聖書通読クラブ Day 258【エゼキエル書 43章-45章】

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シャローム!

エゼキエルも佳境にさしかかっています。神の神殿が回復します。今日の通読箇所では祭壇、そしてそこで仕える祭司やレビ人、そして祭りの回復を見ることができます。
それらの事を思うとき、私たちはもう一度基本に立ち返る必要があるのではないかと思わされました。それは、神が神であることです。あまりにも当たり前の事ですが、神が私たちの主であり、私たちはこのお方に従う者だと言うことを忘れてはいけません。
もし、これを忘れてしまうなら、礼拝が中心からずれてしまいます。心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛する必要があります。今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:エゼキエル書 43章-45章

■アウトライン

●祭壇のきよめ:43章
  ・神殿に満ちる栄光:1-5節
  ・永遠に彼らの中に住む:6-9節
  ・宮に関する律法:10-12節
  ・祭壇の寸法:13-17節
  ・いけにえ:18-27節

●祭司たちのきよめ:44章
  ・門は閉じたままにしておけ:1-3節
  ・反逆の家イスラエルの家にこう言え:4-8節
  ・自分たちの咎を負わなければならない:9-14節
  ・レビ人の祭司:15-27節
  ・奉納物:28-31節

●主への奉納:45章
  ・聖なる区域の奉納地:1-6節
  ・君主の土地:7-8節
  ・正しいはかり:9-12節
  ・ささげる奉納物:13-17節
  ・宮のための贖い:18-20節
  ・過越の祭:21-24節
  ・仮庵の祭:25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【43章】祭壇のきよめ

・神殿に満ちる栄光:1-5節
かつて、気がつかないうちに去って行かれた主の栄光が戻ってこられました。かつてこの町を破壊するために来られた主です。至聖所におられた主は、至聖所から東に向かって離れて行かれました。祭司・長老たちが神殿で偶像礼拝を行っていたからです。
主は東の門から入って来られました。主が再臨されるときもこのようになります。詳しくはゼカリヤ書で分かち合いますが、主は再臨されるときにオリーブ山に降り立たれ、そこから西に一直線に向かって神殿に入られ、御座につかれます。

・永遠に彼らの中に住む:6-9節
エルサレムの破壊を許されたのは主です。ですから、主が責任を持って回復して下さいます。
かつて、ある牧会者から言われたことばを思い出します。その方は誰かに対して何か意見を言うときには、まるで石を投げるような行為だと教えてくれました。「石を投げて、その後の全ての責任を取れるのであれば、その石を投げなさい」と教えてくれました。
エゼキエルがこの幻を見せられた目的は何でしょうか。それは7節の後半に書かれています。「わたしの聖なる名を汚さない」ためです。かつて彼らは神殿で汚れた事を行っていました。そして、主は約束されています。「永遠に彼らの中に住もう」と。これほどの祝福はあるでしょうか。

・宮に関する律法:10-12節
主は神殿の模型を見せられます。そのあまりのい完全さに主の栄光を見ます。そして、人々の中には主に対する恐れが生じます。なぜ自分はそのような恥ずべき事を行ったのかという後悔が生じます。
ペテロをはじめ、イエス様の弟子たちもイエス様に出会ったとき、恐れ、自分の事を汚れていると思いました。
主の御前にでるとはこのような事です。単なるハッピーな気持ちになるのが主との出会いではありません。本当に主と出会うなら、恐れと恥がやってくるでしょう。そのような礼拝をささげたいものです。

・祭壇の寸法:13-17節
ここからは祭壇の説明になります。本格的に主への礼拝がはじまっていきます。下記の図のように内庭の真ん中に祭壇があります。これは四段になっています。
エゼキエルの神殿の祭壇

・いけにえ:18-27節
祭壇をきよめています。これはモーセの幕屋でも行われました。まず最初は罪のためのいけにえがささげられています。その牛の地が祭壇の四隅の角、台座の四隅、またみぞに注がれます。私たちもイエス様の血潮によってきよめられていることを感謝します。
そして、それらはツァドクの祭司が行います。
二日目には罪のためのいけにえとして傷のない雄やぎ、そして傷のない若い雄牛とむれのうちの傷のない雄羊をささげます。祭司はそれらの上に塩をまいて、全焼のいけにえとして主にささげます。それを七日間続け、八日目から祭壇の本来の機能として、全焼のいけにえ、和解のいけにえがささげられます。

