強い国はローマです。ローマ軍は鉄のように強い軍隊でした。この時代にイエス様が来られました。
この後は鉄と粘土が入り交じった状態になっています。救い主の到来で人間の支配が崩れ始めたことを意味しています。
41節からはローマの後の世界です。粘土と鉄が混じり合った状態です。これをダニエルは「分裂した」と言っています。世界の権力は分散し、一国が世界を治める時代は終わりました。
また、十本の足の指は住人の王です。彼らは決して混ざり合いません。これが今の世界です。様々な方法で世界はひとつであるかのように振る舞っていますが、その実はそれぞれの国の腹の内は違います。
そして、この夢は一つの石で終わります。この石による国が永遠に世界を支配します。もちろん、この石とはイエス・キリスト、救いの岩です。
この石は人手によらず切り出されたものです。イエス様も人の手によらず、神がマリアの胎にイエス様を置かれました。イエス様は人の欲求によってお生まれになったのではない、完全な人であり完全な神なるお方です。ルカの20:17では「家を建てた者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。」とあります。また、マタイ21:44では「また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」と言われました。イエス様はこのダニエルの幻を覚えてこの事を宣言されました。
・ダニエルにひれ伏すネブカデネザル:46-49節
ヤハウェなる神を知らない者の当然の反応です。王はダニエルにひれ伏し、ささげ物を持ってこさせようとしています。王が人にひれ伏すことなど絶対にあってはならないことですが、それが現実に起こりました。そして、王はまことの神の力を知ります。最高の証です。
この報酬として、ダニエルは高い地位に付けられます。ヨセフも同じような事になりました。
ダニエルは王に願い、友人のシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴも共にバビロンの行政を司るようにします。
【3章】火による試練
・金の像:1-7節
ネブカデネザルは巨大な金の像を造らせ、それをドラの平野に立てます。そして、全ての人に金の像を拝ませます。王の心に不安があり、この金の像を拝ませることで自分への忠誠心を高め、民の心をひとつにさせようという魂胆があります。
ネブカデネザルは夢の解き明かしで自分の知性は金だと知り、この像を造らせたのかも知れません。しかし、覚えているでしょうか。夢で見た像は足に向かうに従って粗末な素材となり、最後には人手によらない石で崩されます。
ネブカデネザルは「自分はそんなことはない。この国は永遠に続くのだ」という意思表示のためにその像を造らせたのかも知れません。
この像の大きさはどれ程だったでしょうか。高さが60キュビト、つまり27mです。幅は6キュビト、2.7mです。キュビトで高さと幅を見ると66になります。これは人を現す数です。
この像を拝むときには様々な楽器が鳴らされます。その音と共に一斉に像に向かってひれ伏します。もしそうしないなら即刻火の燃える炉に投げ込まれます。力によって国を支配しています。
・金の像を拝まない者:8-12節
ところが、バビロンの中のある人だけがこの金の像を拝みません。それがユダヤ人です。バビロンの人はユダヤ人を中傷します。言語の意味では「肉を食いちぎる」と言う意味があります。
そこにはバビロンの人のねがみがあります。遠くの国から連れてこられた者が高い地位に着いています。そのことに対するねたみです。言い換えれば選民に対するねたみです。
・拝まないなら火の炉に投げ込む:13-15節
ネブカデネザルは怒りをあらわにしてシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを呼び出します。そして、事実を確認します。かつて王は自分の夢が解き明かされた時には神を恐れていましたが、この時は「どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか」と言って、神よりも自分を高くしています。自分に恐れや弱さがあるときに、人はこのように権力で人をねじ伏せようとします。
・そうでなくても:16-18節
このピンチにシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはどのように応えるのでしょうか。王に逆らうと即刻殺されます。
彼らは「お答えする必要がありません」と言います。神への絶対的な信頼がありました。彼らは誰を恐れるかを知っていました。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)
そして、何よりも、次のこの信仰が大切です。「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」(18節)
そうです。たとえ主が助けてくださらなくとも、主を信頼するのです。「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。』」(ルカ9:23)
「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マルコ8:35)
みなさんはこの信仰があるでしょうか?たとえ主が助けてくださらないとしても、主を信頼できるでしょうか。この信仰がどのような結果をもたらすでしょうか。
・燃える炉に投げ込まれる:19-23節
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは本当に火の炉の中に入れられます。まるで燃えさかる火の試練です。
その炉は普段よりも七倍熱くされます。余りの熱さに、彼らを投げ入れた者が焼き殺されたほどです。ネブカデネザルの怒りが火の強さに表れています。
通常、このような死刑に処せられる者は衣服を剥ぎ取られますが、急いでいたのでしょうか。服を着たまま投げ込まれています。人の考えでは絶対に助かることのできない状況です。
・火の中から出てくる:34-30節
彼らの信仰に主が応えてくださいます。彼ら三人ともう一人、第四の者、神の子のような姿が炎の中に見えました。神の御子、イエス様です。ネブカデネザル王は驚き、彼らに炎から出てくるように命じます。イエス様はこのように、信じる者を火の試練から守ってくださいます。炎から出てきたシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは髪の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいすらしませんでした。これが主がして下さることです。
最初、ネブカデネザルは彼らに対して怒っていましたが、今は称賛しています。王の命令にまで背いて主を信じる信仰に心が動かされました。彼らの信仰は文字通りいのちをかけた信仰です。
これは今の時代の事を言っているのかも知れません。私たちは誰を恐れ、誰に従うかをいつも自分のたましいに教えておく必要があります。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
いつも主を恐れ主に従う信仰を主に求めます。