【44章】祭司たちのきよめ

・門は閉じたままにしておけ:1-3節
神殿でいけにえをささげることが始まりました。ここでいつも覚えておかなければならないことは、誰にいけにえをささげているかです。つまり、誰に礼拝をささげているかです。それはここに書かれている君主です。主が入られた東の門から入り、主のパンを食べることができます。では、この君主とは誰でしょうか。主のしもべでありながら主ご自身ということが書かれています。つまり、イエス様です。このお方はダビデのように、いや、ダビデ以上に主のみこころを歩まれる方です。今まで欠けがあって、失敗した数々の王の過ちを贖い、完全な王としてこの地を治めて下さいます。

・反逆の家イスラエルの家にこう言え:4-8節
北の門を通って神殿の前に来たとき、そこに主の栄光が満ちていました。エゼキエルはひれ伏します。
そして、律法にことごとく心を留め、目を注ぎ、耳を傾けよと命じられます。主によって与えられた新しい心、新しい霊を受けた者はこの事が可能となります。
そして、宮に入れる者と、聖所に入れない者がいるということがわかります。

・自分たちの咎を負わなければならない:9-14節
主は彼らが行ってきた忌み嫌うわざを思い起こさせられます。自分たちが何をしてきたか、どうして汚れ、堕落してしまったか、そして、どのようにして今の恵みに預かっているかを知らせるためです。
ですから、私たちはどこから救われたのかを知る必要があります。もし、罪を教えない教会があるならそれは主の教会ではないでしょう。悔い改めを教えない教会は天の御国に通じる教会ではないでしょう。自分の罪深さを知れば知るほど、主の恵みに深く感謝できます。
「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5:20)

・レビ人の祭司:15-27節
ツァドクの子孫のレビ人の祭司が主に仕えます。そして、祭司の規定が書かれています。祭司は主に仕える者です。ですから自分の聖さを保っておかなければなりません。亜麻布は主の聖さを現しています。そして、汗の出るようなものとは、人間の努力をしないという意味があります。主の恵みに拠り頼む働きです。結婚についても厳しい規定があります。
また、23節が祭司の最も大切な働きでしょう。主の民に何が聖なるもので、何が汚れたものかという区別を教えるのです。その基準はみことばであり、また安息日です。
また、死体にさわって汚れる事が無いようにとの指示があります。

・奉納物:28-31節
かつてモーセ五書の中で祭司やレビ人に語られたように、主ご自身が彼らの相続地となります。彼らにイスラエルの中で相続地はありませんが、それが彼らを生ぬるさから守ります。主に完全に拠り頼む生き方です。
彼らは人々のささげ物で生活が支えられます。民がそのようにささげたなら、ささげた民自身に祝福が宿ります。

【45章】主への奉納

・聖なる区域の奉納地:1-6節
イスラエルの民の中心はいつも幕屋、もしくは神殿です。かつて、荒野では主の幕屋を取り囲むように人々の住まいがありました。
祭司やレビ人たちに相続地はありませんが、住まいは必要です。この図のような割り当てがされていました。
エゼキエルの神殿のまわり

・君主の土地:7-8節
君主の土地はエルサレムをサンドイッチするように配置されています。彼らの中心が神殿となります。礼拝が中心の生活を意味しています。

・正しいはかり:9-12節
かつて、リーダーたちは私利私欲を優先していました。その結果、暴虐や暴行が横行していましたが、主はシャローム(平和)の主です。それらのものはもうたくさんだと言われています。主はそれらを取り除き、公儀と正義を加えて下さいます。
また、正しいはかりではかる事を命じられます。これは聖書のいたるところで出てきます。主が決められた基準を変えてしまうことは主が忌み嫌われることです。

・ささげる奉納物:13-17節
一つ前のところでも出てきますが、聖書の単位がここに書かれています。エパは穀物を量るときの単位です。1エパは23リットルです。また、バテは液体を量るときの単位です。こちらも1バテは23リットルです。また、1ホメルは230リットルです。シェケルは主に金属類を量るときの単位で、1シェケルは11.4グラム、1ゲラは0.57グラムです。1ミナは570グラムです。

・宮のための贖い:18-20節
様々なものが回復していく中で、祭りが回復しています。過越の祭は第一の月の十四日からですが、ここでは第一の月の一日から入念に準備することが命じられています。

・過越の祭:21-24節
そして、ここで過越の祭が祝われます。律法の規定通り、種を入れないパンを食べています。そして、毎日いけにえがささげられています。過越の祭はイエス様が地上に来られた事を啓示する祭りです。

・仮庵の祭:25節
第七の月の十五日の祭りとは仮庵の祭りです。イエス様の再臨を啓示する祭りです。喜びの祭りです。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. この地を治めるイェス様に感謝します。本当に主と出会えるように祈ります。

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